第30回「天海の蝶々」

石田隆信

天海氏と蝶々とは結びつかないように思いますが、1946年8月のスフィンクス誌に”Tenkai’s Cho Cho”として解説されています。その冒頭には、スフィンクス誌の編集者であるマルホランド氏の要望によるものであることが報告されていました。一羽の蝶によるシンプルな方法ですが、なぜ、天海氏へ依頼されたのかが気になる点です。

天海の方法では、1枚の紙を取り出し、蝶の形にちぎって左手掌上に乗せています。右手に扇子を持ってあおぐと、蝶が舞い上がります。しばらく蝶を飛した後、左手にお椀を持ち「疲れたようです」と言って、お椀の中へ蝶を休めます。その蝶がお椀から扇子へ飛び移り、お椀をテーブルへ置きます。扇子の蝶を左手に取って、右手の扇子であおぐと多数の小蝶となって舞い上がります。

重要なタネの糸(ジャリ)については、最も細い黒の絹糸を使うと書かれていることと、取り付ける部位が解説されています。前もって、紙の左上に蝶の絵をえんぴつで描き、その蝶の絵の中央に少し間隔をあけて縦に2つの穴をあけて、この穴に糸を通して止めます。他方の糸の端は右耳に引っ掛けて、糸がつけられた紙を上着の胸ポケットへ入れています。テーブル上には扇子とお椀を置き、小さい蝶の束も見えないように手前側に準備され、お椀を置いた時に取り上げることになります。胸ポケットから紙を取り出し、蝶の絵の下書きに沿ってちぎり、蝶を左手掌へのせ、残りの紙を処分して、右手は扇子を取り上げて蝶を飛び上がらせます。お椀の蝶を扇子へ飛び移らせるのは、扇子で糸の上から叩くことでお椀の中の蝶をジャンプさせ、扇子で受け止めていました。なお、ここでの小蝶は、小さいサイズに蝶を多数切り抜いたものを使っています。

ところで、マルホランドが天海氏へ蝶々トリックの解説を依頼した理由ですが、日本の蝶々の正しい知識を持ってもらうためではないかと思います。1943年8月のHugard’s Magic Monthly誌に”Hugard’s Butterflies”のタイトルで蝶々のトリックが解説されます。さらに、1945年11月頃にJ. G. Thompson, Jr編集による”My Best”の本が発行され、上記のヒューガードの方法が再録されます。この本は、その頃の作品を集めた人気のある本で、ヒューガードの蝶がよく知られるようになります。 ヒューガードの方法は独自のもので、ちぎった紙を水につけて丸めて水をしぼり、それを右手に持った長方形の中国製うちわの上で数回バウンドさせます。それを左手に握り、右手のうちわであおぐと多数の小さい蝶となって舞い上がる現象です。うちわの中央に多数の小蝶の束を仕込んだくぼみがあり、その上を紙で封されています。うちわの上の丸めた紙を取る時に封をやぶって、仕込みの束を取り出すことになります。本来の日本の糸を使う蝶の方法ではありません。問題は世界のマニアが、蝶々のマジックがこのようなものだと間違った認識になることです。

海外で蝶々のマジックが解説されていたのは19世紀後半の英国やフランスの文献で、1914年10月のThe Magician Monthly誌にBlack Ishiiが解説されたのが最後の状態でした。そして、久々に解説されたのが今回のヒューガードの方法です。マルホランドは博識で親日家で天海氏とも交流がありました。世界のマジックや歴史に詳しく、本来の日本の蝶々を知ってもらいたかったのだと思います。アメリカの文献で、本来の糸を使った蝶々の解説は天海氏が最初のようです。1956年3月のHugard’s Magic Monthlyには、糸を使ったヒューガードの蝶々が解説されます。天海の解説を参考にして工夫を加えた印象です。これは、1961年の「トップマジック」24号や、1977年の「奇術研究」80号に翻訳して解説されています。なお、天海の蝶々は日本語訳されていません。

2016年発行の加藤英夫氏によるDVD「天海ダイアリー」には、1945年のビルボード誌に報告された天海氏の現況の記事が紹介されていました。9月15日の記事では、ホノルルの1つの劇場で3年間出演され、評判が高いWing Hi & Companyとは天海夫妻のことであり、数週間ごとにアクトを変えていることも報告されています。また、10月13日の記事では、天海氏は挿絵を含めた記録を書いていると報告されていました。なお、11月にはMy Bestの本が発行され、ヒューガードの蝶々が再解説されます。このようなことから、天海氏の現状が分かったマルホランド氏が原稿の依頼をされたのではないかと思いました。

