天海フォーラムに参加して
(編集者注)このページの内容はCardician’s Journal No.313,No.314より、著者・加藤英夫氏の許可を得て転載しています。
加藤英夫
天海フォーラムに参加して
加藤英夫のカードマジック研究報告 No.313(2015年4月24日)
4月19日、江戸東京博物館学習室において、”第1回石田天海フォーラム”が開催されました。天海師が1958年に帰国されて、天海IGPというクラブを発足された時期に、天海師と多くの日々を過ごされた氣賀康夫氏、そして天海の奇術研究家として誰もが認める小川勝繁氏、このお二人の講師によるプレゼンテーションは、たいへん格調の高いマジックイベントとなりました。
天海師のマジック、そして天海師のアーティストとしての存在感、それらの素晴らしさがどのようにして生まれたか、それを知る上でお二人のプレゼンテーションは、いままで私が調べてきたことと、見事に符合いたしました。
天海師のあのスマイルがどのようにして生まれたか。天海師の奇術の魔法のような不思議さがどのようにして生まれたか。それをここに要約して書くことなどはできません。この会に出席して、天海師と日々を過ごされた人、天海師のマジックを徹底的に追い求めた人から直接聞くことがいかに大切であるか、もっと多くの若いマジシャンたちに、参加してもらいたかった会でありました。
石田天海という偉大なマジシャンの存在を、これからのマジシャンたちに伝えていくこと。その新たな出発点となったこの会は、”天海奇術講座”をまとめた私にとっては、さらに元気を与えてくれたものでありました。
この会を実現することに協力された方に感謝いたします。参加されなかった方には、つぎはぜひ参加されることをお奨めいたします。
天海パームで親指が見えないのはよくない?
“石田天海フォーラム”における質疑応答において、ある参加者の方から、「インターネットの議論の中で、天海パームは親指が見えないのが不自然である、ということが指摘されているが、小川氏はどのよう思われるか」という質問がありました。
小川氏は手を体の前にかまえて、「このように手を位置させたときに、親指が突き出ているのがナチュラルですか」という意味のことを言われました。
この回答に質問者が納得がいかなかったようなので、私が補則させていただくことにいたしました。しかし私の説明は、さらに質問者には納得のいくものではなかったと思います。
なぜなら、小川さんや私が天海パームを使うと考えていた状況と、質問者が考えていた状況が違っていたからです。
もともと天海パームとは、手が小さかった天海師がステージでの演技において、オーディナリーパームの代わりとして使い始めたのだと私は聞いています。カードを隠して保持するというのが天海パームの出発点です。
すなわち天海パームの”肝”は、カードを隠している手が怪しいと観客が思わないようにすることです。それには不自然な手つきをしないことと、パームしている手になるべく視線を集めないようにすることです。”隠す”ということにおいては、親指がほとんど見えないぐらいの保ち方の方がナチュラルです。
バーノンが”バーノンブック”において、天海パームを利用したカードのスイッチを発表してから、天海パームはカードを隠すという本来の使い方だけでなく、他の技法と組み合わせて使われるようになりました。
そのようなテクニックを使っているマジシャンによって、天海パームでは指を開くことができることに着目されました。指を開いてカードがないことを強調するのです。
本来パームした手を目立たせない技法だった天海パームが、手を目立たせる技法として使われるようになったのです。
そのような使い方をすると、たしかに親指が見えないのが不自然な場合があります。このことを質問者は指摘していたのだと、私は家に帰ってから気づきました。私も小川さんも、質問されたときは、そのようには受け止めなかったのだと思います。
親指が見えなくて他の指が開いていても問題がない場合もあります。前述のバーノンのスイッチ技法では、下図のように少し他の指が開いていて、なおかつ親指が見えなくても不自然ではありません。
この図を見て、親指が見えないから、天海パームは不自然だと言うのでしょうか。
技法というものは、使われるときの状況、前後の動き、脈絡の中にうまく適合するかどうかで判断すべきである、ということです。
天海パームの疑問から
加藤英夫のカードマジック研究報告 No.314(2015年5月1日)
先週、天海パームで親指が見えるのがどうのこうの、ということを書きましたが、天海フォーラムでの質問者が、インターネット上で議論されていたと指摘していたことから、パソコン画面での演技と、観客のいる場での演技での違いということにも着目すべきだと思いつきました。
YouTubeなどで天海パームが使われている演技を見ると、体全体を撮影するのではなく、手先だけ撮影するものがほとんどです。そのように手だけ見えているときの手の怪しさと、同じ手つきでも体全体が見えているのでは、怪しさの度合いが違うことが考えられます。
たとえば右手のカードを左手に渡したように見せて、右手に天海パームした場合、画面の中で左手と右手だけがクローズアップされていれば、左手のカードを消失させたとき、見ている人のは同時に右手も見えています。ですからそのとき右手の親指が見えない状態になっていれば、それが怪しく見えるに違いありません。
しかし舞台やサロンにおいて、体全体が見えていれば、カードを左手に取ったように見せたとき、マジシャンの体は左に向いていて、しかも左手の方に視線を向けています。観客はその姿全体を見ていますから、右手への注目度は、手先だけを見せた画面のものとはまるで違います。
そのとき右手はなるべく静的な状態、極端な言い方をすれば、死んだ手にするべきです。ですから親指は見えない方がナチュラルです。
両手だけが画面の中に映っている状態では、とても右手を死んだ状態になどできません。
そこに四角い画面の中で演じるマジックと、舞台マジックやサロンマジックとの根本的な違いがあるのです。技法を判断するときに、その違いを区別しないで考えるから、石田天海フォーラムにおいて、質問者と回答者がとんちんかんなやり取りをするということになったのではないでしょうか。
インターネットで無料でマジックを学ぶのもひとつの方法ですが、生身のマジックも学ぶ機会を持たないと、ロボットのようなマジシャンになってしまうかもしれません。マジックとは、もともと人と人のコミュニケーションの手段です。マジックを通して演技者の人柄を感じさせるということがいかに大切か、石田天海のみならず、フレッド・キャップス、リッキー・ジェイなどの人間味あふれるマジシャンから、私たちはそういったことを学びたいものです。
“Tenkai’s Manipulative Card Routine”より
石田天海に関する手持ちの資料を調べたところ、1945年に発行された”Tenkai’ s Manipulative Card Routine”の中に、天海パームが初めて文献に現れたときの図を見つけました。以下の図です。
これは天海パームの状態から、パームしているカードを出現させるやり方を説明しています。
親指は当然ながら観客からは見えない状態になっていますが、他の指が開いている点は、天海師がすでにその要素を利用していることを示しています。指を開くのが現代のマジシャンによって活用され始めた、という先週号での記述は間違いでした。
出現にはこの技法を使っていた天海師ではありますが、さすがにインターネット上で、空中に放り投げるようにして消失させるのに使われているのを見たら、驚くことでしょう。ましてやそのあと、またそのカードを出現させたとしたら、「そんなことには使わないでくれ!」と嘆くかもしれません。
■出典:Cardician’s Journal (加藤英夫のカードマジック研究報告)
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