第14回「天海のロープパズルとバーノン」
石田隆信
天海氏の1969年頃のロープマジックです。1970年発行のThe New Magic Vol.9 No.4の最初のページに、それを演じている写真が掲載されています。70年5月11日に撮影された写真で、最近はロープトリックに興味があり、いくつかの新作を見せてもらいましたと報告されていました。そして、1971年のGenii誌5月号に「天海のロープパズル」のタイトルで解説されます。このロープパズルの元になるのは、ダイ・バーノンの方法です。1957年のロサンゼルスのルウ・ダーマン宅でバーノンが天海氏に見せています。1969年7月にバーノンが来日されますが、この時に改案としての天海のロープパズルを見せられたのではないかと思います。残念ながら、天海の方法もバーノンの方法も日本語での解説がないようです。
1.2メートルほどのロープをループ状にして、右手の親指と左手の人差し指に引っ掛けて左右に広げて示します。客の一人に同じループ状にしたロープを持たせ、演者の左側に立たせて同じ操作をしてもらいます。最終的には、右親指と人差し指の先をくっつけてリング状にした中に、絡まったループ状のロープが引っ掛けられた状態になります。演者がそのロープの一部分を引っ張ると、指からロープが外れます。ところが、客のロープは外れずに指に絡まったままとなります。
天海氏がバーノンからロープパズルを見せられたのは、1957年のルウ・ダーマン宅です。しかし、天海の方法が解説されたGenii誌では1953年のルウ・ダーマン宅となっています。1953年はバーノンに会った記録がなく、その年の6月にはシカゴで狭心症により入院し、54年の前半までシカゴで療養生活をしています。その後、ロサンゼルスへ戻ることになります。なお、私の調べでは、初めてバーノンと会ったのは1954年の春のシカゴのようです。それ以前では戦前も戦後も会われた記録が見つかっていません。
その後、バーノンと会われたのが1957年のようです。1974年発行の”The Magic of Tenkai”の23ページには、ルウ・ダーマン宅での天海夫妻やバーノンを含めた9名の写真が掲載されていました。その本では1957年となっています。会われたのはこの時期だけのようですが、かなり親密な交流をされています。1969年のGenii誌8月号のバーノンタッチの記載には、天海夫妻の家がバーノンの泊まっていたところから遠くなく、それで天海宅をたびたび訪れたと報告されています。
さらに調べますと、1978年に石田天海追悼の会より発行された「天海メモ7 スポンジ・ボール編」にバーノンとのことが記載されていました。「シカゴで心臓病のため倒れた私はステージに立てなくなって、カリフォルニアに移り静養していた。そんなある日、ハリウッドのテレビ関係者であるミスター・ルウ宅に、ダイ・バーノン、ジェラルド・コスキー、バークレー、チャリー・ミラー、他に3~4名、それに私も招かれて、ラウンド・テーブル式に奇術の研究をしたことがあった。」と報告されています。上記の写真メンバーと違っていますので別の日の集まりと思います。
1971年のGenii誌の”Tenkai’s Rope Puzzle”の解説では、10枚の写真が掲載されているのですが、手もロープも白いために、手とロープが重なっている部分のロープの状態がほとんど分かりません。また、秘密の操作のための詳しい方法も分かりません。
右親指と左人差し指を、ループ状のロープに引っ掛けて左右に大きく離し、両手とも手掌を客席に向けています。そして、右手は手首を返しつつ2本のロープの下をくぐらせ手背を客席に向け、右人差し指を左へ向けてピストル状に突き出します。この右人差し指へ左人差し指のループ端を引っ掛けます。右手だけで右人差し指のループ端を右親指に移し、親指と人差し指の指先を合わせます。このリング状にされた指を離さずに、手背のロープを前方へ持ってきて、ロープ全体が指リングから垂れ下がった状態にします。そして、左手でロープの一部分を引くとリング状の右指からロープが抜け出します。同様に行わせた客のロープは指に絡まって抜け出すことができません。
