天海の4A(1920年頃の考案)について

石田隆信

天海の4Aが、1920年(大正9年)頃の考案であることがわかりましたので、そのことについて報告します。

天海の4Aとは、3枚のダブルフェイスカード(DFカード)を使った4Aアセンブリーです。4枚のエースを表向きに並べ、それらの上へ3枚ずつ裏向きに重ねますが、三つの山からは鮮やかにエースが消失し4番目の山に集まります。3枚のDFカードを使っているために鮮やかなエースの消失が可能となっています。

現在ではDFカードの4Aアセンブリーをマクドナルド4Aの名前で知られています。マクドナルドの名前がつけられた方法は、1960年にバーノンにより発表された作品が最初です。Lewis Ganson著 “Dai Vernon’s More Inner Secrets of Card Magic” に “McDonald’s $100 Routine” として発表されています。それに対して天海の4Aは、1959年にテンヨー社から商品として発売されていました。1958年に米国より帰国された天海師の記念として、任天堂と提携してこの作品のためのカードが制作されたことも解説書には記載されています。天海師の作品であったことと、シンプルで上手く構成された手順であったことから話題となり、日本ではDFカードを使った4Aアセンブリーの代表作となりました。1960年代から70年代にかけて天海の4Aの名前で知られるようになります。しかし、1980年代にはこの名前が忘れられる存在となり、その頃より日本でもマクドナルドの名前が一般的となります。

天海の4Aについては、横浜の小川勝繁氏より1920年頃に考案されていたとの情報をいただきました。そして、DFカードを使った天海4Aトリックが解説された天海メモの写しを見せて頂きました。その解説には「1920年頃に考えたもの、渡米の前すでに演じていたルテーン」と天海師の直筆で書き加えられていました。なお、天海師は1924年に渡米されています。天海メモは手書きですので、その記載が天海師のものであることがハッキリしています。1959年の商品での方法と同じです。その当時の記載ではなく、かなり後で書かれた解説ですので、当時の方法とは少しの違いがあるのかもしれません。しかし、全体的には大きな違いがないと考えられます。そこで私も「天海メモ」を調べてみることにしました。大阪の中之島図書館の大阪資料古典籍室には「天海メモ」が16巻書蔵されています。その中の第10巻に、このマジックに関しての別のコメントがあり、天海師は「日本内地でいる時に、米国で半年、日本で半年いるというスタンダードオイル会社の伊藤一隆氏から覚えた」と記載されていました。また、1930年代初め頃に、この4Aをジェラルド・コスキー氏へ見せていたことも分かりました。

1920年頃の発行文献や商品を調べますと、1920年にGeo Delawrence & James Thompson著 “Modern Card Effects” の本が発行されており、DFカードを使った4Aトリックが解説されていました。それを伊藤氏より見せられたのではないかと考えられます。この本には、片手での投げ出しによるエースの消失が解説されていますが、それが少し問題に感じる方法でした。天海師はその投げ出しの方法を工夫されただけでなく、全体的に改良されて天海の4Aを完成させたと考えられます。それ以前にも英語の解説では、1909年のThe Art of Magicの方法や1913年のDeLandの方法が発表されていますが、片手での投げ出しがない単純なものでした。

現在ではマクドナルド4Aの名前が一般的になっています。それは上記のバーノンの作品だけでなく、1972年発行のNew Stars of Magicシリーズのフランク・ガルシアによる “McDonalds $100 Four Ace Trick” が発表されたことも大きく関係しているようです。3回の違ったAの消失法が使われ、マニアの興味がより一層高まったと考えられます。それまでは、片手の投げ出しによるエースの消失が3回繰り返されるのが基本でした。その点でも天海師の方法では、繰り返しにならないように工夫されただけでなく、実践的な方法となっていました。この方法が海外では発表されていなかったのが残念です。

ところで、DFカードの4Aアセンブリーの原案者は19世紀中頃のオーストリアのホフジンサーであることが最近では知られています。2005年Genii誌11月号には1850年代後半にホフジンサーにより実演されていたことも報告されています。ホフジンサーのカードマジックのドイツ語の本が、Ottoker Fischerにより1910年に発行され、英訳版がS.H.Sharpeにより1931年に発行されています。そして、1986年のDover社版が安価で発行されたことにより、ホフジンサーの功績がより一層世界中に知られることになります。DFカードの4Aトリックが解説されるときに、原案者としてのホフジンサーの名前が記載されるようになるのは1980年代後半になってからです。ホフジンサーの方法では、4Kを使う方法と4Jを使う方法の2作品が解説されており、既に片手でカードを1枚ずつ表向きに投げ出す方法が行なわれていました。

なお、もう少し詳しい内容については、フレンチドロップの「不可解なマクドナルドエーセス」を参考にしてください。

■ フレンチドロップ コラム「第76回 不可解なマクドナルドエーセス」(2016.10.14up)

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