「奇術師のためのルールQ&A集」第89回
IP-Magic WG
Q:昔から「ファンタジーリング」という名前の手品用具を販売していますが、先日、ライバルのR社がこの「ファンタジーリング」という名前をパクって商標登録してしまいました。R社の商標登録を取り消す申し立ては可能ですか?
長年、マジックショップを経営しております。オリジナル商品もいろいろ取り揃えておりますが、そのひとつとして、「ファンタジーリング」という名前の商品を10年以上も前から販売しています。小さな金属製のリングを10個ほど集めて両手の中で振っていると、全リングが1本の鎖のように繋がってしまうという現象のマジックを行うことができる道具です。
弊社では、取り扱う商品の種類が多岐にわたるため、個々の製品の名前については商標登録は行っていませんし、特許出願なども行っておりません。ところが、先日、ライバルのR社が、手品用具について、「ファンタジーリング」という名前を商標登録してしまいました。この「ファンタジーリング」と称するR社の製品は、弊社の製品と全く同じ内容のもので、製品も名前もパクられてしまったことになります。
「ファンタジーリング」という名前は、弊社が10年も前から使用してきた名称なので、本家本元が弊社であることは明白であり、必要があれば、10年前のカタログなどを提出して立証することも可能です。この場合、弊社の商標をパクったとして、R社の商標登録を取り消すような申し立ては可能でしょうか?
A:残念ながら商標出願には、「パクリ」という概念が存在しないため、R社の商標登録を取り消すことはできません。
知的財産権に関するトラブルの多くは、自分の創作物を他人がパクった(真似した)というものでしょう。今回のケースも、R社は、あなたの創作物である「ファンタジーリング」という手品用具やその名称を模倣して自社製品として販売しているわけですから、手品用具のアイデアもパクリ、その名称もパクリということになります。
まず、手品用具のアイデアの「パクリ」については、残念ながら、あなたが特許や実用新案を出願していないので、特許法や実用新案法に基づいてR社にそのパクリ製品を販売しないように求めることはできません。一方、不正競争防止法には、他人の新商品の形態を模倣した商品の販売を禁止する条項がありますが、この条項は商品販売後3年以内に限られるため、今回のケースのように10年前から販売している商品には適用はありません。結局、「ファンタジーリング」という手品用具の原理や機構などのアイデアについての「パクリ」は容認せざるを得ません。
次に、手品用具の名称の「パクリ」についてですが、こちらもあなたが商標を出願していないので、商標法に基づいてR社にそのパクリ名称を使った販売をしないように求めることはできません。というよりも、この名称の「パクリ」については、事はより深刻です。それは、「ファンタジーリング」という名称について、R社が商標登録をしてしまったため、この「ファンタジーリング」という名称を手品用具に使用する権利の本家本元は、あなたではなくR社ということになっているからです。
あなたは、R社の使用よりも10年も前からこの名称を使用していたので、この名称の本家本元は自分だ!と感じているかもしれません。しかし商標法上の本家本元は、あくまでも登録になった商標であり、使用の開始時期は無関係なのです。したがって、基本的には、R社の商標が登録された以上、あなたを含めた他人が、手品用具に「ファンタジーリング」という名称をR社に無断で使用すると、R社の商標権を侵害する違法行為になってしまいます。
ただ、あなたとしては、R社の商標登録には納得ゆかないでしょう。R社の商標出願は、あなたが10年前から使っていた「ファンタジーリング」という名称を勝手に真似した出願です。「ファンタジーリング」という名称を最初に考えたのはあなたであり、それをパクった商標出願が認められてR社に商標権を与えることは間違っている、と思うのも無理はありません。したがって、R社の商標登録を取り消すような申し立てができるように思われているかもしれません。
しかしながら、実際には、R社の商標登録を取り消すためには、R社の商標出願時において、「ファンタジーリング」という名称があなたの商品を表示するものとして需要者の間に広く認識されていることを立証する必要があります。つまり、プロマジシャン、アマチュアマジシャン、マジックディーラー、奇術研究家などの一般奇術需要者の間に、「ファンタジーリング」という名称があなたの販売する奇術用具の商標であることが広く知られていたことを証明する必要があります。
あなたは10年間もこの製品を販売してきたとのことですが、一般奇術需要者の間に「ファンタジーリング」という名称が広く知られていたとまでは言えないでしょう。仮に、一般奇術需要者の1割の人々が、「ファンタジーリング」という商標は、あなたが販売する奇術用具の商標だ、と認識していたとしても、残りの9割の人々はそのようなことは知らないので、「一般奇術需要者の間に広く認識されていた」ことにはなりません。
