「奇術師のためのルールQ&A集」第83回

IP-Magic WG

Q:玩具メーカーのZ社が、「トラベリング デック」という言葉を商標登録してしまいました。手品用具に「トラベリング デック」という物品名を使うことができなくなってしまうのでしょうか?

大手の玩具メーカーZ社が、海外旅行に関するイラストをあしらったトランプを販売しており、このトランプに使う商標として、「トラベリング デック」という言葉を登録してしまいました。このトランプには、世界各国の観光名所のイラストが1枚ずつ描かれており、世界を旅行して歩くという観点から、「トラベリング デック」という商標を採用したものと思われます。

一方、奇術業界では、「トラベリング デック」という物品は周知の手品用具です。通常、26枚の同一カードと、26枚の普通のカードとを交互に積み重ね、同一カードの表面部分と普通のカードの裏面部分に粗面加工を施した道具が「トラベリング デック」と呼ばれています。しかも26枚の同一カードはいずれもショートカードになっているため、デックを弾くと、すべてのカードが同一カードになったように見せることができます。

このように奇術用具としてはよく知られている「トラベリング デック」ですが、この名前をトランプの商標として出願したZ社の行為はおかしいのではないですか? Z社の商標出願が登録されてしまったのは審査ミスでしょうか? 「トラベリング デック」という言葉についてZ社が商標権を所有するとなると、我々奇術家は「トラベリング デック」という言葉を勝手に使うことができなくなってしまうのですか?

私は米国のマジックショップから「トラベリング デック」を輸入して国内で販売しております。カタログにも「トラベリング デック」という物品名を明記して販売しているのですが、この販売行為がZ社の商標権を侵害する違法行為になってしまうのか不安でたまりません。

A:「トラベリング デック」という名称を、商標としてではなく物品名を示す言葉として用いる限り、問題なく使用できます。

奇術家として、「トラベリング デック」という言葉が商標登録されてしまったことは不可解と思われるでしょう。もし「リンキングリング」や「四つ玉」といった言葉が、一企業によって商標登録され、一般の奇術家が自由に使えないとなると大問題です。「トラベリング デック」は、必ずしも、すべての奇術家が知っているほど有名な道具ではないにせよ、トリックデックを愛する愛好家から見れば、かなりメジャーな手品用具と言えるでしょう。そのような手品用具の名前がZ社によって商標登録されてしまったのですから、不可解な感じを抱くのも当然かもしれません。

商標法では「商品の普通名称については、商標登録を行うことができない」とされています。ここで「普通名称」とは、その商品の名前を意味し、たとえば、「トランプ」、「時計」、「冷蔵庫」といった言葉は、その商品の「普通名称」に該当します。したがって、トランプという商品について「トランプ」という商標を出願しても登録にはなりません。なぜなら「トランプ」という言葉はトランプという商品の「普通名称」だからです。同様の理由で、時計という商品について「時計」という商標を出願したり、冷蔵庫という商品について「冷蔵庫」という商標を出願したりしても、いずれもその商品の「普通名称」であるから、という理由により登録されません。

同じ理屈により、トラベリング デックという商品について「トラベリング デック」という商標を出願しても、登録はされません。それでは、今回のケースで、Z社の商標出願が登録されたのはなぜでしょう。それは、おそらくZ社が、トランプという商品について「トラベリング デック」という商標を出願したためと思われます。「トラベリング デック」という言葉は、トランプという商品の「普通名称」ではないので、登録されたわけです。

たとえば、冷蔵庫という商品について「トランプ」という商標出願した場合も登録になります。「トランプ」という言葉は冷蔵庫の商標として用いられるので、いわば「トランプ印の冷蔵庫」というようなニュアンスになります。この場合、商標権はあくまでも「トランプ」という言葉を冷蔵庫という商品の商標として使う権利ということになります。別言すれば、「トランプ」という言葉をトランプという商品の商標として使う権利ではないわけです。

同様に、Z社の商標権はあくまでも「トラベリング デック」という言葉をトランプという商品の商標として使う権利であり、手品用具という商品の商標として使う権利ではないわけです。このような説明をすると、Z社の商標権の存在により、「トラベリング デック」という言葉をトランプという商品の商標として使うと権利侵害になるが、手品用具という商品の商標として使う上では問題ない、と思われるかもしれません。しかし、話はそう簡単ではありません。なぜなら、商標権は商品の類似範囲にまで及ぶという規定があるためです。