バーノンの方法に関しては、天海のマジックを研究されている小川勝繁氏より見せていただいた資料の中にバーノンの方法の記載がありました。天海メモの中で紹介されていたようで、四つのイラストと簡単な説明だけでした。バーノンの方法でもロープのループを右親指と左人差し指に引っ掛けて左右に広げて示し、右手首を返して2本のロープの下をくぐらせているのは同じです。しかし、その後は、さらに手首を返して手掌を客側に向けて、右親指が左方向へ突き出すようにしている違いがあります。この右親指へ、ダイレクトに左人差し指のループ端を移しています。その後、右親指と右人差し指の先をくっつけてリング状にして、ロープが抜け出せないようにしている点は同じです。(バーノンの方法では右手と左手が逆の状態で解説されていますが、ここでは比較しやすくするために、天海の方法と同様にして説明しています。)
天海のロープパズルが発表される前には、バーノンの方法が解説されたことがなく、天海の解説の方が先になっていました。1986年になって、初めてバーノンの方法が解説されています。Karl Fulves著 “Contemporary Rope Magic” にSam Schwartz解説による”Vernon’s Rope Puzzle”です。この解説では秘密の操作部分がハッキリとイラストで描かれています。しかし、私が気になったのは、秘密にすべき操作が客に感知されてしまうのではないかと思ったことです。
天海の方法では、秘密の操作が感知されにくい工夫がされています。天海のロープは、バーノンのロープよりかなり長いものになっています。また、客を演者の左側に立たせて演じられています。秘密の操作が、左人差し指で行われていますので、その方が前方の観客にも感知されにくいようです。なお、バーノンの方法には別タイプが解説されていただけでなく、天海の方法も第2段があるのですが、今回はそれらには触れないことにしました。
ところで、最近のマジックでは、客には出来ない不愉快な思いをさせない傾向があるようです。高木重朗氏の客と一緒に行うロープ切りも、初期の方法では演者だけが繋がって終わっていました。しかし、1992年発行のリチャード・カウフマン著「高木重朗の不思議の世界」での方法では、客のロープも繋がるように改良されています。そのことから、この天海やバーノンのロープパズルも新しい考え方が必要となります。例えば、抜けるのがダメで抜けないのが良いといった逆の発想が考えられます。ロープのループを「運」として、「運」は簡単にはつかめないと言って演者が行うと外れてしまい、客には強く願わせながら行うと外れない演出です。
1983年にバーノンのビデオ”Revelations”が発行されますが、その第3巻でバーノンが、天海をびっくりさせたマジックの話をされています。その現象の不思議さだけでなく、それには天海パームを使っていることを告げて、2度びっくりさせて、バーノンは楽しんでいたようです。これは二人が初めてあった1954年のシカゴでのことだと思います。また、上記の「天海メモ、スポンジ・ボール編」では、ミスター・ルウ宅で行われたラウンド・テーブルで、バーノンを前にして全員でバーノンの奇術を考えなおして問題点を指摘しています。バーノンのカップ&ボールも「自分ならこうする」「いや、それよりもこの方がよい」と、集まった皆が考えを出し合ったと報告されています。より良いものを追求するために、意見を出し合ってマジック研究を楽しまれていたようです。天海もバーノンも常に改良を考えられていますので、意気投合されたのではないかと思います。
天海メモには、上記の記載の後で「世の中にこれが完全だという完全は絶対にあり得ない。反省と改良とを繰り返すことの出来る人だけに奇術の芸は進展し、遂にはその人独特の色彩と持ち味が生まれるようになるのである。研究と努力をおこたらないようにしてほしい」と結ばれています。1957年にロサンゼルスで見せられたバーノンのロープパズルを、12年後の1969年の日本で、改良したものを見せようとされたのではないかと思いました。
(2021年7月13日)
参考文献
1969 Genii August Vernon Touch ロスの天海宅をよく訪れた話
1970 The New Magic Vol.9 No.4 天海が演じている写真
1971 Tenkai Genii May Tenkai’s Rope Puzzle
1974 Gerald Kosky & Arnold Furst The Magic of Tenkai 1957年写真
1978 石田天海 天海メモ7 スポンジ・ボール編 石田天海追悼の会発行
1986 Dai Vernon Karl Fulves著 Contemporary Rope Magic
Sam Schwartz解説によるVernon’s Rope Puzzle
2018 石田隆信 第83回フレンチドロップコラム あやとりと指ぬきマジック