「THE SHIMADA(島田晴夫)」レポート

THE SHIMADA ・・・ 世界のショービジネスを席捲した島田晴夫

日時:2026年4月19日(日)開場13:00  開始13:30 終了16:30
会場:Mシアター (東京都港区芝2-10-4 (株)電巧社2F)
参加費:2000円 (学生1000円)
登壇者:加藤英夫・ 濱谷堅藏・ 清水豊彦・ 古谷敏郎
主催:マジックネットワーク7(MN7)

目次

■第1回 設営

■第2回 開場前の歓談

■第3回 開場~開演

■第4回 上映された映像

■第5回 アバン島田晴夫ヒストリー (古谷敏郎)

■第6回 写真でふりかえるMr.SHIMADA (古谷敏郎)

■第7回  第1部島田晴夫を語る①(濱谷堅蔵)

■第8回 第1部島田晴夫を語る②ベアハンド鳩出しの原点に迫る(加藤英夫)

■第9回 休憩時間(清水豊彦氏による貴重な「島田コレクション」)

■第10回 休憩時間(2016マジックバザール トークショー映像の上映)

■第11回 海外著名人から寄せられたメッセージ

■第12回 第2部島田晴夫のACTを分析①(加藤英夫)

■第13回 第2部②島田晴夫の魅力に迫る

■第14回 第2部 島田晴夫氏の自筆イラスト(絵画)

■第15回 質疑応答

■第16回 閉会のご挨拶(清水豊彦)

■第17回 打ち上げ懇親会

「THE SHIMADA(島田晴夫)」感想集(近日公開予定)

詳細

■第1回 設営

スタッフは10:00にMシアターへ集合し、会場設営を行いました。
傾斜席の昇降、配布物の封筒詰め、プロジェクターの映像確認、マイクや照明のテストなどを行い、約1時間で準備を完了しました。

11:00過ぎには、小野坂東(トン)さんもお元気にご来場。
トンさんは1週間前に93歳のお誕生日を迎えられました。

その後、登壇者(清水豊彦・濱谷堅蔵・加藤英夫・古谷敏郎)とMN7メンバー、会友の皆さまとともに、集合記念写真を撮影しました。

【写真撮影:小野坂聰】

■第2回 開場前の歓談

13:00の開場まで十分な時間があったため、スタッフは早めに昼食をとり、ゆっくり歓談することができました。
また、会友の能勢裕里江さんはお子さんを連れて来場され、受付のお手伝いをしてくださいました。
日本奇術協会の和田奈月さんは、季刊誌「ニューワンツースリー」のバックナンバーを展示販売され、第8号「島田晴夫」特集号は9名の方から予約注文がありました。
さらに、招待者の河合勝さんも愛知県からご来場され、著書へのサインにも応じてくださいました。

【写真:小野坂聰】

■第3回 開場~開演

定刻を10分早め、12:50に開場しました。
参加者が続々と入場されました。

横浜から植木將一さん、大阪から石田隆信さん(会友)、そして北海道・帯広から坂本和昭さん(招待者)もご来場くださいました。

【写真:小野坂聰・中村安夫】

■第4回 上映された映像

開演直前まで、濱谷堅蔵氏と古谷敏郎氏による映像編集作業が行われました。
上映された映像は以下の6本です。
映像❶ 1分30秒 「ボール」1960.7.17(天洋50周年三越)伝説の「八つ玉」アクト
映像❷ 45秒 「ゾンビ」1961.5.10東横劇場
映像❸ 1分 練習風景(アシスタント加藤 撮影濱谷)
映像❹ 3分30秒 「マーヴ・グリフィンショー」1976
映像❺ 6分 日本ラストステージ2017.2.12(椿山荘 アシスタントASAMI)
映像❻ 2分57秒 病床でのMr. Shimada

【写真:小野坂聰】

■第5回 アバン島田晴夫ヒストリー (古谷敏郎)

