“Sphinx Legacy” 編纂記 第66回

加藤英夫

出典:”Billboard”, 1944年2月12日 執筆者:Bill Sachs

The Great Ballantine(Carl Sharp)は、先週CincinatyのAlbeeのRKOに出演しましたが、Stewart Judahを含め、多くのマジシャンが見に集まりました。彼のバイタリティに溢れ、しかも激しい口調のしゃべりは、マジック好きの観客だけでなく、一般の観客にも大受けしていました。いままでは各地の二流劇場に出演していましたが、今回Chicagoでこのアクトでブレークしたことは、彼のキャリアにおいてたいへん重要なことでした。彼の芸は以前よりはるかに磨きがかかっており、アメリカのメジャーなヴォードビル劇場を席巻しています。彼の成功を証明するかのように、すでに4人のマジシャンが彼の真似をやっています。

Ballantine がコメディマジシャンとして磨きがかかってきたことが書かれていますが、できれば具体的にどういう点で磨きがかかったのか知りたいものです。”Billboard”で残念なのはたいていの場合、そのようなことについて書かれていないことです。ニュース誌であるから当然のことであるかもしれませんが。

travsd.wordpress.comより

Ballantineの演技として、対照的な2つの動画をご覧ください。

これらの動画を見ると、バランタインが体全体でコメディアン的に演技している様子が見て取れます。マジシャンは手先で演技することに注力しますが、体全体で演技するということは、とくにコメディマジシャンが’おかしさ’というものを表現する上で重要なファクターであると思わされる動画です。前者は少人数に見せていて、後者では大勢の観客に見せています。後者の方が、彼の演技の動きが大きいという違いが感じられました。

このように観客のスケール、演じる場のスケールによって、演技動作の範囲の違いというものが存在することが、この2つの動画を見て感じられました。マジシャンというものは、手先で行う現象を見せるものではなく、使う道具、テーブル、演じられるマジック、そしてマジシャンの動き、それら全体がアクトやショーを生み出すという当たり前のことを、強く思い知らされた動画です。

このようなことはコメディマジシャンの場合にとくに言えることかもしれませんが、スマートなマジックにおいても重要なことかもしれません。ポロックが登場するときの歩き方、シルクを取り出すときの格好のよいこと、アシスタントの立ち方の美しさ、そしてほとんど観客に対してアピールの仕草を見せないことなど、その全体の雰囲気をポロックは計算して構成していたのではないでしょうか。

日本のコメディマジシャンのスタイルを辿ると、アダチ龍光、伊藤一葉、マギー司郎のように、絶妙な話芸による演技でした。これはおそらく寄席、ミュージックホールなど、比較的観客数の少ない仕事場が多いことに関係しているのでしょう。ヴォードヴィルのように、2000~4000人という、多くの観客の前で演ずる仕事が多いマジシャンは、舞台を広く使うようにする傾向がありますから、バランタインのように動きまわりながら演ずるというスタイルが生まれたのでしょう。

そのようなことを考えると、6000名という大観客を収容する劇場で、どちらもスライハンドマジシャンなのに、カーディニは成功したのに、バーノンは成功しなかった理由がわかってくると思います。バーノンは1人で演技しますし、それほど体の動きは大きくありません。カーディニはスワンというアシスタントとの掛け合いもありますし、空間を広く使って芝居的なシーンを生み出しています。

はてさて、バランタインがある人の誕生日パーティに呼ばれて、それほど広くない部屋でマジックを演じたとしたら、後者の動画のような動きで演じたでしょうか。きっと違うと思います。プロなら、その場に合った演じ方をするでしょう。

(つづく)