「奇術師のためのルールQ&A集」第15回

IP-Magic WG

Q:和服姿で講談調の言いまわしでマジックを演じているプロマジシャンです。

演技の最後に、「古今東西、不思議のネタは尽きねども、夢まぼろしはかくのごとし」という台詞を言って演技を締めくくり、一礼して退場するパターンを定着させています。

この締めの台詞は、私が考えたオリジナルのフレーズですが、このフレーズ自体は著作権による保護を受けることができますか? もしこのフレーズが今年の流行語大賞を受賞するようなことになった場合、どこかの業者がこのフレーズを印刷した商品を販売するかもしれません。そのような場合、私の著作権に基づいて、この業者に対してロイヤリティーの支払を要求することは可能ですか?

A:著作権法上、著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術または音楽の範囲に属するもの」と定義されています。

この定義では「思想又は感情を創作的に表現」となっているので、著作権の保護対象となる著作物は「創作的な表現」である必要があります。つまり、保護対象となる著作物には「創作性」が必要とされています。

この「創作性」の有無については、いろいろ議論があるようですが、たとえば、マリックさんが流行させた「きてます、きてます」のような短い語句それ自体は、「創作性」がないとして著作権による保護は受けられないでしょう。また、著作権法では、事実の伝達にすぎない雑報や時事報道は著作物に該当しない、と規定されているので、たとえば「明日の天気は、曇りときどき晴れ、南部では、夕方から一時雨が降るでしょう。」のような文章は、単に事実を述べただけであり、著作権法上の著作物には該当しません。

同様に「タネもしかけもありません。」という文や「1枚好きなカードを引いてください」という文も、著作権法上の著作物には該当しません。こんな文に著作権が認められたら、奇術を演じることができなくなってしまいますよね。

一方、「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句は、上記天気予報に比べても非常に短い文章ですが、創作性が認められ、著作物に該当すると認定されるでしょう。俳句であれば、たとえ17文字からなる短い文であっても、「思想又は感情の創作的表現」に該当しそうな気がしますよね。もっとも、芭蕉は300年以上も前に亡くなっていますから、もし江戸時代に現代の著作権法があったとしても、芭蕉の著作権はとっくに切れていることになります。

それでは「あしたなら、昼間は曇り、夜は晴れ」はどうでしょうか? 単なる天気予報であり事実の伝達に過ぎず、著作物には該当しない、と判断する人もいるでしょう。これに対して、俳句の会のメンバーであれば、「運動会が明日ならよかったのに、という感情がよく表現されています。特に『あしたなら』の部分には、今日の運動会は雨で散々だったので非常に悔しいという思いが滲み出ています。」などと評価し、「思想又は感情の創作的表現」になっているので、当然著作物に該当する、と判断する人もいるでしょう。

実際のところ、どちらが正解なのかは誰にもわかりません。ただ、法廷での争いになった場合は、やむを得ず、裁判官がどちらかを決定することになります。もしかすると、裁判官が俳句を趣味としているか否かで、判断が異なってくるかもしれません。

さて、ご質問のケースでは、「古今東西、不思議のネタは尽きねども、夢まぼろしはかくのごとし」というフレーズが著作権の保護対象となる著作物、すなわち、「思想又は感情の創作的表現」に該当するのか否かが問題になるわけです。著作物に該当すると判断できれば、著作権が発生し、このフレーズを印刷した商品を勝手に製造することは著作権侵害になります。この場合、あなたは、この商品を製造する業者に対して、著作権侵害を理由に、製造中止を求めたり、ロイヤリティーの支払を求めたりすることができます。

一方、著作物には該当しないと判断される場合は、そのような権利は一切生じません。著作物に該当するのかしないのか、残念ながら、ここで明確な回答を示すことはできません。人によって解釈は分かれ、専門家の間でも意見が割れる問題かと思います。裁判官が奇術を趣味としているか否かで、判断が異なってくるかもしれません。