13:30、総合司会の藤城亜砂さんの紹介により、渋谷剛一氏(MN7代表)が開会のご挨拶。
続いて、司会と構成を務めた古谷敏郎氏(NHKアナウンサー)が島田氏の波乱万丈な歩みを「ヒストリー」として紹介しました。その主な内容は以下の通りです。

・マジックの道へ: 1940年に東京で生まれた島田氏は、15歳でテンヨーに入り、17歳で「八つ玉」を武器にプロデビューを果たしました。

・若き日の栄誉: 19歳という若さで、昭和天皇の還暦祝いでマジックを披露するなど、早くから頭角を現していました。

・世界への進出: 1965年のオーストラリア進出を皮切りに、メキシコ、アメリカへと活動の拠点を移しました。

・絶頂期: ラスベガスの最高峰ステージであるリビエラ・ホテルで、5年間にわたりメインゲストを務め、文字通り「世界の島田」として君臨しました。

【写真:小野坂聰】

■第6回 写真でふりかえるMr.SHIMADA (古谷敏郎)

次に、古谷氏は想い出の写真を交えて島田氏との出会いから北海道留寿都のミュージアム訪問まで紹介されました。古谷氏は小学生時代に児童向けのマジック本やテレビ番組で島田氏を見て憧れたことが、マジックへの情熱の原点であると語っています。また、2019年2月に、坂本和昭氏(マジックミュージアム元館長)と共にロサンゼルスの島田邸を訪れ、詳細なインタビューを行いました。この時の内容は後に「世界一のマジシャン島田晴夫物語」として新聞連載や今回の冊子にまとめられました。

【写真:小野坂聰】

■第7回 第1部島田晴夫を語る①(濱谷堅蔵)

「トークショー出会いから憧れの島田晴夫を語る」
イベントの第1部において、最初の証言者として登壇した濱谷堅蔵氏は、自身のマジシャンとしてのルーツや、島田晴夫氏との衝撃的な出会いについて語りました。
自身のキャリアとテレビ出演: 濱谷氏はまず、自身のマジックの経歴に触れ、11歳(中学1年生)の時に「日産マジックショー」というテレビ番組に出演したエピソードを語りました。その際、ミリオンカードやタンバリンなどを演じていたと振り返っています。また、素人演芸番組「しろうと寄席」で初代名人に選ばれたという華々しい経歴も紹介されました。
島田氏との最初の出会いは、島田氏がテンヨーのマジックカウンターで実演販売(ディーラー)をしていた時でした。当時15歳か16歳だった濱谷氏は、島田氏が演じるマジックを目の当たりにし、特に1つの玉が2つ、3つと増えていく「四つ玉(八つ玉)」の技に大変驚いたと語っています。
この出会いが、後に自他共に認める「島田晴夫の追っかけファン」となるきっかけとなりました。
1959年の衝撃: 島田氏がプロデビューした翌年の1959年、三越劇場で島田氏の「八つ玉」を再び見た際、「1つの玉が一挙に8つになる」という、当時の自身の知識では考えられないような光景に「運命的な」衝撃を受けたと述べています。
濱谷氏は、島田氏のことを「僕の憧れの人」「スターみたいな人」と表現しており、その圧倒的なオーラに当時は恐れ多くて声をかけることもできなかったと、当時の純粋なファン心理を明かしました。

【写真:小野坂聰】

■第8回 第1部島田晴夫を語る②ベアハンド鳩出しの原点に迫る(加藤英夫)

続いて、加藤英夫氏が登壇し、島田氏の代名詞とも言える「ベアハンド(素手による)鳩出し」の誕生秘話が明かされました。1965年、当時20代だった島田氏、加藤氏、濱谷氏の3人がタッグを組み、夜な夜な研究を重ねてこの画期的な手法を編み出した「プロジェクトX」のような共同作業の過程が語られました。これはシルクなどの目隠しを使わずに鳩を出現させる高度な技術であり、後の島田アクトの核となりました。


