第3回「シンパセティックシルク(6枚ハンカチ)の歴史と天海」

石田隆信

海外ではシンパセティックシルクと呼び、日本では6枚ハンカチと呼ばれています。一方の3枚のシルクを結ぶと他方の3枚も結ばれ、一方がバラバラになると他方もバラバラになります。お互いが同調するのでシンパセティックシルクの名前になったようです。日本では、結ばれた3枚とバラバラの3枚が入れ替わる現象で演じられることが多く、最後には全てがバラバラ状態となって終わります。

原案者は英国のエドワード・ビクターで、1913年にロンドンのセントジョージホールで演じられています。考案の協力者はG.H.ハンターですが、考案の元になるのが1910年のHatton & Plate著”Magicians’ Tricks How They Are Done”の本です。その中で「ミステリアスシルク」として解説されています。こちらを原案として書かれている本もありますが、その現象は6枚ハンカチではありません。バラバラの3枚を空中に投げ上げると繋がり、それを丸めて、もう一度投げ上げるとバラバラになるだけの現象です。シンパセティックシルクとしての考案者はエドワード・ビクターとなります。この作品が最初に解説されたのは、1920年のStanyon編集”MAGIC”1月号と考えられますが、そこには原案者名が書かれていませんでした。その次の解説が、1926(27)年の「ターベル・システム」通信講座のレッスン32で、これが1941年の「ターベルコース第1巻」にそのまま再録されています。こちらも原案者名の記載がありません。1937年のエドワード・ビクターの”The Magic of The Hands”の本により、彼が1913年に実演されていたことが報告されています。

日本で最初に演じた人物に関しては、1961年の平岩白風著「舞台奇術ハイライト」の107ページに松旭斎天洋氏であることが報告されています。「松旭斎天洋が、大正13年(1924年)3月、アメリカから来日した奇術研究家と交歓して知ったもの。そして、初めて舞台で公開した。初代天勝はこれを演じていない」と記載されています。日本での最初の解説は、昭和9年から11年にかけて発行された久世喜夫編集「奇術教本」と考えられます。教本A~GのCの部で「同情ハンカチ」の名前で解説されていました。この原稿の元になったのは「ターベルシステム」の解説のようです。

天海の6枚ハンカチと日本との関わりは1935年(昭和10年)が最初です。10月26日に東京アマチュアマジシャンズクラブ(TAMC)の第3回試演会で上原浦太郎氏が「9枚の絹」を演じられています。その構想と指導をされたのが天海氏でした。1963年の金沢天耕著「奇術偏狂記」の18ページにそのことが報告されています。6枚ハンカチを演じた後で9枚全てが繋がるそうですが、その演技の詳細については書かれていません。この次が1940年(昭和15年)です。天勝一座と共に天海が台湾巡業中に2代目松旭斎天勝へ指導されています。このことは1958年の奇術研究10号で2代目松旭斎天勝が報告されていました。そして、天海が帰国した1958年から割合早い時期に、2代目松旭斎天花氏とフロタマサトシ氏に指導されています。そのことは下記のThe New Magicに報告されています。この後、名古屋の松浦天海氏へ指導されています。

天海の6枚ハンカチの方法については,1986年のThe New Magic Vol.25 No.1から1987年のVol.26 No.3まで「6枚ハンカチ物語」として8回にわたり連載されています。さらに詳しい内容については、2008年に発行されたDVD「石田天海の研究第1巻」により知ることが出来ます。松浦天海改案による方法を松浦天海氏が実演と解説,そして、天海本来の方法を小川勝繁氏による実演と解説がされています。これだけで十分ですが,2005年にはテンヨー社から菅野昭夫解説・松浦天海指導による「石田天海の6枚ハンカチーフ」の商品が販売されていました。天海の方法が演じやすい大きな厚地のシルク6枚とイラスト入りで分かりやすい解説がついています。天海の6枚ハンカチの特徴は、怪しい動きがないのに現象が起こる点で、これまでの方法を知っているマニアの方が不思議さを強く感じると思います。方法の特徴として、第1にカウント時のすり替えがありません。第2に2枚の結び方がスリップノットではなく別のフォールスノットを使っている点です。そして第3として、結び目の外し方がこれまでと全く違っていたことです。

