「マジックと特許」(ゾンビボール編)

中村安夫

(編集者注)以下の内容は、マジック同人誌ToyBox Vol.13(2013.12.30発行)に掲載されたものです。オンラインでは初めての公開になります。一般の人も目にするため、種明かしとなる特許図面の掲載は控えました。

はじめに

「ゾンビボール」は私が大学時代に初めてステージで演じたマジックですが、このマジックの秘密を知った時の驚きは今でも忘れられません。このようなシンプルなギミックで、金属製のボールが空中をフワフワと動き回る現象を生み出せることにとても興味を持ちました。それ以来、長い間、私のお気に入りマジックになっており、横浜マジカルグループ(YMG)の発表会でもたびたび演じてきました。

最近、奇術研究家の松山光伸さんとの情報交換により、ゾンビボールの特許が創案者のJoe Karson (1912~1980年)氏(米国)から1940年代に出願されていたことが分かりました。そこで、その内容を詳しく調べてみたところ、興味深い事実を発見しましたので、以下に紹介します。

1.ゾンビボール特許

Joe Karson氏 がILLUSION APPARATUSという名称で1946年10月4日に米国特許商標庁に出願し、1949年 11月8日に登録された。(特許番号:US 2487140、発明者名:Joseph A. Karson)

特許明細書は1ページで、図面は3つ付けられている。クレーム(特許請求の範囲)は2項で現在知られているゾンビボールの構造と使い方がそのまま書かれている。米国特許の権利期間は出願日から20年間なので、1966年10月4日に権利は消滅し、公知になったことになる。つまり、この特許情報を見てゾンビボールの道具を製造販売しても問題ないことになる。ちなみに、私が初めて購入したゾンビボールは1970年6月頃、力書房の製品であった。その後、テンヨーなどいくつかの製品を試してみたが、現在ではテンヨーの製品を使用している。

面白いことにこの特許の審査時に引用された文献は日本人のYoshiharu Mikamo氏とIshizo Koda氏が出願した「けん玉」(Toy)の特許である。(1932年5月25日出願、1934年1月9日登録)

「けん玉」の特許の図面をみると、ゾンビボールの構造と類似していることから、ゾンビボールの特許審査過程で引用されたものと思われる。しかし、ゾンビボールの発明が生み出した新しい現象と効果については、独創的なものと判断され、特許として認定されたと考えられる。

なお、明治時代に「けん玉」と呼ばれていたものは、真っ直ぐな1本の棒と、1つの球とが組み合わさって出来ていた。現在のようなけん玉が生まれたのは大正時代になってからである。当時は「日月ボール」と呼ばれていた。「日月ボール」は大正7(1918)年10月1日に広島県呉市の江草濱次(えぐさはまじ)氏が考案・出願し、大正8(1919)年5月14日に実用新案として登録された。しかし、米国に出願された発明者とは異なるので、その違いについては不明である。

2.ゾンビボールの歴史

創案者はJoe Karsonジョー・カースン(本名ジョセフ・アレクサンダー・クラノフスキー)といい、両親はポーランドからの移民であった。10歳の時初めてマジック・ショーに出演し、以降中国人の恰好をして演じていた。彼はミュージシャンでもあり、ギター、ウクレレなどの演奏をして収入を得ていた。その後ディーラーとしてマジックショップを持ち、ディーラー・ショーでも一流になり、いろいろなコンベンションに出演した。

1943年「ゾンビボール(Zombie)」を創案し、1943年8月に「ゾンビボール」の最初の広告が奇術誌に掲載された。初期のボールの材質は銀色に着色されたガラスであり、直径3インチで価格はわずか5ドルであった。ガラス製のため壊れやすかったが、当時は戦時中のため、軽量のアルミニウムの材料が入手困難だったためである。その後、1943年12月にアルミニウム製のボールが7.5ドルで販売され、1946年までには4インチの「ゾンビボール」が10ドルで販売されるようになった。

カースンは1946年10月に特許を出願し、1949年11月に特許登録され権利を取得した。1950年代後半にアボット、タンネン社に特許を売った。またたく間に全世界に知られることとなり、20世紀最大の演目となった。「ゾンビ」の名前は当時流行っていた幽霊映画に例えて、死んだ人間が生き返ってボールになったように演じる意味である。アイデアは、トイレを修理していてフロートを見て思いつき、すぐに風呂からタオルを持ってきて、友人の前でフロートを使って演じたのが始まりだという。