【写真:小野坂聰】

■第9回 休憩時間(清水豊彦氏による貴重な「島田コレクション」)

清水氏自らが紹介したコレクションの主な内容は以下の通りです。
・島田晴夫氏が紹介されている書籍: スライディーニ(Slydini)などが掲載されている『World’s Greatest Magic』という本が展示されました。この本には島田氏の専用コーナーがあり、清水氏はこの本にサインをもらったことをきっかけに熱心なコレクターになったという、非常に思い入れの深い一冊です。
・サイン(オートグラフ)コレクション: 清水氏は自らを「サインコレクター」と称しており、島田氏をはじめとする様々なマジシャンのサインがコレクションに含まれています。休憩時間には、来場者が実物を見られるようロビーに展示されました。
これらのコレクションは、清水氏が高校時代にマジックキャッスルで偶然島田氏と出会い、その気さくな人柄に感銘を受けたことから収集が始まったものです。


【写真:小野坂聰】

■第10回 休憩時間(2016マジックバザール トークショー映像の上映)

2016年10月10日にロームシアター京都で開催された「マジックバザール」のクロージング企画として、島田晴夫氏と二代目・引田天功氏という、歴史的な共演が実現しました。本トークショーでは、マジックが単なる「奇術」を超えて、いかに国際的な影響力を持ち、メディアとともに進化してきたかが語られました。司会を担当された大島幹雄氏から提供された映像が休憩時間に上映されました。

【写真:中村安夫】

■第11回 海外著名人から寄せられたメッセージ

島田晴夫氏の偉大な足跡を振り返る今回のイベントについて、より多くの方々に知っていただくため、広く世界各国のマジック関係者にも情報を発信しました。

それに対して、海外のトップマジシャンの皆様から、大変熱いメッセージをいただきました。司会の藤城亜砂さんから、その一部が紹介されました。

まずは、2003年FISMグランプリ受賞者である、フランスのノベール・フェレ氏です。
「私はいくつかのマジックコンベンションで島田氏にお会いする機会があり、その舞台上の技と優雅さに常に感銘を受けてまいりました。本日の素晴らしいイベントの成功を、心よりお祈り申し上げます。」
フェレ氏は、本日の登壇者、加藤英夫氏とも親交が深く、島田氏のマジックは常に自分にとっての「大きなインスピレーション」であったとも語ってくださっています。

また、韓国からも特別なメッセージが届きました。
韓国最初のプロマジシャンと言われるアレクサンダー・リー氏のお孫さんで、FISMアジア副会長を務めておられる金俊吾(Juno)氏からも、今回、素敵なお祝いメッセージをいただきました。
「島田先生は日本だけでなく、韓国のマジシャンたちにも多大な影響を与えました。
アレクサンダー・マジックの創立(86周年)記念日でもある、本日4月19日に、島田先生のイベントが開催されることを大変嬉しく思います。素晴らしいイベントになることを期待しております。」

こうした数々のメッセージより、島田晴夫氏はまさに「世界のシマダ」、海を越え、世界中のエンターテインメント界に遺したものの大きさが伝わってきます。

【写真:加藤英夫・中村安夫・金俊吾(Juno)】

■第12回 第2部島田晴夫のACTを分析①(加藤英夫)

第2部では、加藤英夫氏による動画分析を通じて、島田氏がなぜ世界で成功したのかが4つの要因に整理されました。
1.独創的な演目: 和傘やドラゴン・イリュージョンなど、日本人のアイデンティティを活かしたオリジナルアクトの創作。

2.卓越したテクニック: 石田天海から学んだ「テクニックを隠すためのテクニック」を極め、完璧なスチール(ネタの取り出し)を実現したこと。

3.カリスマ性とキャラクター: 神秘的な「サムライ・スタイル」を意図的に作り上げ、視線一つで観客を魅了するパーソナリティ。

4.完璧なアシスタント: 最初の妻であるディアナさんの存在。彼女は単なる助手ではなく、島田氏の演技をより美しく見せるための「スパイス」のような役割を果たしていました。

