第20回「天海パームについて(文献記載の変遷)」

 

石田隆信

日本において、天海の名前はアメリカで活躍(34年間)されたことと、日本のマジック発展に大きく貢献されたことで知られています。ところが、海外では天海氏自身や天海のマジックのことよりも、天海パームの考案者の名前として知られているようです。天海氏がステージマジシャンで「ウォッチとシガレット」や「四つ玉」の名手であったことを知らないマニアがいても、天海パームを知らないマニアは少ないと思います。

天海パームは親指を使った手掌に対してある程度の角度をもったパームで、両サイドの外方部を親指と手掌の一部で保持しています。これまでになかった全く新しいタイプのパームです。親指をサイドに当てるパームとしてギャンブラーズパームがありますが、手掌との角度をつけずにカードに湾曲をつけてパームしています。90度近い角度がある別のパームとして、かなり後になってラテラルパームが発表されていますが、親指を使わず中指や薬指を使って保持している点で大きく異なります。 また、手掌からはみ出したタイプのパームとしてリアパームやギャンブラーズコップがありますが、手掌との角度がほとんどありません。天海パームは手の位置と角度が重要で、うまく行わなければ丸見え状態となります。利点はパームしたままで、つまんだりする指先の操作が自然に行え、一時的な保持としても有用で、応用価値の高いパームです。

天海パームが最初に登場する文献は、戦時中のハワイで制作されたビル・ムラタ著 “Tenkai’s Manipulative Card Routine” です。天海のオリジナルのステージのカード・マニピュレーションの本で、天海自身がイラストを描かれた天海の最初のマジック書です。イラストの数が多いので、それを見ているだけで全体の内容を知ることができます。この解説の最後で1枚のカードを示し、手がカラと思わせた後にもう1枚取り出すところで使われています。この本では特別なサムパーム “peculiar thumb palm” と書かれています。

問題はこの本の発行年が分からなかったことです。いろいろと調査の結果、1942年頃の可能性が高いことが分かりました。戦時中にハワイの”The House of Magic”から発行され、1950年にはアボット社から再販されています。この本には発行年の記載がなかったことが問題でした。1942年頃とした1つの理由が、1968年の高木重朗訳「天海のカードマニピュレーション」の冒頭の「序」で、天海氏自身により「すでに日本開戦当時、ハワイから米国本国に向けて売り出したものです」と書かれていたからです。そして、シカゴのIreland Magicとの手紙のやりとりのことも報告されています。「時節がこのようであるので、日本人である天海の作品を売り出すのは良くないと思ったら、国際事情が良くなってから発表してほしい」旨のことを一筆書き添えられたそうです。その返書には「芸術に国境なし、心配するな天海」と書かれ、発売から3ヶ月で売り切れたと報告されています。開戦当時にシカゴに本を送ったことは、天海氏の記憶に強く焼き付いていたことだと思います。

1945年のConjuror’s Magazine 8月号やSphinxとGeniiの9月号に、この本の広告が初めて掲載されることになります。そのことから、1945年発行と記載されていたものもあります。1945年の夏になったのは日本人の本の広告を戦時中は自粛されていたからと考えられます。

今回、天海の本の発行年を1942年頃にするにあたり、もう一つ確信を持てるものが欲しいと思っていました。そのような時に中村安夫氏から重要なコメントをいただきました。2016年の加藤英夫氏によるDVD「天海ダイアリー」の1950年に天海氏の本の記事が掲載されているとのことでした。1950年5月の”Hugard Magic Monthly”のJohn J. Crimmins, JRによるBook Profilesの記事です。アボット社から天海の本が再販されたことによるCrimminsのコメントです。8年ほど前に購入した時は10ドルであったが、今回、アボット社から再販され、驚くべき価格の2ドルであることを書かれていました。1950年の8年前といえば1942年になります。彼はアマチュア・マジシャンでコレクターでもあり、1942年当時に発売された天海の本を購入されていた貴重な人物です。たぶん彼は本の購入年月日や価格も記録されていたと思います。この記事と天海氏の記載から、1942年頃であることを強く確信できました。なお、1945年の広告では既に2ドル50セントの価格になっていました。

この天海パームに対して大きな影響を受けたのが2大巨頭のバーノンとマルローです。バーノンは両サイド外端部を親指と手掌に当てて、カードのほとんどを親指の手前側へ突出させています。角度の注意がかなり必要なパームです。マルローは左サイドの中央部に右親指を当てて、右サイドの多くを手掌に当てています。つまり、二人の方法は天海のパームを、さらに変化させた状態になっていました。バーノンが天海パームの名前をつけて有名にしましたが、問題はバーノンが解説した極端に親指から突出したパームを天海パームであるとの印象を与えてしまったことです。そのためか、その数ヶ月後に発行されたマルローの2冊の冊子では、マルローポジションやアングルパームといった違う名前をつけて、天海パームとは別のものである印象を与えていました。マルローのパームの元になるのが天海パームであることもクレジットされていませんでした。天海氏はバーノンのような極端に突出したパームを使われていなかったようですし、帰国後はカードが露出しにくい方法で使われていたそうです。これは、マルローの方法に近い状態と言えます。

