「奇術師のためのルールQ&A集」第6回

IP-Magic WG

Q:スポーツメーカーのS社がダンシングケーンを健康器具として販売する計画を立てています。

ケーン本体部分は茶色い樹脂製、糸の部分は太さが5mmもある黄色いナイロンテグス製ですので、ケーンを振れば、糸の存在は誰が見ても明らかです。製品には、ケーンの振り方の初歩から高度なエクササイズ技まで解説したビデオが同梱され、S社のジムでは、この健康器具の使い方教室まで開かれるようです。こんなものが世の中に広まれば、ダンシングケーンの奇術を演じることはできなくなるとの危惧を抱いています。

S社に、この製品の販売を自粛させることはできますか? もし販売を強行したら、損害賠償を求めることは可能ですか? また、S社は、この商品のために「ダンシングケーン」という商品名を商標出願するそうです。この出願が認められたら、一般のマジックショップでダンシングケーンを販売することができなくなってしまうのでしょうか?

そもそも「ダンシングケーン」という製品は昔からマジックショップで販売されているものなのに、S社の商標出願は認められるのでしょうか?

A:お話をうかがったところ、正に奇術のダンシングケーンを健康器具として販売する計画のようですね。

たしかに、ダンシングケーンを振る演技は、いいエクササイズになりそうですが、問題は、奇術のダンシングケーンのタネがバレてしまう点ですね。太さが5mmもある黄色いナイロンテグスを指にかけて振っていれば、誰が見てもテグスで操っていることが明白です。もちろん、健康器具なのでテグスを隠す必要はなく、太い堅牢なナイロンテグスを採用する理由はよくわかりますが、あちこちの公園で、このダンシングケーンを振って体操する人が増えてきて、社会的なブームにでもなれば、もはや奇術としてダンシングケーンを演じる人はいなくなるかもしれません。

ただ、奇術のタネがバレるから、という理由だけで、S社に販売を自粛させることはできません。販売自粛を要求するには、何らかの法的根拠が必要です。

ダンシングケーンのような奇術用具に対して、直接的な保護を与える権利は特許権や実用新案権です。もし、最初にダンシングケーンを考案した人が特許を取得していたとすれば、権利存続期間中は独占権を行使できるので、無断でダンシングケーンを販売することはできません。もちろん、ダンシングケーンのような古典的奇術の場合、仮に特許が取得されていたとしても、権利存続期間(通常は、どこの国でも出願から20年です)はとっくに切れているので、ご質問のケースの場合、特許権に基づいてS社に販売自粛を求めることはできません。

ただ、ここでは参考のため、もし誰かが、現時点でダンシングケーンの特許をもっていたと仮定して、S社に販売自粛を求めることができるかを考えてみましょう。結論から先に言えば、答えはノーです。なぜなら、奇術のダンシングケーンとS社のダンシングケーンとは、決定的な違いがあるからです。それは、前者の場合、演技中に糸が見えないことが前提となっているのに対して、後者の場合、糸がはっきり見える構造になっている点です。奇術のダンシングケーンは、あくまでも不思議な力でステッキが踊っているように見せる道具ですから、細くて目立たない艶消しの黒い糸が使われます。

一方、S社のダンシングケーンは、エクササイズに用いるため、強い力が加わっても切れないように太いテグスが用いられています。しかも、意匠性を高めるため、目立つ黄色のテグスになっています。したがって、奇術用のダンシングケーンと健康器具としてのダンシングケーンは、特許上は別発明になります。

特許では、その構成に基づく作用効果が重視されます。奇術用のダンシングケーンの場合、「観客には見えない糸」という固有の構成に基づいて、「不思議な力で踊っているように見える」という作用効果が生じます。S社の健康器具としてのダンシングケーンには、このような固有の構成に基づく作用効果が生じていません。したがって、もし、現時点で奇術のダンシングケーンの特許が有効であったとしても、その特許に基づいて、S社の健康器具としてのダンシングケーンについての販売自粛を求めることはできません。つまり、特許の観点からは、奇術用具のダンシングケーンと健康器具のダンシングケーンとは全く別物ということになります。

ご指摘のとおり、S社がこの健康器具の販売を開始すると、マジシャンはダンシングケーンの演技を行いづらくなり、マジックショップではダンシングケーンの売上減少が予想されます。では、その損害を補填するため、S社に対して損害賠償を求めることは可能でしょうか? 答えはやはりノーです。

相手方に損害賠償請求を行うためには、いくつかの条件が必要になります。まず第1に、相手方の行為に故意または過失が必要とされています。ご質問の例の場合、S社がマジシャンに故意に損害を与える意図をもっていたとは思えませんし、S社に過失があるとも思えませんので、第1の条件は満たされないでしょう。第2に、損害賠償を請求する者が実際に損害を被っており、その損害と相手方の行為との間に因果関係が必要とされます。たとえば、プロマジシャンが、「ダンシングケーンを演じられなくなったので、ギャラ20万円の仕事をふいにした」と主張したとしても、20万円分の賠償は認められないでしょう。S社が健康器具を販売しても、ダンシングケーンを演じることは可能ですし、代わりにゾンビボールを演じてもよかったわけですから、S社の行為と20万円の損害との間に直接的な因果関係は認められないでしょう。そして第3に、損害賠償を求めるには、相手方の行為に違法性があることが前提になります。S社の行為には特許権侵害等の違法性はなく、そもそもS社がこの健康器具を販売することは違法ではないのです。したがって、S社がこの健康器具を販売しても、マジシャンがS社に損害賠償を求めるようなことはできません。

最後に、「ダンシングケーン」という商標についてですが、S社がこの健康器具について「ダンシングケーン」という商品名で商標出願を行った場合、認められる可能性が高いです。一般に、ある商品の普通名称をその商品について商標出願しても認められません。たとえば、チョコレートという商品について「チョコレート」という商標を出願しても認められません。「チョコレート」は商品そのものの名称なので、商標としての資質を備えていないのです。しかし時計という商品について「チョコレート」という商標を出願すれば認められます。同様に、ダンシングケーンという奇術用具について「ダンシングケーン」という商標を出願しても認められませんが、健康器具という商品について「ダンシングケーン」という商標を出願すれば認められます。したがって、S社が「ダンシングケーン」という商標権を取得してしまう可能性が高いですが、その商標権はあくまでも健康器具の商品名としての権利に限定されるので、奇術用具に関して何ら制約を与えるものにはなりません。

(回答者:志村浩 2020年11月10日)

  • 注1:このQ&Aの回答は著者の個人的な見解を示すものであり、この回答に従った行為により損害が生じても、賠償の責は一切負いません。
  • 注2:掲載されている質問事例の多くは回答者が作成したフィクションであり、実際の事例とは無関係です。
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