天海氏に蝶々の原稿を依頼されたのには理由があると思います。天海の蝶々の演技をマルホランド氏が以前に見た可能性が考えられます。天海氏は1933年秋頃から1935年夏まで、ニューヨーク郊外で奇術の研究活動に入ります。不景気で仕事がないことと、多くのボードビル劇場がなくなり、キャバレーやナイトクラブでの演技が中心になり始めていました。禁酒法が廃止されたからです。そのために、そちら向きのマジックの研究もされていたようです。また、天勝氏より依頼されていた新しいイリュージョンの情報や図面を得る必要もありました。「奇術五十年」には、その頃に交流したマジシャンと互いに話したり見せあったりして、大きな収穫を得たことが記載されています。ニューヨークではマルホランドやアル・ベーカーと親しくなり、アル・ベーカーの店へよく訪れていたと思います。彼は糸や毛髪を使った多くのマジックを考案されており、天海氏のその後のマジックに大きな影響を与えています。逆に天海氏は、日本の糸を使う蝶々の演技をアル・ベーカーやマルホランドに見せる機会があったと考えられます。

ところで、戦後の米国の統治下にあった日本で、進駐軍を慰問する日本のマジシャンにランク付けがなされていました。その中でトップランクであったのが大阪の3代目帰天斎正一氏です。毎回要望されるのが蝶々のマジックであったそうです。戦前の3代目は蝶ではなく、別の奇術を中心に演じていました。アメリカといえば派手で明るいマジックが好きなイメージです。それが何故、派手とはいえない蝶のマジックを3代目帰天斎氏にわざわざ演じさせたのかが分かりませんでした。1946年8月のスフィンクス誌の天海氏の蝶々の記事が、少なからず影響があったのではないかと考えています。その記載の中で蝶々の起源は古く、現在の日本人だけでなく、あまり多くない人しか、この蝶々を見ていないと報告されていました。日本を代表する伝統的なマジックであることや、それを演じるマジシャンがほとんどいないことが進駐軍側に伝わっていたのだと思います。また、3代目帰天斎氏の蝶々の芸がすばらしく、それが高い評価になったのだと思います。

天海氏にとっては、舞台で演じる演目ではないのですが、シンプルな方法であっても、それを演じて解説できる素晴らしさを感じました。レパートリーの演目を深く追求されるだけでなく、幅広いマジックの知識や興味を持たれていたことを再認識できました。

(2021年11月2日)

参考文献

1584 Reginald Scot The Discoverie of Wiechcraft コイン脱出 黒髪
1584 J. Prevost Clever and Pleasant Inventions グラス内指輪 髪
1696 陳眉公 神仙戯術 紙胡蝶飛 糸を使わず蝶を飛ばす化学手品
1727 環仲仙 続ざんげ袋 糸を欄間に通す 糸の先に紙の蝶
1729頃 珍曲たはふれ草 はな紙にて人形を作り踊らす事 毛髪
1755 幾條 仙術夜半楽 扇としゅろを使用 しゅろの先に紙の蝶
1755 幾條 仙術夜半楽 紙人形をのれとおどる 畳の上 糸使用
1827 智徳斎 秘事百撰 縛った2本の箸をおどらせる 墨でそめたしけ糸
1827 智徳斎 秘事百選 糸のまん中に紙の蝶を付けて扇であおぐ
江戸末期 花の笑顔 すが糸を黒く染めて紙蝶を飛ばす
江戸末期 妙術座敷手品 すが糸三尺の先に蝶
明治前期 柳川種調之伝 紙のてうをつかふでん すが糸の中央に蝶
1876 Hoffmann Modern Magic The Butterfly Trick
1877 Edwin T. Sachs Sleight of Hand The Butterfly Trick
1887 Hoffmann訳 Drawing-Room Conjuring The Japanese Butterflies
1886 安江文五郎 西洋科学伝授物(中)茶碗のふち蝶々あるかす伝
1910 Ellis Stanyon Magic 12月 The Japanese Butterflies Trick
1914 Black Ishii The Magician Monthly 10月 Japanese Butterflies Trick
1943 Hugard’s Magic Monthly 8月 Hugard’s Butterflies 糸を使用せず
1945 J. G. Thompson, Jr My Best  上記のHugardの方法の再録
1946 Tenkai The Sphinx 8月 Cho Cho finest black silk thread
1956 Hugard’s Magic Monthly 3月 The Japanese Butterflies ナイロン糸
1961 トップマジック 24 上記ヒューガードの日本語解説
1977 奇術研究 80 上記ヒューガードの日本語解説
2010 松山光伸 実証・日本の手品史 第1章と227ページ
2016 加藤英夫 天海ダイアリー DVD 1945年、1946年
2016 河合勝 長野栄俊 日本奇術文化史 伝授本にみえる蝶
2016 石田隆信 フレンチドロップコラム インビジブルスレッドの歴史

バックナンバー