ただ、私見としては、俳句の17文字に対して、ご質問者のフレーズは30文字以上ある長い文であり、全体的に講談調・文語体の言いまわしになっており、世の中の道理を訴えかけている内容にもなっていることを考慮すると、「思想又は感情の創作的表現」に該当し、著作権法上の著作物として保護を受けられると思います。

なお、著作権で留意すべき点は、著作物を真似した場合は著作権侵害という違法行為になるのですが、真似したわけではないが、偶然似たような著作物が創作された場合は著作権侵害にはならない点です。

いま、Aさんの著作物aが先に存在し、その後でBさんの著作物bが生まれたとしましょう。この場合、著作物aと著作物bが類似していたとすると、その原因としては、

(1) BさんがAさんの著作物aを見て、これをパクって著作物bを創作したために両者が類似した(「パクリ」による類似)というケースと、

(2) BさんはAさんの著作物aの存在を全く知らず、全く独自にオリジナルの著作物bを創作したが、偶然、両者が類似していた(「偶然」による類似)というケースが考えられます。

著作権法では、「パクリ」による類似のケース(1)は著作権を侵害する違法行為、「偶然」による類似のケース(2)は著作権非侵害の合法行為、ということになります。

したがって、たとえ一字一句が同一の場合でも、それが「偶然の一致」であれば、著作権侵害にはならないのです。たとえば、あなたが芭蕉の句を全く知らずに、「古池や蛙飛び込む水の音」という句を創作したとすれば、この俳句はあなたの著作物であり、芭蕉の著作物とは全く別物になります。このように、著作権制度では、全く同一内容の著作権が複数存在することもあり得るのです。

もっとも、芭蕉の句はあまりにも有名であり、17文字が完全に一致する偶然はかなり起こりにくいので、あなたが裁判所でそのような主張を行っても、おそらく裁判官は信用してくれないでしょう。

ご質問のケースの場合、あなたのフレーズは、「古今東西、不思議のネタは尽きねども、夢まぼろしはかくのごとし」というものです。もし、どこかの業者が、一字一句同一のフレーズを印刷した商品を販売したら、あなたの著作権を侵害する行為として、販売中止を求めたり、ロイヤリティーの支払を要求することは可能でしょう。

それでは、その業者が「東西南北、魔法の種は尽きねども、夢まぼろしはかくのごとし」というフレーズを印刷した商品を販売したらどうでしょう。全く同一というわけではありませんが、かなり類似してますよね。あなたが「私のフレーズを勝手に真似するな!」と文句を言うと、相手方は「真似じゃない。私が独自に創作したオリジナルのフレーズだ!」と反論するかもしれません。

両フレーズが類似していることは確かですが、あなたの主張が「パクリによる類似」であるのに対して、相手方の反論は「偶然による類似」となっており、意見が食い違っています。「パクった」のかどうかの真相は、相手方の心の中を読まなければ誰にもわかりません。もし裁判になれば、相手方があなたの演技を見ていたという状況証拠があるかどうか、両フレーズが偶然類似する可能性はどの程度あるのか、といった点が考慮され、裁判官の心証で白黒が決まることになるでしょう。

ここでは、参考のため、比較的短いフレーズについての著作権が争われた事件を簡単に説明しておきます。この事件は松本零士氏と槇原敬之氏との間で争われました。松本氏は「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」などの作者として知られる漫画家で、槇原氏は「世界に一つだけの花」などを手がけたシンガーソングライターです。両氏ともに著名人だったため、マスコミが大きく取り上げました。

事の発端は、2006年に槇原氏が提供した「約束の場所」という楽曲の中に「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」というフレーズが含まれていたことです。このフレーズを見た松本氏が、著作権侵害として槇原氏を訴えたのです。松本氏の主張は、「銀河鉄道999」エターナル編の第1話に、「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」というフレーズがあり、槇原氏の楽曲はこのフレーズを盗用したものだ、というものです。

