“Sphinx Legacy” 編纂記 第41回
加藤英夫
出典:”Sphinx”,1922年12月号 執筆者:Leo Rullman
マジック文献のコレクターについての論評です。面白い話なので、翻訳しておきました。ただし、部分的に飛ばしたところもありますし、かなり意訳している部分もあります。
数年まえのMartinkaの会合で、Thurstonがアメリカにはマジック文献コレクターが5万人以上いると発言しました。その発言を額面通りに受け取ることはいたしませんが、私は文献を販売する側の立場から、コレクションという趣味の広がりについてお話しさせていただきいと思います。
私がマジック文献の扱いに関係してから約25年の月日がたちましたが、その間、様々なタイプのコレクターを見てきましたので、マジック文献のコレクションについて、ファーストハンドの情報を得てきたと言えるでしょう。マジック文献のコレクションは、Professor Hoffmanが”Modern Magic”を発表して以降、急激に増えたことは間違いありません。コレクターには、ただ集めるのが面白いから集めている人と、実用的な目的のために集めている人がいます。
コレクターの大半は前者に属する、楽しみとして集めるのタイプの人たちです。それらの人たちは、珍しいもの、アウトオブプリントになったものなどを集めるのが大きな喜びであると言います。そのようなものを探し求めることはたいへん魅力的なことであり、ここ25年の間にそのようなコレクターは10倍に増えたのではないでしょうか。それだけ増えたがために、ますます見つけるのが困難になってきています。
コレクターの習癖は面白いもので、初版本、サイン付きの本、そして読んだ人の痕跡が残る、いわゆる手沢本なども珍重されます。中には外観など気にしないで集める人もいます。そしてハードカバーものだけを集める人もいます。そしてとくに面白いのが、あるテーマに関するありとあらゆる本を集めることに熱中する人もいます。しかしそれらのすべての人の野望は、1人の一生では実現するようなものではありません。
そのようなことでマジック文献コレクターは飛躍的に信奉者を増やしてきましたし、これからも同じペースで増え続けるでしょう。しかしながら、Thurstonが示した5万人という人数に達するまでには、まだ年月がかかると思います。
コレクターにはただ集めるのが面白いからやっている人と、実用的な目的のために集めている人がいる、と指摘しています。これはまさに的を射ている指摘ですが、ひとつのタイプを抜かしています。それは、両方の要素を持ったコレクターです。私などはその1人であると思います。役立つと思うからこそ、集めるのがより面白く感じるのです。
そのように思っているにもかかわらず、自分の中では、”ただ集めるのが面白いから集めている”という部分が多くを占めていることを告白いたします。それはまことに病的なものです。一昔に凝ったウクレレの場合などは、ハワイ旅行したときに購入したものも含めて、30台以上のウクレレを購入して、練習もほとんどせず、演奏の方はまったく進歩していません。”そんなに買わなければ、高いワインが買えたのに”などと思う、ワインに凝っている今日このごろです。まったく救いようのないコレクション癖なんです。
私にとって、マジックの場合はまだ救いようがあります。”いつか役立つかもしれない”ということがあるからです。そう言えば、蓮井彰氏もマジックのビデオをたくさん収集されました。高木重朗氏もたくさんの蔵書を残されました。石田天海師の”天海ノート”も、コピーは国会図書館にありますが、ほとんど眠った状態です。
コレクションしたこと自体は、本人にとっては喜びだったのですから、文句を言う筋合いはありません。しかしそれを残して世を去ったとき、それが後世の人たちに役立つものだ、という考えを持ってコレクションしていれば、喜びも大きいものになるのではないでしょうか。その点では、コレクションを”マジックミュージアム”として立派にまとめられた、帯広の坂本和昭氏の功績は大きいと思います。
私もそのようなことを考えて、マジック文献のコレクションをすることにしました。そしていまやっている仕事が、そのひとつの回答です。たくさんの文献を集めたからこそ、幅広い情報を得ることができるのです。集めた情報を役に立つようにまとめて公表すること、それは私の喜びなのです。
“Sphinx Legacy”著述・編纂のためのネット調査中に、数多くのデジタルマジック文献をダウンロードしてきました。それにも私のコレクション癖が大いに発揮(?)されて、いまのところ1000冊ぐらいたまりました。その中には、この20年ぐらいに発行され、あきらかに著作権の切れているはずのないものまであります。
それらを生かすひとつの方法は、それらを希望する人に提供することです。しかしいくらパブリックドメインのものでも、ダウンロードしたものを販売するのはもちろんのこと、無償で提供することも私の気持ちが許しません。法律が許すとしてもです。とくに無償でどんどん配布することは、受け取った人が何の努力もなく入手できるわけですから、それらに価値を感じないでしょうし、それゆえにそれらを読んで生かしてもらうことにもつながらないと思うのです。そこで思いつきました。”Sphinx Legacy”の最終巻の巻末に、それらの文献のダウンロードアドレスをリストアップすることを。
あきらかにパブリックドメインでないものは含めません。アドレスを紹介するだけであれば、欲しいには人は自分で手間をかけてダウンロードしていただくことになります。そうすることによって、入手したものの有り難みが、何もしないでもらうよりも感じられるのではないかと思うからです。
(つづく)