その後、多くの有名なマジシャンが「ゾンビボール」を演じ、また新しい「ゾンビ」バージョンを生み出してきた。

マジックのチャベス・カレッジを卒業し、講師を務めたニール・フォスターは彼の代表手順として、ゾンビボールを演じた。彼はボールのカバーとしてスカーフと大きな東洋の扇子の両方を使用し、手順の最後にボールを分裂させて2本の花束を出現させた。ニール・フォスターの演技に触発されて、ノーム・ニールセンは1966年に「フローティング・バイオリン」を創案した。

アリ・ボンゴはコメディー風に演じ、デビッド・カッパーフィールドは1978年のTVスペシャルでドン・ウェインのダンシング・ハンカチを演じた。ダンシング・ハンカチはゾンビボールの原理を発展させたものであり、カーソンの着想を新しいレベルに引き上げた。

ランス・バートンは1982年FISMローザンヌ大会で生きた小鳥が入った鳥籠を浮かしグランプリを獲得した。また、トミー・ワンダーは改良した「ゾンビ」ギミックを開発し、「新浮揚システム(New Levitation System)」として商品化した。

カースンは晩年、アルコール依存症になり、アシスタントで最愛の妻アンネとも離婚し、身体の自由もきかなくなり、さびしい人生になった。1980年67歳で死亡。
【出典】”Joe Karson Beyond Zombie” (Michael E. Rose著1999)

3.ゾンビボールの参考文献

ゾンビボールが創案されてから、20年後の1966年に力書房から「奇術研究 42号」が発行された。この号では高木重朗氏による「特集ゾンビボール」が7ページに渡って解説された。この時期にゾンビボールの本格的なステージ手順とその方法が詳しく解説されたのは、世界的にみても先駆的な偉業だといえよう。

 

 

 

 

ちなみに、ルイス・ギャンソン氏の”Teach-in Series: Zombie, the Floating Ball”が発行されたのは、その11年後の1977年であった。

1999年にMichael E. Rose氏による”Joe Karson Beyond Zombie”が発行された。この本は211ページに渡る労作で、ゾンビボールの創案者ジョー・カースン氏の生涯と創作物について紹介されている。ゾンビボールについては第9章に計10ページの記載がある。

【参考文献一覧】

■「奇術研究 42号」(力書房、高木重朗著、1966)
■「ゾンビボールの研究」(力書房、厚川昌男著、1968)
■「ゾンビボ-ル随想」(私家本、植木将一著、1975)
■”Teach-in Series: Zombie, the Floating Ball” (Lewis Ganson著、1977)
■「不思議 創刊号」(マジックマガジン社、高木重朗著、1981)
■”Joe Karson Beyond Zombie” (Michael E. Rose著1999)

(その他の海外文献)
1946 – Tips on Zombie By Joe Karson
1963 – Further Tips on Zombie By Neil Foster
1965 – A la Zombie By Ian Adair
1970 – A la Zombie Plus By Ian Adair
1977 – Teach-in Series: Zombie, the Floating Ball By Lewis Ganson
1981 – Al Schneider on Zombie
1983 – The Ken Brooke Series No. 7: The Finn Jon Zombie Routine
1983 – The “How To” Book on Zombie By Merlyn Shute
1991 – Magic City Library of Magic No. 20 – Zombie Ball By Leo Behnke

【ビデオ】
■Zombie Ball (World’s Greatest Magic) ? DVD (L&L Publishing)
アル・シュナイダー、ジェフ・マクブライド、トミー・ワンダーの方法が解説されている。

終わりに

今回の調査で感じたことは、ゾンビボールの歴史は意外に新しいことでした。また、創案者が特許を出願し、登録許可されたことにより権利化され、正当な形でマジックディーラーに製造販売権が譲渡されたことは非常に興味深い事実でした。

これを契機に、その他のマジックについても特許に関する調査をしようと思い、現在、別の事例についての調査を進めています。発表できる段階になりましたら、紹介したいと考えています。

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