天海氏の”Manipulative Card Routine”の本には天海パームしているイラストが3枚あります。1枚目は、カードを2枚に分割して1枚を示して、もう1枚を天海パームしつつある状態です。これがバーノンの方法に近いイラストになっています。指先の1枚を左手のデックに取り、手が空になったように見せているのが2枚目と3枚目のイラストです。左サイドの外端近くに右親指を当て、右サイド外方部分を手掌に当てていました(上記の左側のイラスト)。1958年に天海氏は帰国されますが、その頃のフライングクイーンに天海パームが使われ、バーノンの方法とは違う状態で、角度に強い方法が使われていました。外エンドが指の根元近くまで来て、左サイドの中央近くに親指を当てることになります(上記の右側のイラスト)。右側のイラストは、2015年や2016年の「天海フォーラム記念誌」での氣賀康夫氏の「天海パーム」についてのイラストや報告を参考にさせて頂きました。

1990年頃までは、天海パーム、アングルパーム(マーローポジション)、ユニットグリップなどの名前が混在していましたが、最近では天海パームの名前で統一されている印象があります。1990年代頃から原案者を見直される時代になったことや、1980年代後半ではマルローも部分的に天海パームの名前を使うようになったことも関係しているのかもしれません。なお、1991年にマルローは亡くなっています。

ここからは、天海パームまたは同じタイプのパームが使われた主な文献の紹介と、そこでのパーム名や特徴を報告させて頂きます。

1942 Tenkai Manipulative Card Routine peculiar thumb palm
左サイドの外端近くに右親指を当て、右サイド外方部分に手掌を当ててパームしています。1枚のカードを示し、手が空と思わせた後にもう1枚取り出すところで使われています。

1954 Edward Marlo Miracle Card Changes パーム名なし
この冊子の最初のチェンジ技法に天海パームが使われ、四つの応用が解説されています。しかし、ここにはパーム名の記載がないだけでなく、天海の名前も書かれていません。奇妙なことは、その次に記載された天海の方法が元になったミラクル・チェンジNo.2 の解説には、天海のカード・マニピュレーションの本のことが紹介されていますが、こちらの方法では天海パームは使われていません。ここでのパームの親指の位置は、本来の天海のパームと同じで左サイド外端近くになっていました。

1957 Lewis Ganson The Dai Vernon Book of Magic 天海パーム
この本で初めて天海パームの名前が使われ、天海パームの章がもうけられています。ここでの解説では、親指の後方へ大きく突出させたパームになっており、その後の天海パームのイメージを決定づけてしまったようです。そして、天海パームを使ったカラーチェンジとカードスイッチが解説され、それを使った作品の「ジャンピングジャック」が解説されています。

1957 Edward Marlo Side Steal マルローポジション
親指の位置が左サイド中央に当てられ、マルローポジションの名前がつけられています。そして、これは天海パームとは異なると書かれていました。

1957 Edward Marlo The Tabled Palm アングルパーム
マルローポジションと同じであるのにアングルパームの名前になっています。なお、カードを横向きに保持するパームをロンジチューディナル・アングルパームの名前をつけて、両エンド部を親指と手掌を当てています。この横向きも利用価値の高いパームです。

1961 Edward Marlo Card Switches リア・アングルパーム
マルローポジションは天海パームポジションに対する名前で、アングルパームはフラットパームに対する名前のようです。そして、リア・アングルパームはリア・フラットパームに対する名前のようですが、結局、名前の違いだけで、パームとしてのそれらの違いがよく分かりません。

1962 Harry Lorayne Close-up Card Magic JB Kard Kop
「ロレイン・チャレンジ」の作品に中でJB Kard Kopの名前のムーブが使われ、ギャンブラーズパームを使うと解説されています。JB とはジョン・ベンザイスのことですが、そのことの説明がありません。その後、このムーブを「ベンザイスコップ」”Benzais Cop”と呼ばれ、天海パームが使われるようになります。このムーブがレナート・グリーンのスナップ・ディールに似ており、元になるものと言えそうです。もちろん、スナップ・ディールではラテラルパームを使う違いがあり、配る時のスナップ音と多数のカードを消すことが出来る応用範囲の広い方法です。

1968 石田天海著 高木重朗訳 天海のカード・マニピュレーション
原著の発行当時のことを天海氏自身による「序」で報告されています。さらに、天海氏の意見を伺って解説を書き直し、イラストや写真を加えて全面的に改訂されています。しかし、最後の天海パームの部分が参考になります。

1970 Edward Marlo Advanced Fingertip Control マルローポジション
JB Kard Kopのムーブがベンザイスコップの名前となり、マルローの改良が解説され、その中で使われるパームをマルローポジションと書かれています。そして、ベンザイスコップはパーシー・ダイアコニスがベンザイスに見せたアイデアであることが報告されています。1967年にベンザイスの作品集 “The Best of Benzais” が発行されていますが、その中でベンザイスコップの記載がない理由が納得できました。 なお、ダイアコニスは14才の1959年から約2年間ほどバーノンと共に旅を続けた弟子とも言える存在で、彼についての詳細はフレンチドロップコラムに掲載されています。