それでは、「R社は、私が考えた『ファンタジーリング』という名称をパクって出願したから、その商標出願は無効だ!」と主張することは可能でしょうか? 残念ながら、商標出願には「パクリ」という概念が存在しないため、「パクリ出願だから」という理由でR社の商標登録を取り消すことはできないのです。この点は、他の知的財産権とは異なる商標法独特の取り扱いと言えるでしょう。ちなみに、商標権以外の知的財産権の場合、「パクリ出願」は無効となります。
たとえば、特許出願や実用新案登録出願の場合、人の考えたアイデアを盗んだ(パクった)出願は、冒認出願と呼ばれており、登録にはなりません。もし誤って登録されたとしても、無効審判を請求することにより無効とされてしまいます。意匠出願も同様です。人の考えたデザインを盗んだ(パクった)出願は、やはり冒認出願となり、もし誤って登録されたとしても無効審判により無効にされてしまいます。
また、著作権の場合、人が創作した著作物を真似したもの(パクったもの)には、そもそも著作権は発生しません。著作権の発生は著作物を「創作する」ことが前提となるため、パクっただけでは著作権が発生しないためです。「パクる行為」は「創作する行為」ではありません。
このように、アイデア、デザイン、著作物などの創造物について保護を求める場合、その創造物を実際に生み出した者もしくはその者の許可を得たものしか権利が得られないような仕組みになっています。そうだとすると、今回のケースの場合、ちょっと疑問が湧くことでしょう。「ファンタジーリング」という名称を奇術用具に使用することを考えたのはあなたであって、R社ではありません。そうすると、「ファンタジーリング」という商標権は、あなたもしくはあなたの許可を得た者にしか与えられないようにする仕組みが必要に思われます。しかし実際には、そのような仕組みはなく、R社に商標権が与えられてしまうのです。
「ファンタジーリング」という名称を考えたのはあなたであり、しかも10年も前からこの名称を奇術用具に使用してきたのに、今更、全く関係のないR社のパクリ出願に対して権利が与えられてしまうのはおかしい!と思われるかもしれません。しかし、現実的には、現在の商標法の運用では、R社のパクリ出願に対して権利が与えられてしまうのです。
なぜ、そのような運用になっているのか。その理由は、そもそも商標は創作物ではなく、選択物だと認識されているからです。あなたの気持ちからすれば、「ファンタジーリング」という名称を考えたこと自体に価値があり、この「ファンタジーリング」という名称を創作したのはあなた自身だ!と思っていることでしょう。しかし、現行の商標制度では、「ファンタジーリング」という言葉は、創作物とは認められていないのです。
例として挙げれば、商標は自動車のナンバーと同じようなものだと考えてみてください。現在、新車を購入する際には、たとえば「8888」のようなナンバーを付与してもらえるように陸運局に対して申請を行うことができます。そして、過去に重複するナンバーが付与されていない限り、希望のナンバーを取得できるようです。この場合、「8888」というナンバーは創作物ではなく、4桁の番号の中から選択した選択物と言えるでしょう。
商標の場合も同様に、世の中に存在するたくさんの言葉の中から、希望の言葉を選択して出願するもの、として捉えられているのです。別言すれば、「ファンタジーリング」という言葉は、世の中に存在するたくさんの言葉の中の1つであり、「ファンタジーリング」という商標出願は、1つの言葉を選択した出願にすぎない、というのが現行の商標制度の基本的な考え方になっているのです。
自動車のナンバーと同様に、このような選択によって出願された商標は、現時点で重複するものがない限り、基本的に登録されることになるわけです。たとえば「8888」というナンバーの自動車が廃車されると、別な人が「8888」という同じナンバーを申請すれば、もはや重複しないので「8888」が付与されます。同様に、今回のケースでも、R社が「ファンタジーリング」という商標権を放棄すれば、あなたが新たに「ファンタジーリング」という同じ商標を出願すれば、もやは重複しないので、今度はあなたに対して「ファンタジーリング」という商標権が付与されることになります。
このように、商標権は、他の知的財産権と異なり、創作物に対して付与される権利ではなく、自動車のナンバーのような選択物に対して付与される権利となっている点が重要です。したがって、今回のケースでは、「『ファンタジーリング』という言葉は、私の創作物であり、R社の出願はパクリ出願だ!」というあなたの主張は認められず、「パクリ出願」という理由でR社の商標登録を取り消すことはできないわけです。
(回答者:志村浩 2022年9月10日)
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