第1審の東京地裁では、著作権侵害を認めず、槇原氏側が勝訴する判決が出されました。その後、控訴がなされ、第2審の知財高裁の審理中に両者の和解が成立して一件落着となりました。実は、この事件では、両者のフレーズの創作性が争われたわけではなく、両者のフレーズの類似性が争点になりました。東京地裁では、「2人の表現は酷似しているとは言えない」として類似性が否定されました。

この事件で、両者の類似性が争点になったのは、「槇原氏が松本氏のフレーズをパクったのか」(「パクリ」による類似)、あるいは「槇原氏は松本氏のフレーズを全く知らずに独自のフレーズを創作したところ、2つのフレーズは、偶然、類似したものになったのか」(「偶然」による類似)、のいずれであるかを判断するためです。

前述したとおり、前者の場合は著作権侵害になりますが、後者の場合は侵害にはなりません。松本氏側が「このフレーズは、漫画本、CD-ROM、書籍、Webページなどに広く掲載されており、槇原氏はこれを見てパクったのだ」と主張したのに対し、槇原氏側は「銀河鉄道999は一度も読んだことがなく、松本氏のフレーズは全く知らない。私の歌詞は全くのオリジナルであり、松本氏のフレーズと類似しているとすれば、それは偶然だ」と抗弁しました。

一般に、両者の類似性が高ければ「パクリ」の可能性が高く、類似性が低ければ「偶然」の可能性が高いわけです。たとえば、100文字の文章Xがあって、それと7文字しか違わない別な文章Yがあった場合、両者の類似率は93%と非常に高く、「パクリ」と認定せざるを得ないでしょう。これに対して、17文字の俳句Xがあって、それと7文字違う別な俳句Yがあった場合、両者の類似率は59%であり、俳句という独特な著作物の特性を考えると「偶然」と認定しても不合理ではないでしょう。

上記事件の場合、東京地裁では、両フレーズは20文字程度の比較的短いフレーズでありながらある程度の相違があるので、酷似しているとまでは言えず、両者が類似しているのは、「パクリ」によるものではなく「偶然」によるものだ、と判断したわけです。

なお、上述した著作権の場合とは異なり、特許権や実用新案権の場合は、「パクリ」行為が権利を侵害する違法行為になるのはもちろんのこと、「偶然」による類似の場合であっても権利を侵害する違法行為になる点は注意すべきです。「パクリ」でなく、自分で考えたオリジナル発明であったとしても、それが偶然、他人の特許や実用新案と同じであれば、自分の発明を実施したとしても、当該他人の権利を侵害することになってしまいます。

たとえば、3人の研究者がほぼ同時期に、それぞれ独自の研究を行い、その成果としてたまたま同じ発明を行った場合、3人のうち、最初に出願を行った者(最初に発明した者ではありません)一人だけに特許権や実用新案権という独占権が与えられ、残りの2人は、権利が得られないだけでなく、自分の発明であるにもかかわらず実施することができないという状況に陥るのです。

要するに、著作権の場合は、他人の真似をせずにそれぞれ独自に創作した著作物であれば、それが他人の著作物と同一または類似する著作物であったとしても、創作時の先後にかかわらず、創作者ごとにそれぞれ個別の著作権が与えられる制度になっており、同一または類似する著作権が複数存在することがあり得ます。

これに対して、特許権や実用新案権の場合は、最初に出願した者(最初に発明した者ではありません)にだけ権利を与えるという早い者勝ちの制度になっており、同一または類似する特許や実用新案が複数存在することはないのです。

(回答者:志村浩 2021年1月24日)

  • 注1:このQ&Aの回答は著者の個人的な見解を示すものであり、この回答に従った行為により損害が生じても、賠償の責は一切負いません。
  • 注2:掲載されている質問事例の多くは回答者が作成したフィクションであり、実際の事例とは無関係です。
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