第1のことに関しては、結ばれた3枚がバラバラであるように見せる3通りの方法があります。1926年のターベルシステムには既に三つとも解説されていました。カウントの途中ですり替える方法と、バラバラのようにカウントしてもすり替えを行わない方法、そして、3枚がバラバラに垂れ下がっているように見せる仕掛けを使う方法の三つです。最初のエドワード・ビクターの方法ではすり替えが行われていたようですが、1920年のStanyonによる最初の解説ではすり替えがない方法となっていました。大きいシルクを使う場合には、すり替えなくても離れているように見せやすい利点があります。

第2の結び方に関してですが、特別なフォールスノットの使用により少しの引っ張りで解くことができるようになりました。これまでの6枚ハンカチで気になっていたのが、結び目を外すときに引っ張っていることが分かることでした。天海の方法では、それが全く感じられません。このフォールスノットが誰の考案によるものかが気になっていました。2002年に石田天海追悼の会より発行された「天海メモ4 シルク編」の14ページには、「2枚のシルクの端と端を天海創案の結び方(引き抜きにあらず)で結んで」と解説されていました。そして、シンパセティックシルクを演じると記載されています。つまり、この結び方が天海の考案と考えられるわけです。

最初にこの結び方が解説されたのは、1941年の「ターベルコース第1巻」です。その中で「ニューウェイ・ダブルノット」(The Nu-Way Double Knot)の名前で解説されていますが、考案者名の記載がありません。ターベルコースの元になる1926(27)年発行のターベルシステムでは、この方法の解説がなく、別の二つの方法が解説されているだけでした。1941年のターベルコースで新しく加わったのがニューウェイ・ダブルノットです。ターベルコースはターベルシステムからの再録が多いのですが、新しく加えられた作品や技法にはタイトルに考案者名が書かれるようになります。ところが、ニューウェイ・ダブルノットは例外で、名前がありませんが新しく加えられた方法です。もちろん、ターベルの考案であればターベルの名前が入っていたはずです。名前がないのは考案者の確認ができなかったのでしょうか。天海とターベルとは1933年のシカゴ万博でのマジシャン交流会で親しくなっています。また、天海は1938年にも巡業でしばらくシカゴに滞在していますので、ターベルに会った可能性があります。

1962年発行の”Rice’s Encyclopedia of Silk Magic Vol.3”では、この結び方をターベルの方法として掲載されています。それは単にターベルコースで名前の記載がない状態で発表されていたからにすぎません。シルクマジックの知識が豊富なRiceがターベルの方法としていたことから、他にその方法で発表している人物がいなかったとも解釈できます。私も調べましたが見つけることができていません。天海は日本で1935年や1940年に6枚ハンカチの指導をされていましたので、1930年代には6枚ハンカチの基本的な部分は完成されていたと考えられます。これらのことや「天海メモ」での天海創案の結び方の記載から、天海考案の可能性が高いと考えています。

日本ではこの結び方が1941年発行のターベルコース第1巻の解説で知られていたために、天海が帰国する1958年よりもかなり以前から多くのマジシャンが知っている方法でした。しかし、これが天海の方法とは思われていなかったわけです。天海の指導を受けられたフロタマサトシ氏であっても、1968年のThe New Magic Vol.7 No.7に「シルクのにせ結び」として解説されていますが、天海の方法とは書かれていません。「奇術家であれば誰でもが知っているシルクのにせ結び」と書かれ、無駄なく綺麗に操作する人がいないとのことで、この結び方を解説されていました。6枚ハンカチを指導された天海氏も、全体が天海の方法であるので、結び方をわざわざ天海の方法とは説明されていなかったのだと思います。なお、1962年の奇術研究25号の高木重朗氏や1975年の松田道弘著「シルク奇術入門」でもこの結び方が解説されますが、天海の名前はクレジットされていませんでした。そして、その結び方を使った6枚ハンカチが解説されていました。