1977 Karl Fulves Packet Switches エッジパーム、ユニットグリップ
5冊の「パケットスイッチ」の本が発行され、Harvey Rosenthal特集号ではエッジパーム、Gene Maze特集号ではユニットグリップの名前となっていました。ここでは天海もマルローの名前もクレジットされていません。なお、ユニットグリップは4本の指を軽く曲げているのが特徴的です。

1978 Ross Bertram Magic & Methods of Ross Bertram 天海パーム
約20ページを使って天海パームを応用したバートラムの作品を多数解説されています。

1979 Richard Kaufman Card Magic アングルパーム
マルローやラッカーバーマーの作品も掲載されていることからか、アングルパームの名前で解説されていました。この本は2008年に東京堂出版より壽里竜訳「世界のカードマジック」として発行されています。

1983 Ross Bertram Bertram on Sleight of Hand 天海パーム
第7章が “Tenkai” の特集で、47ページを使って天海パームの応用が多数解説されています。

1986 Edward Marlo Thirty Five Years Later 天海パーム
35年ぶりのレクチャーのための作品集です。カードケースを使う作品では、親指の位置がサイドの外端に近い方がよいためか天海パームすると書かれていました。

1989 Edward Marlo So Soon 天海パームポジション、マルローパームポジション
左サイドの中央近くに親指を当てた場合のイラストではマルローパームポジションと書かれています。しかし、その後で、または天海パームポジションを使うと書き加えられていました。また、テーブルの手前エッジに右手を置いている状態では、カードを天海パームポジションにすると解説していました。

1990 Stephen Minch Ken Krenzel’s Close-up Impact! 天海パーム
J B (John Benzais) Kard Kop(ベンザイスコップ)を使用したものには、天海パームで保持すると書かれていました。

1993 Richard Kaufman Secrets Draun From Underground 天海パーム
スティーブ・ドラウンはマルロー派のマジシャンですが、カウフマンはModified(変更した)天海パームと書かれていました。なお、マルローは1991年に亡くなっています。

1994 Roger Crosthwaite Roger Thesaurus LTP 天海パーム
LTP とはLongetuginal Tenkai Palm のことで、カードを横向きに天海パームしています。

1994 Stephen Hobbs Gene Maze And The Art of Bottom Dealing ユニットグリップ
Gene Mazeの本であるために、ユニットグリップの名前が使われています。しかし、ユニットグリップはアングルパーム、リアパーム、天海パームと関連があると書かれていました。

2003 Nuzzo & Marlo Art and Ardor At The Card Table 天海パーム
Jimmy Nuzzoとマルローの本ですが、ベンザイスコップの解説では天海パームの名前が使われていました。

2011 Justin Higham More Pseudo Card-Cheating And Related Switches アングルパーム
アングルパームと書かれた後にわざわざ天海パームではないと書かれていました。その理由を調べますと、2010年発行の彼の著書”Secret of Improvisationel Magic”の5ページに、天海パームは角度に弱く暴露しやすいパームの代表として書かれていました。つまり、バーノン・ブックで解説されたカードのほとんどが親指の後方へ突き出すパームとして認識されているようです。

2014 石田隆信 第64回フレンチドロップコラム 天海パームについて
天海パームと別の名前がつけられた同様なパームのことと、天海パームの名前が中心になるまでを報告しています。また、ベンザイスコップには天海パームが使われていたことにも触れています。

2015 氣賀康夫 第1回石田天海フォーラム記念誌 天海タッチ
この中で解説された「天海の飛行するクイン」では、1959年頃の天海氏の方法を解説され、その時の天海パームの状態をイラストで描かれています。

2016 氣賀康夫 第2回石田天海フォーラム記念誌 天海の足跡 天海パーム
天海氏が帰国されてからの天海パームは、カードの外エンドが指の根元近くまで来ていたことや、バーノンの大きく突出させた方法はバーノンによる変形と解釈されると報告されていました。

2020 石田隆信 第97回フレンチドロップコラム 天海とバーノンと天海パーム
上記の氣賀康夫氏の報告や小川勝繁氏からの助言を元に、天海パームを再検討しています。

エルムズリーカウントは指の持ち方やカウントする方向が、多くのマジシャンの考えが加わって本来の方法から大幅に変わりました。しかし、いずれもエルムズリーカウントと呼ばれています。天海パームもこのような考えのパームは天海氏が最初で、バーノンやマルローの変化させた方法も天海パームであることには違いがありません。天海氏自身の天海パームがどのように変化して使われていたのかは、海外ではほとんど知られていません。各文献での天海パームの記載状況を調べますと、年数を経て天海パームの名前が定着したことを確認できました。天海パームについてまとめるにあたっては、氣賀康夫氏、小川勝繁氏、加藤英夫氏、中村安夫氏の報告や助言を参考にさせていただきました。お礼を申し上げます。

(2021年8月24日)

バックナンバー