“Sphinx Legacy” 編纂記 第71回

加藤英夫

今回は本題に入るまえに、”Sphinx Legacy”編纂作業の現時点の状況を報告させていただきます。”Sphinx”はすでに全号に目を通し終わりました。”Billboard”の方は、Bill Sachsのコラムの最終回が掲載されている号まで目を通し終わりましたが、その間にいままでダウンロードできなかったかなりの号が、ダウンロードできるように追加されていました。いまはそれらに目を通し、採用する価値のあるものを、いままでに編纂したものの時間系列の相応する位置に加えています。その作業にまだかなりかかると思います。

そのあとまだたいへんな作業が私を待ちかまえています。それは以下のようなことです。

文章校正。いまのところ編纂済みの”Sphinx Legacy”は、3500ページぐらいあります。私の使用ソフトでは、500ページを超えると、とたんに入力や編集速度が低下しますので、約500ページ単位で7巻に分けようと考えています。試しに第1巻分の文章校正をやってみましたが、とてもたいへんな作業であることがわかりました。それは、私自身の誤字脱字、その他の修正もありますが、英文におけるスペルミスが多いのです。それは原書をPDF化したときの文字化けと思われるものもありますし、ひとつの記事の中に同じ単語が間違って繰り返されるものがけっこうたくさんあるのです。それらはあきらかに執筆者の間違いです。

目次作成。”Sphinx Legacy”を歴史研究目的で参照される場合には、目次がないと利用しにくいと思います。第1巻分について試作してみました。1件につき1行で概略を説明するのがたいへんでしたが、それらを見ていただければ、第1巻にどのようなことが収録されているかがわかると思います。それぞれの巻に目次をつけると、全巻にわたって検索するのがたいへんですので、目次だけ7巻分をひとつのPDFにまとめて作成しようと考えています。

公開方法。本来であれば英語部分をすべて日本語に翻訳して公開したいのですが、すでに説明した理由で、かなりの部分が英語のままで公開することになりました。英語と日本語の比率については、英語を日本語に翻訳済みのものもあり、私の書いた文章を含めて、全体の25%ぐらいは日本語です。ほとんどの記事については、私の日本語での補足解説が記述されています。英語部分が多くを占めるものを販売するのは気が引けますが、無償というわけにはいきませんので、できるだけ低価格に設定しようと考えています。

第1巻の目次については、以下のページから該当ボタンをクリックすればご覧いただけます。

http://www.magicplaza.gn.to/

公開時期については確定できませんが、少なくとも2022年中には、”Sphinx Legacy”編纂記の日本語化も含めて完了させたいと思っています。引き続き、”Sphinx Legacy”からの記事を紹介いたします。

出典:”Sphinx”,1910年4月号 執筆者:A.M. Wilson

I. F. Haltonは彼の事業を法人化した

この記事を取り上げたのは、マジシャンの成功には’チームワーク’が必要だということを、明確に記録しておきたかったからです。この記事に登場するH.A. Jansenとは、Danteのことです。

マジックに関する事業を始めたときからずっと成功をおさめ、その営業利益によって事業を拡大してきた人と言えば、I.F. Haltonの名前がすぐ浮かびます。’マジック界の何でも屋’と異名を持つ彼の本拠地はChicagoにあります。ささやかな事業から始まって、コンスタントに成長を遂げ、いまもその成長を続けている陰には、H.A. Jansenの献身があり、Illinoi州の免許を得た株式会社としたことが大きく関わっています。この会社は資本金$2,500で、’Halton & Jansen Company’という社名です。会社の設立目的は、マジック道具やノベルティアイテムの販売、そしてマジックの指導普及であります。現在では、設立当初よりはるかに規模が拡大しています。

会社の役員であるI.F. Halton氏とH.A. Jansen氏はこの道のベテランであり、当然ながら彼らの成功は、マジックから利益をあげてきたからであり、この業界において高い地位を占めています。そして二人はどのような場においても、信頼される紳士として存在感を示しています。潤沢な資金、つねに評価を高めつつある信頼、広範囲にわたる事業、そして経験を積んだマネジメントにより、Halton & Jansen Companyが今後もこの業界のリーダーであり続けると、私は予言いたします。