【写真:小野坂聰】

■第13回 第2部②島田晴夫の魅力に迫る

パネリストの加藤英夫氏、濱谷堅蔵氏、清水豊彦氏、そして司会の古谷敏郎氏によって、技術面から人間性に至るまで多角的な視点で島田氏の魅力が語られました。

「究極のアシスタント論」:最初の妻・ディアナ氏との完璧なコンビネーション。単なる道具の受け渡しではなく、足先の揃え方や視線の交わし方まで計算された「コレオグラフィー(振付)」としての美学が明かされました。
「音楽と一体化したノリ」:名曲に合わせて実は演技中に常に音楽を口ずさんでいたという島田氏。あの独特の「ノリ」は、音楽との完全な調和から生まれていました。
「凄まじき努力の天才」:ベランダで「八つ玉を300回連続で成功させるまで眠らない」という過酷な練習を自らに課していたエピソードには、会場からも驚きの声が上がりました。
「枯れた芸の境地」:2017年のラストステージで見せた、余計な動作を一切削ぎ落とした静かな佇まい。それは40年以上一つの演目を磨き続けた者だけが到達できる芸術の極致でした。

終盤では、島田氏が舞台を降りた後も非常に礼儀正しく、人柄の良さで世界中のマジシャンから愛されていたエピソードが紹介されました。また、2022年の逝去直前まで、病院の看護師たちにマジックを見せていたという、最期までマジシャンであり続けた姿も伝えられました。

「Shimada was pretty original, wasn’t he?(島田はとっても独創的だったよね)」
島田氏が自らの墓碑銘に望んだこの言葉通り、彼は最後まで唯一無二の表現者であり続けました。
彼の愛した道具たちは、現在、北海道ルスツリゾートの「マジック・ミュージアム」に大切に保管され、その魂を次世代へと伝えています。

【写真:小野坂聰】

■第14回 第2部 島田晴夫氏の自筆イラスト(絵画)

イベントの最後に、マジックネットワーク7(MN7)の顧問である小野坂東氏によって公開された島田晴夫氏の自筆イラスト(絵画)は、島田氏の創作の原点を知る上で極めて貴重な資料でした。

主な内容は以下の通りです。

制作時期と背景: 今から約60年前(島田氏が16歳から20歳の頃)、島田氏が自分なりに「こんなマジックをやりたい」という演出案を練るために自ら描いたものです。

小野坂氏は当時島田氏から「演出案の絵を描いたから見てほしい」と相談を受けており、これらの絵は同氏の個人的なコレクションとして大切に保管されていたものでした。

描かれた内容:
ドラゴン・イリュージョンの原点: 最終的に島田氏の代名詞となる「ドラゴン」に繋がる構想が、すでにこの時期に描かれていました。

「鬼」の演出案: 4人の鬼が登場し、その中の1人が島田氏自身であるという演出案が描かれていました。小野坂氏によれば、これは日本で初めて公開される内容とのことです。

物語性のあるマジック: 竹の中から子供が出てくるような、日本の古典的な物語(かぐや姫のような筋書き)をベースにしたマジックのアイデアも含まれていました。

資料の意義: 展示された20枚ほどの絵は、島田氏が単に不思議さを追及するだけでなく、「夢」や「筋書き」をいかに大切にし、そこからアクトを組み立てていったかというクリエイティブなプロセスを証明するものでした。

小野坂氏は、これらの絵を「今回のチャンスがあったので、参考になればと思って公開した」と語り、若き日の島田氏が抱いていた情熱を来場者に伝えました。

【写真:小野坂聰・中村安夫】

■第15回 質疑応答

終盤に行われた質疑応答では、来場者からパネラー(加藤英夫氏、濱谷堅蔵氏、清水豊彦氏、古谷敏郎氏)に対して、島田晴夫氏の素顔や芸の本質に迫る質問が投げかけられました。

