第10回「天海と2本の紐に結んだシルクの脱出」
石田隆信
2本の紐に3枚のシルクを結んだ状態から、それらが結ばれたまま外れます。このマジックのタネは昔からよく知られていた方法ですが、天海氏により、いくつもの工夫が加えられています。2本の紐の中央を独自の方法で絡ませ、助手を使わずに一人で演じることができる特徴があります。
特に2本の紐の中央を絡ませる方法が画期的です。これまでにも、簡単に絡める方法が知られています。しかし、天海氏の場合には、両端を持った状態から、自然な動きの中で2本の中央を絡ませていたのが特徴的です。
開始時は、2本の紐を左右の手に1本ずつ分けて持っています。いずれも一端を持ち、紐全体が下方にぶら下がった状態で見せています。右手の紐を左手へ移し、2本とも左指で持つことになります。右人差し指を2本の間を下降させ、紐の中央部で2本を絡ませています。この操作を右側を向きながら、紐の端を持ったままの左手で、テーブル上のシルクを取り上げる動きで行なっていました。
この操作は、他の方法に比べてかなりの練習が必要です。最初から中央部を細い糸でつないでおけば楽に行えます。しかし、より不思議に、自然に、美しく演じられるように考案されています。そのために、天海氏のマジックでは独特なハンドリングを使うことが多く、練習が欠かせません。改善させる研究心と努力を続けた実力が、国籍に関係なく、アメリカのトップクラスのマジシャンや関係者からも注目され尊敬されたのだと思います。
このマジックは1953年のロバート・パリッシュ著”Six Tricks by Tenkai”の本で”Knot Supreme”のタイトルで発表されています。1974年の”The Magic of Tenkai”にも再録されます。このマジックに関しては天海氏が19のイラストを描かれて、その中の12のイラストが2本を絡ませる操作のために使われていました。右手の指の状態が詳細に描かれ、これを見ているだけで理解できます。このような独特な操作は、天海氏でなければ完成しなかった方法と思います。ただし、かなりの練習が必要です。
この後、紐の中央の絡ませた部分にシルクを結ぶのですが、これも独特な方法です。紐にシルクを1回巻き付けて、紐から手を離して、シルクの両端だけを持ってシルクを結んでいたからです。公正に美しく見せようとされているのが伝わってきます。
実際の天海氏の演技を見られた氣賀康夫氏からの重要な報告により、これまで以上にこのマジックの興味が高まりました。このことは、2016年の第2回石田天海フォーラム記念誌「天海の足跡」の第7章に掲載されています。実際に使われていた紐は、日本の着物に使われる腰紐のようなものであったそうです。ロープを使うと重さの関係で失敗しやすくなることが報告されていました。また、紐を中央で絡ませるのには、中央の位置の印が必要です。天海氏の腰紐の中央の柄や色が特別であったことも報告されています。さらに、小川勝繁氏による、紐を見なくても中央が分かる工夫も紹介されていました。
氣賀氏と小川氏による報告の中で意外であったのが、ロープを使う方法でも天海氏が演じられていたことです。その場合には絡める方法ではなく、細い糸を使っているのですが、普通の方法ではありませんでした。細い糸でも紐を引っ張っても切れないことがあるので、外れやすくするための特別な工夫がされていたことが報告されています。スムーズに行う改良だけでなく、失敗しない研究までされていたことがよく分かりました。
この作品は、日本では1971年の”The Thoughts of Tenkai”と、1996年発行の「天海IGP. Magicシリーズ Vol. No.1」で「2本の紐」のタイトルでフロタ・マサトシ氏が解説されています。両方ともに天海氏は腰紐を使われていたことが報告されています。海外では腰紐の色や模様が日本的でよいのですが、日本で演じる場合は望ましくないのではないかと危惧されていました。そこで、ロープを使って解説されていましたが、問題なく演じられたのかが気になる点です。軽いロープが使われていたのでしょうか。なお、1953年の”Six Tricks by ”の本の解説ではテープと書かれています。コード(紐)よりもテープの方が薄くて軽いイメージになります。