実は、特許庁の審査基準によると、「トランプ」と「手品用具」は類似するとされています。具体的には、特許庁の審査基準では、手品用具は、トランプ、花札、囲碁将棋、麻雀、すごろくなどのゲーム類と同じ類似群とされており、これらの商品は、相互に類似するという扱いになっています。実際、手品用具は、リング、四つ玉、ケーン、シルク、コイン、カップ、ボール、… と様々ですが、なぜか、ゲーム類と類似する、とされているのです。おそらく、この審査基準を制定した特許庁のお役人さんは、奇術にはあまり興味がない人だったのでしょう。

さて、このように、「トランプ」と「手品用具」は類似するとされており、商標権の範囲は、類似商品まで及ぶという規定があるため、今回のケースでは、残念ながら、Z社の商標権は、手品用具について「トラベリング デック」という言葉を使うことにまで及んでしまうのです。Z社としては、もともと手品用具までは考えておらず、自社が販売するトランプについてのみ権利が及べばよいと考えていたのかもしれませんが、現実的には、この商標権はトランプだけでなく、その類似範囲に入っている手品用具にまで及んでしまうわけです。

結局、Z社の商標権が存在する以上、「トラベリング デック」という言葉を手品用具の商標として使うと、Z社の商標権を侵害する違法行為になってしまうわけです。そうすると「えーっ、それじゃ、今後は仕入れたトラベリング デックを販売するときに、トラベリング デックという言葉を使うことができなくなるの?」とご心配するかもしれませんが、安心してください。「トラベリング デック」という言葉を物品名として使うことは可能です。

上述したとおり、Z社の商標権は、「トランプ」およびこれに類似した「手品用具」等について、「トラベリング デック」という言葉を商標として独占的に使う権利です。ここで「商標として使う」という点が重要です。実は、商品について何らかの言葉を使う場合、「商標として使う」か「物品名として使う」か、について法的な違いが生じるのです。今回のケースでは、Z社が「トラベリング デック」という言葉について商標権をもっているので、この言葉を「商標として使う」ことはできませんが、「物品名として使う」ことは可能です。

とは言っても、どのような形態で使用すると「商標としての使用」になり、どのような形態で使用すると「物品名としての使用」になるのかは、かなり曖昧です。実際には、その両方の使用形態もあり得ます。たとえば、コカコーラのPETボトルには「コカコーラ」という文字が大きく表示されておりますが、これは、「商標としての使用」かつ「物品名としての使用」ということになるでしょう。

一般に、商品自体もしくはその包装やパッケージに大きく「トラベリング デック」と記載して販売すると、「商標としての使用」と認定される可能性が高くなります。逆に、小さなラベルを貼って、そのラベルに「トラベリング デック」と記載し、更に「輸入国:アメリカ、販売者:(株)○○マジック」などと小さい字で記載すれば、「物品名としての使用」と認定される可能性が高くなると思われます。最も安心なのは、「物品名:トラベリング デック」と記載することです。そうすれば、正に、「物品名としての使用」に該当するでしょう。また、カタログの一覧表や伝票などに「トラベリング デック」と記載するのは、正に「物品名としての使用」になりますので心配無用です。

なお、今回のケースでは、Z社は「トランプ」だけでなく、花札、囲碁将棋、麻雀、すごろく等のゲーム類とともに、「手品用具」についても、「トラベリング デック」という商標を取得している可能性があります。これは、一般に、類似する商品群の中であれば、何種類の商品を追加しても、出願料金が同一であるためです。もし、Z社が「手品用具」について商標権を取得していたとしても、やはり商標権は「商標としての使用」に限定されるため、「物品名としての使用」を行う限り問題は生じません。

ただ、奇術家としては、「手品用具」についてまで「トラベリング デック」という商標が取得されるのは納得がゆかないと思われるかもしれません。その場合は、異議申し立てや無効審判という手続きを経ることにより、「手品用具」の部分については商標権を取り消すことが可能です。取り消しの理由は、「トラベリング デック」という言葉は、手品用具の1つであるトラベリング デックの普通名称であるため登録できない、というものです。

もっとも、事件を担当する特許庁の審査官が、奇術を趣味としない人であった場合、「トラベリング デック」という物品名の手品用具が存在することすら知らないでしょう。ですから、実務上は、世の中には、「トラベリング デック」という名前の手品用具が存在し、多くの奇術家はそのことを知っているので、「トラベリング デック」という言葉は、この手品用具の一般名称である、ということを立証するために、種々の証拠(マジック製品のカタログや伝票、奇術雑誌の記事、奇術百科事典の該当ページなど)を提出する必要があると思われます。

(回答者:志村浩 2022年7月16日)

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