H.A. Jansen氏は、ヴォードビルでのエンタティナーとしても一流であり、そのことは事業を始めたときから成功をおさめることの要因でありました。彼はアメリカでも外国においても、イリュージョニストとして名声を馳せました。そして彼の時代において、ビリヤードボールのマニピュレーションの第一人者でありました。(彼はヴォードビルにおいてもっとも高い出演料を得たマジシャンの一人でありました)。

この二人の事業の成功は、彼らの2ヶ月間のヨーロッパ旅行においても明らかとなります。彼らの目的は、彼らの友人であるマジシャンや顧客のために、世界の国々からマジック用具を集めることでありました。Halton氏は、その目的が十分に達成されたと報告しています。

アメリカにたいへん優れたマジシャンがいます。彼の壮絶なテクニックはあるマジック大会で、突然、神業を持ったマジシャンが登場したかのような、ものすごい話題を起こしました。しかしながらその後の彼は、彼のテクニックのすごさに見合う成功を得ていないように見えます。私はMr.マリック師との仕事の関係で、そのマジシャンとも交流しました。そして彼にはマネージャーがついていないことを知りました。

パフォーマンスからマネジメントまですべてを自分1人でやっていると、とくにセールス(売り込み)の部分で弱点があります。自分で自分のことを素晴らしい商品だと売り込むことは、けして説得力のあるものではありません。パフォーマーはスター扱いしてこそ、高く売ることができるのです。ですからプロマジシャンにとって、マネージャーがいるかどうかは成功の重要な鍵のひとつであると思います。

そしてパフォーマーとしてパートナーがいるマジシャン、すなわちデュオで仕事をしている場合、自分が手を抜けばパートナーに迷惑がかかるため、一生懸命に仕事をする動機が保たれます。もちろんマジックを構成するときにおいても、2人で意見を出し合った方がよい結果が得られるでしょう。
マジックショップの運営についても同じです。しかも会社組織とすれば、法的にも社会的にも責任が発生しますから、チームワークで仕事をすることは、力強く仕事を進めるためのエネルギーを生み出します。

私はMr.マリック師のもとを離れてから、1人で著述作業をしてきました。自分で書いて、自分で本を製作し、自分で注文を取って、自分で発送作業を行います。そのようなことを1人だけで続けていると、いつかは疲れたり、気力を失ったりするものです。そうなるまえに私は”MN7”と出会いました。会友として、会の目的である、”マジック文化の継承と発展”に貢献しようという気持ちで参加することによって、自分自身を奮い立たせることができるからです。

”TenyoIsm”の編纂に関してRichard Kaufman氏に協力したとき、「テンヨーの成功の秘密は何ですか」と問われました。私は即座に「それはチームワークです」と答えました。そしてそれを木の成長に例えて説明しました。

根を植えたのは、会社を創設した役員の人々です。その上に幹が伸びて太くなることは、社員の数が増えることに相当し、社員がいくつもの枝に分かれて、開発、製造、営業、事務など、それぞれが枝の中で葉を広げて力をつけていきます。そして花を咲かせ、実がなります。その実がテンヨーのマジック製品なのです。

ラグビーでは’ワンチーム’という言葉が流行しましたが、もしかしたら日本という国は、’チームワーク’の意識が潜在的に他国よりも強いのかもしれません。ですからマスクをすることに対して、アメリカのように反対運動が起こることもなく、当然のように誰もがマスクをしています。テニスや卓球などの世界大会では、ダブルスやチーム戦では良い成績をあげます。

新型コロナの勢いが続いているいまこそは、世界のすべての国が、ワンチームにならなければならないときです。そんなときに世界を分断するような戦争を起こすなんて、、、。

[追記]

上記の文章を校正していたとき、つぎの2つのことを思い出しました。”TenyoIsm”は立派なマジック書ではありますが、’Tenyo Ism’(テンヨーの哲学)を伝えるには、以下の山田昭の初心が書かれていませんでした。

山田氏は言われました。「加藤君、マジックだけ売っていたんでは会社は大きくできない」と。この考えによって、ジョーク、パズル、科学玩具、ジグソーパズルなどを製造販売するようになりました。それらから得た利益をマジックに還元するということも山田氏は言われたことがあります。

そして会社の壁に掲げられた社是にはつぎのように書かれていました。

「今日は今日のためだけでなく、今日は明日のために」

この考えによってこそ会社が育ち、”Tarbell Course in Magic”の出版や、Dai Vernonの招聘が実現していったのです。

(つづく)