島田晴夫の神髄

加藤英夫

第1回 墓碑銘

“Genii”,2006年6月号における、島田師とジャック・グリーンスパン氏のインタビュー記事の最後に、グリーンスパン氏が、”あなたの墓に何て書いてもらいたいですか?”と質問し、島田師がつぎのように答えたと書かれています。

“Shimada was pretty original, wasn’t he?”

これをgoogletranslateに飜訳させてみると、

「島田はかなり独創的だったよね?」、と飜訳されました。

まったく正確な翻訳です。しかしながら、このAIは本当に島田師が独創的なマジシャンであることを知らないので、このように単純な飜訳しかできないのです。私が意訳するとしたら、つぎのように訳します。

「島田晴夫は、世界で唯一無二のマジシャンだった」

では、どんなところが唯一無二なのでしょうか。’和傘アクト’や’ドラゴンイリュージョン’などのオリジナルアクトを演じたからでしょうか。サムライスタイルという独自のパーソナリティを生み出したからでしょうか。それとも、マジシャンとしてのテクニックが飛び抜けていたからでしょうか。

もちろん、それらはすべて唯一無二の要因ではありますが、他にも秀でていたことがあります。それは、私が島田師のアシスタントを経験させていただいたからこそ、気づいたことでもあります。それらのことについても、今回から数回にわたって、皆様にお伝えしていこうと思います。

天海師からのアドバイス

1958年に三越劇場で「両手四つ玉」でプロデビューした島田師は、日本に帰国したばかりの天海師に指導を受けることになりましたが、色々と指導される中で、つぎの言葉は、どんなマジシャンにとっても重要な指摘でありました。

「島田君、マジックはジャグリングじゃない。だからテクニックを見せるんじゃなくて、テクニックを隠さなくっちゃいけない。だから派手な意味のない動きをしちゃいけない」。

じつはこの言葉の意味することは、かのロベール・ウーダンが述べたことに共通する蘊蓄なのです。ウーダンはつぎのように言いました。

「マジックは曲芸じゃない。マジシャンはマジシャンを演ずる演技者である」。

ウーダンのこの名言は、長い間、”マジックを演ずることにおいて演技力が重要だ”、という意味として誤用されてきました。フランス語の原著を読んだジーン・ヒューガードは、前後の脈絡から、この言葉が、テクニックを見せびらかすマジシャンを戒めるための言葉だったと指摘しています。参考までに、1868年に発行された、ウーダンの”Secrets of Conjuring and Magic”から、この部分の文章を、飜訳して記しておきます。

手品師は曲芸師ではありません。彼はマジシャンの役を演じるアクターです。ですから指先を素速く動かすことよりも、手際よく動かす必要があります。スライハンドが関わってくる場合には、手品師の指先の動きはむしろ静かに目立たないようにやることによって、それだけ観客の目を欺くことができるのです。

天海師とウーダンが同じことを言っていることがおわかりになったと思います。いみじくもこの言葉は、本来の意味でも重要な蘊蓄であり、誤用された意味でも重要な蘊蓄として、歴史に残ったのでした。

天海師の戸惑い

天海師のことを話しましたので、天海師がふともらした、島田師のパーソナリティ変化について、少しだけ触れておきます。

島田師は1970年にロンドンに行って、仕事を探しましたが、鳩出しのマジシャンはヨーロッパにいくらでもいると言われて、仕事をもらえませんでした。そして日本人らしいマジックをやろうとして、パーソナリティもそれなりに模索することになります。

私は天海師がなくなる直前に2回、名古屋のお宅にお邪魔して、色々とお話をうかがいました。1972年6月6日にお伺いしたときは、私が生前の天海師と会った最後のマジシャンとなりました。なぜなら、その日におうかがいして東京に戻ったら、天海先生が亡くなったという電話があったのです。私は翌朝すぐに、名古屋に駆けつけました。

はてさて、天海師との会話の中で、島田師のことについて話していたとき、天海師がふと漏らしました。「島田君は、どうしてあんな風になっちゃったんだろう。まえは可愛かったのに」と。デビュー当時の島田師の面影が残っていた天海師には、島田師の変身が驚きだったようです。しかしその変身が完成して、サムライスタイルにたどり着いたことこそが、島田師のマジックが世界のショービジネス界での成功の重要要因になったのでした。