最初に解説された1953年の本では、中央をシルクで結んだ後、その部分が首の後ろになるように2本の紐を首に引っ掛けています。そして、残りの2枚のシルクを左右の紐に結んでいます。ところが、日本で解説された上記のフロタ氏の2冊の本では、紐を首に引っ掛ける記載がありません。手に持った状態で全てのシルクを結んでいるような解説になっていました。なぜそのようにされたのかが、1972年発行のフロタ氏の「奇術の中のパントマイム」の135ページの記載で分かりました。「私達が首にかけると、何とも云えない珍奇なかっこうになるのですが天海がやると全く抵抗を感じないから不思議です」と書かれていました。
1956年発行の奇術研究の創刊号では、天海氏の「在来30年奇術生活」の記事でこのマジックを演じられている写真がありました。帰国前のアメリカでの写真です。天海氏が持っている垂直状態にした紐に、奥様が2枚目のシルクを結ばれている写真でした。型にはまらずに、状況に応じた方法で演じられていたのかもしれません。
数年前まで、2月の熱海で日本奇術会の懇親会が開催されていました。毎回、この催しで楽しみにしていたのがスピリット百瀬氏のレクチャーです。2010年には短時間でしたが、このマジックが演じられ、演技上でのポイントをレクチャーされました。その中でも印象に残っていたのが、3枚のシルクを脱出させた後の2本の紐が絡まないようにする方法です。脱出させる前に紐で1回結ぶことにより、2本の紐が絡まった状態になるからです。
天海氏はこの点まで考えておられたのか気になる点です。シルクを脱出させた後、2本の紐が離れていなければ気にしなくてもよいように思います。しかし、2本の紐を上下に離して示すことになれば、美しく終わることができます。二人で演じる場合に、二人で両端を持って、2本の紐を上下に離して示せば大きな拍手がわき上がります。
このマジックの歴史ですが、20世紀の早い時期から、シルクを使った方法が演じられているものと思っていました。しかし、それが間違っていることが分かりました。2本のロープからの脱出で、シルクが使用されたのは1937年が最初です。オトカー・フィッシャーによる「ロープ、扇子、シルク」のタイトルで、ヒューガード著「アニュアル・オブ・マジック」の中で解説されています。扇子に2本のロープが結ばれ、ロープの左右に2枚ずつのシルクが結びつけられます。
このマジックが、1947年のターベルコース第4巻では「コード・オブ・ファンタジア」の名前に変えて解説されていました。そこでは、扇子の代わりにウォンドが使われていました。この方法はオキトやフーマンチューのヒット作となり、マジシャンの間で流行したと報告されています。さらに、オトカー・フィッシャー自身の改案として、中央のウォンドの代わりにシルクを使う方法が解説されます。また、ターベルは違った方法で中央にシルクで結ぶ作品を紹介されていました。
日本では江戸時代から細い糸を紐の中央に結びつける方法が使われ続けてきました。イギリスでも、1876年の「モダンマジック」の「おばあさんの首飾り」では、糸で中央を結んでいましたので、昔は糸を使うのが普通だと思っていました。当然のこととして、最も古い1584年のレジナルド・スコットが解説した方法も、糸を使ってつないでいるものと思い込んでいました。ところが、その作品では糸が使われていませんでした。
3個のビーズと革製の紐が使われ、中央のビーズには少し大きめの穴があけられています。2本の紐の折り返し部分が両側から詰め込まれ、はずれにくくしています。1634年の「ホーカス・ポーカス・ジュニア」も全く同じ内容です。1676年の “Sports And Pastimes” では、3個の厚さのあるボタンと紐が使われ、2本の紐の中央が絡められています。これを一つのボタンで覆って隠しています。結局、この頃の方法は、中央の品物が2本の紐の折り返した中央部分を固定したりカバーする役割を持っていたことになります。