第3の特徴の結び目の外し方ですが、二つの結び目部分をシルクで横からカバーするようにして、そのままイスや台の上へ置いています。このような外し方は天海以外では行われていないようです。スリップノットの場合は、結び目から出ているシルク端の長さだけ引っ張る必要があります。その動きをカバーするためにシルクを折り重ねたり丸める操作が加わります。天海の方法では、カバーされたシルクに隠された状態で少しの動きだけでほどくことができ、ほどいた端も外へ出て見えることがありません。バラバラになったシルクを1枚ずつ取り上げる時もスムーズに取り上げることができるようです。

天海の方法はよいことばかりのように思えますが弱点もあります。結び目がしっかりと結ばれていなければ勝手にほどけることがあります。さらに、大きいシルクを使うために全体がゆったりとした動きになりがちで、リズミカルさや華やかさに欠けます。The New Magicの「6枚ハンカチ物語」には、2代目松旭斎天花氏が天海の6枚ハンカチの指導を受けていた時のことが報告されています。天海の指導を受ける前には、既に天花の6枚ハンカチはリズミカルで人気のある演目であったそうです。ところが、天海の方法で演じると観客の反応が弱くなる問題が生じました。そこで、これは全く別の6枚ハンカチとして覚え、使えるところだけは使う考えで練習は続けたそうです。天海の6枚ハンカチはどちらかといえば男性向きな演目で、天海自身が演じても奥様が演じることはなかったそうです。自然な動きと不思議さでは優れていても、リズミカルさや華やかさは優れているとは言えないようです。

上記で報告しました「石田天海の研究第1巻」のDVDには、嬉しいことに天海自身が演じている白黒の古い映像も見ることが出来ます。6枚のカウント、2枚のシルクを結ぶ手際、結び目を外す操作の動きが分かる貴重な映像です。特に参考になったのが、2枚のシルクを結ぶのがとてもスムーズでリズム感があり、重要な要素だと思いました。また、バラバラになったシルクを1枚ずつ取り上げる動きにも独特な特徴があり参考になりました。

最後にシンパセティックシルクの原案者であるエドワード・ビクターの方法を紹介して終わります。ビクターの方法が最初に発表された1937年は彼の原案の方法ではなく、別法のスタンドを使用するものでした。1995年にRae Hammondによるエドワード・ビクターの本が発行され、その中で本来のシンパセティックシルクについても触れられています。ビクターの方法は、カウントの途中で3枚のスイッチが入っています。また、結んだ3枚は演者の首に中央部をひっかけてぶら下げられ、そして、同調して結ばれた他方の3枚をイスから取り上げて両手で持って示し、同じ色の順番に並んでいることを見せています。手に持っているシルクは、結び目の部分をそれぞれの手に持ち、指で押して秘かに端を結び目から外し、3枚をイスに置いています。首にかけていたシルクを外し、同じように結び目の部分をそれぞれの手に持ち、結び目に息を吹きかけると同時に指で押して外し、両サイドのシルクを床へ落としています。それを拾い上げた後、イスのシルクも同調してバラバラになったことを見せて終わっています。

(2021年4月27日)

参考文献・DVD

1910 Hatton & Plate Magicians’ Tricks How They Are Done
1920 Ellis Stanyon MAGIC (Jan)
1926(27) Harlan Tarbell Tarbell System
1937 Edward Victor The Magic of The Hands
1941 Harlan Tarbell Tarbell Course in Magic Vol.1
1962 高木重朗 奇術研究25号 6枚ハンカチの変わった演出法
1962 Harold R. Rice Rice’s Encyclopedia of Silk Magic Vol.3
1975 松田道弘 シルク奇術入門
1986. 87 風呂田政利 The New Magic Vol.25 No.1~Vol.26 No.3 6枚ハンカチ物語
1995 Edward Victor The Magic of Edward Victor’s Hands (Rae Hammond著)
2005 石田天海 6枚ハンカチーフ(菅野昭夫解説・松浦天海指導 テンヨー 社商品)
2008 石田天海 石田天海の研究第1巻DVD (松浦天海・小川勝繁解説)
2010 石田隆信 第43回フレンチドロップコラム シンパセティックシルク(6枚ハンカチ)の歴史と謎