以下に、その主な質問と回答の内容をまとめます。

1. 島田晴夫は「努力の人」か「才能の人」か?
質問: パネラーの皆さんから見て、島田氏は努力の人だったのか、それとも才能の人だったのか。エピソードを交えて教えてほしい。

回答(加藤氏): 才能もあるだろうが、間違いなく「努力の人」である。テンヨーの事務所で等身大の鏡に向かって、死に物狂いで練習している姿を何度も目撃した。「練習しなければあんなことはできるわけがない」と確信している。

回答(濱谷氏): 全く同感で、練習ばかりしていた。どこへ行くにも四つ玉を袋に入れて持ち歩き、時間があれば練習していた。また、音楽に非常に敏感で、常に音楽をベースに手順を組み立てていた。

回答(古谷氏): 練習のコンディション作り自体が非凡だった。ホテルのベランダで、手すりから手を外に出し、「四つ玉のプロダクションを300回連続で成功させるまで終わらない」という練習を日課にしていた。もし玉を落としたら、下までエレベーターで取りに行かなければならないという厳しい状況を自ら作っていた。

2. かつての仲間「八田加寿雄」氏のその後
質問: 昔、島田氏と共に活躍していた「八田加寿雄」さんは、現在どうされているのか。

回答(古谷氏): 島田氏本人から聞いた話では、現在はマジックから離れ、全く別の仕事をしているとのことである。

3. ドラゴン・イリュージョンの真価
質問: 代表作である「ドラゴン・イリュージョン」について、パネラーが思うところを聞きたい。

回答(清水氏): 1978年の日本テレビでの日本初披露は、当時高校生だった自分にとっても衝撃的で、大きな話題となった。

回答(濱谷氏): スライト(手練)だけでは世界を席捲できないと考え、インパクトのあるエンターテインメントとして構築された。不思議さを追及するだけでなく、ドラマチックでオリエンタルな世界観を作り上げたことが、ラスベガスでの成功に繋がった。

回答(加藤氏): マジックの専門家から見れば仕掛けは不思議ではなかったかもしれないが、マジックを「ドラマ」にした点が画期的だった。西洋の観客にとっては見たこともない強烈なパフォーマンスであり、島田氏を売り込むための強力なプロモーションとして機能していた。

4. 人間・島田晴夫の魅力
質問: マジック以外で、人柄に「ビビッときた」エピソードはないか。

回答(濱谷氏): プライベートでは非常に親しみやすく、愉快な「おじさん」だった。お花見の席などでカジュアルにマジックを見せたり、先輩マジシャンの物真似を披露したりして周囲を楽しませていた。特筆すべきは、「決して人の悪口を言わない」ことで、その人徳の高さが世界中のマジシャンからリスペクトされる理由だった。

回答(清水氏): 私も濱谷氏も、島田氏と長年親しくしてきたが、マジックの種については一切聞いたことがない。それは種を知るためではなく、彼の「人間性」に惚れ込んで付き合ってきたからである。

この質疑応答を通じて、島田氏がいかにストイックな努力家であり、かつ周囲から愛される誠実な人格者であったかが改めて強調されました。

【写真:小野坂聰】

■第16回 閉会のご挨拶(清水豊彦)

MN7の清水豊彦氏による、島田晴夫氏への愛に溢れたメッセージでイベントは幕を閉じました。
「島田さんを語るには全然時間が足りない」
「種を聞くことよりも、彼の人間性に惚れ込んで付き合ってきた」
深い絆の理由が明かされた感動の瞬間でした。 和傘やドラゴンの深い分析は、また別の機会に!
次回のテーマは「マジックと子ども」です!
,【写真:小野坂聰】

■第17回 打ち上げ懇親会

イベント終了後、近くの中華レストランで関係者、登壇者、招待者が集まり、打ち上げ懇親会を行いました。
レポートは今回で終わりますが、ご愛読ありがとうございました。

【写真:中村安夫・加藤潮】

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