そして、最も大きな驚きが、1584年のフランスのPrevostの本に、首を通り抜けるロープが既に解説されていたことです。しかも、その方法が、現代の方法とほとんど変わっていない点も意外でした。2本のロープの中央を絡ませるのですが、2本のロープを並べて持って、話をしている間にロープの位置を入れ替えつつ絡ませていました。絡ませると言っても、この部分を首の後ろへ持ってくる場合は、重ねる程度で十分で襟に挟みます。首に引っ掛けたロープの前方部分を結び、ループになった状態で首からはずすことになります。これが、1909年の「アート・オブ・マジック」に、ほぼ同様な方法で少し詳しく解説されます。しかし、ここでもイラストがないために、分かりにくい解説でした。
1926年のターベル・システムのレッスン7では、基本的には同じ方法ですが、イラスト入りで分かりやすく解説されるようになります。これが、そのまま1941年のターベルコース第1巻に再録されています。2本の紐のそれぞれの中央を左手の指に引っ掛けて、簡単にロープの入れ替えができる方法が、多数のイラストで解説されていました。
天海氏の方法はターベルコース第1巻と第4巻の影響が大きいと思っています。しかし、全く違う方法に作り上げられていました。天海氏の発表と同じ1953年に発行された”Rice’s Encyclopedia of Silk Magic”には、同様な現象の作品が解説されています。Scotty Lang考案で”Rice’s Flying Colors”のタイトルとなっています。Rice原案のLangの改案のようです。2本の紐に3枚のシルクを結んで、3枚が飛ぶように外れる現象です。天海氏との違いは、2本の紐を糸でつないでいることと、紐を首に引っ掛けずに、左腕にかけて残りの2枚のシルクを結んでいたことです。この頃は同様な方法が発表されていても不思議ではない時代であったといえます。
2本の紐から脱出させるタネや、紐の中央を絡ませる考え、そして、シルクを使うことも既にマジシャンの間でよく知られていたことです。しかし、天海氏は独自の絡ませ方や、中央のシルクの結び方、そして、全体のハンドリングに工夫を加えられています。天海氏が帰国されてから強く主張されていた言葉が「奇術はタネより使い方である」であったそうです。このことは、1996年の本の「2本の紐」の解説の冒頭でフロタ・マサトシ氏が報告されていました。
(2021年6月15日)
参考文献
1584 Reginald Scot The Discoverie of Wiechcraft
1584 J. Prevost Clever and Pleasant Inventions
1634 Hocvs Pocvs Ivnior(ホーカス・ポーカス・ジュニア)
1676 Sports And Pastimes
1729頃 珍曲たはふれ草
1784 奇妙不測 仙術日待種
1876 Hoffmann Modern Magic My Grandmother’s Necklace
1885 和洋てじなのたねほん なわぬけのでん
1909 The Art of Magic The Mystic Tie
1926 Tarbell System The Prisoner’s Escape
1937 Ottokar Fisher Jean Hugard‘s Annual of Magic Ropes, Fans and Silks
1941 Tarbell Course in Magic Vol.1 Tarbell Systemの再録
1947 Tarbell Course in Magic Vol.4 3作品
1953 Tenkai Robert Parrish著 6 Tricks by Knots Supreme
1953 Harold R Rice Encyclopedia of Silk Magic Vol.2
1971 フロタ・マサトシ The Thought of Tenkai 2本の紐
1974 Gerald Kosky and Arnold Furst The Magic of Tenkai Knots Supreme
1996 フロタ・マサトシ 天海IGP. Magicシリーズ Vol.1, No.1 2本の紐
2012 石田隆信 Toy Box Vol.12 2本のロープによる脱出(貫通)現象
2012 石田隆信 第58回フレンチドロップコラム 2本のロープによる脱出現象の歴史と意外点
2016 氣賀康夫・小川勝繁 第2回石田天海フォーラム記念誌「天海の足跡」 第7章 2本の紐