エジプトの壁画とカップ・アンド・ボール

石田隆信

マジックの歴史では、エジプトの壁画により古代エジプト時代よりカップ・アンド・ボールが行われていたとされています。しかし、それを否定する説も登場しています。ここではその両方を年代順に報告します。

エジプトの壁画とマジックとを最初に結びつけたのは1878年のWilkinsonの報告と思われます。マジックの文献では英国のThe Magic Wandの雑誌が最初のようです。1924年からSidney Clarkeのマジックの歴史が連載され、その最初の部分で報告されています。カップ・アンド・ボールがエジプト、ギリシャ、ローマ時代からポピュラーであったと記載され、エジプトの壁画も描かれています。1983年にはこの連載をまとめた “The Annals of Conjuring” の本が発行され、2001年には写真を増やしボリュームアップして再版されています。

1938年発行の「グレーター・マジック」のカップ・アンド・ボールでは、現代の客も古代のエジプト人や何世紀も前の人同様に不思議がるだろうと記載されていました。

マジックとの関連性をハッキリと書いたのが 1962年のMilbourne Christopher著 “Panorama of Magic” です。歴史解説の冒頭で目立つようにエジプトの壁画が掲載され、解説の最初でその壁画が古い時代のカップ・アンド・ボールとして報告されています。この本は写真とイラストが豊富で安価で人気が高く繰り返し再版され、多くのマニアや研究者に影響を与えたと考えられます。1979年に梅田晴夫訳による日本語版が発行されています。

1973年にはボリュームのある Milbourne Christopher著 “The Illustrated History of Magic”が発行され、上記同様に壁画とマジックの関連も報告されています。

壁画とカップ・アンド・ボールの関係の否定報告を最初に紹介した文献は、マジック書では1948年の Victor Farelli 著 “Victor Farelli’s John Ramsay’s Routine with Cups and Balls” です。
この Farelli の本からの引用が、1960年の奇術研究17号の伊藤邦夫氏による「カップ・アンド・ボールの歴史」で報告されています。ブリティッシュ博物館のC.B.ブラウンの意見を引用してマジックとの関連を否定し、何かのゲームではないかとされています。その根拠として壁画にボールや小石の絵の形跡がないことを指摘していました。

1992年にJames Randi著のマジックの歴史書 “Conjuring” が発行され、マジックとの関連をハッキリと否定しています。その壁画はその時代に “Up from Under” として知られていたゲームであると報告しています。

1997年のMAGIC誌3月号には4ページにわたり、もっとも信頼度の高い重要な報告がされています。そこでは、この壁画はカップ・アンド・ボールのマジックではなく、二人でゲームを楽しんでいる描写であると結論されています。オーストラリアのJim McKeagueが1994年にエジプトのBeni Hassanの壁画を現地調査し、これまでのこの壁画の学者報告だけでなく、エジプト博物館の専門家やオーストラリアの古代エジプト学の教授の意見も交えて分析・研究された結果の報告です。

2007年のBart Whaleyのマジック百科事典第3版の電子図書にも、”Up from Under” ゲームの可能性が記載されています。

海外のWikipediaでのカップ・アンド・ボールの歴史の記載では、エジプトの壁画によるエジプト発祥説と壁画のゲーム説の両方が報告されています。

ネットでのBill Palmerの見解では、陶芸家かパン職人ではないかとされ、カップ・アンド・ボール説否定の理由が報告されていました。カップの中へ入れる品物の絵がないこと、二人の人物と4個のカップが奇妙であり、周囲の壁画との関連性がないことも指摘されていました。

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