“Sphinx Legacy” 編纂記 第37回

加藤英夫

仕掛けを使っているのを感じさせないように配慮する例と、仕掛けを使うことがよくないと主張する例です。

出典:”Sphinx”,1923年3月号 執筆者:Harold P. White

LACK OF UNIFORMITY IN PREPARED CARDS

During the past few years magical experiments have had as their foundation the use of prepared cards, but practically all of the sets of cards put on the market have different backs. It is therefore impossible to present more than one such experiment in the same evening without some excuse for using different cards. Inasmuch as the effects obtained by the use of prepared cards are often more startling than with ordinary cards, it would often appear worth while to include several effects in one evening based upon these cards.

If the magical dealers of the country would agree upon a standard back (such as “Steamboat red plaid”) for all prepared cards, except cards where the backs are used for marking purposes, a great help would be given to all magicians. The writer believes that such a course of procedure, if followed, would result in greatly increased sales by the dealers, as many now hesitate to purchase such effects, practically every new effect coming out bearing different backs. Who is going to be the first dealer to establish uniformity?

当時においても、色々なギャフカードを使うカードトリックが販売されていましたが、それらがそれぞれ独自の裏面のカードを使用しているため、それらを続けて演じる場合に、違う裏面のカードを使うのが怪しさを発生させることから、製造者が統一した裏面でギャフカードを作るように提案しています。

はたしてこの執筆者は、同じ裏面模様のギャフカードだからと言って、ひとつのデックの中に、2つのギャフカードを組み込んでおいて、それらを2つのトリックに別々に用いるというのでしょうか。それとも、途中で密かにギャフカードを取り替えるというのでしょうか。はたまた、パケットトリックをデックのように組合わせて、それから数枚のカードを抜き出して、いくつかのパケットトリックを演ずることを考えているのでしょうか。

ギャフカードやギャフデックを使うものを続けて演じる場合は、たいていは使うカードを取り替えて演じることになります。そうであるなら、取り替えるのが同じ裏面であろうと違う裏面であろうと、どちらにしろ疑い深い人には”カードに仕掛けがあるのではないか”と疑われるのではないでしょうか。

もちろん、売られているギャフカードの裏面が統一されていた方がよい点があります。それは上記のような理由からではなく、違うギャフカードを組合わせて使うことによって、新しいトリックを生み出せる可能性があることです。

この執筆者の心理の中には、エンドクリーンを好むマジシャンと同じような傾向が感じられます。エンドクリーンなマジックとは、演技の最後に道具を調べさせられる状態で終わる、というタイプのマジックのことです。

もちろん自然な成り行きで仕掛けが処理され、道具が調べさせられる状態になるという、優れたトリックも多々ありますが、どんなマジックでも無理にエンドクリーンにしようとすると、エンドクリーンにしようとする動作自体が怪しさを発生することになります。ギャフデックをノーマルデックにスイッチしてまで、エンドクリーンにしようとする人もいます。

この執筆者は、異なる裏面のカードを取り替えて使うことが怪しさを発生する、ということを述べていますから、エンドクリーンと同一ではありませんが、観客が疑う可能性の低いことに気を使い過ぎる、という点では共通しています。

出典:”Sphinx”,1922年3月号 執筆者:L.W. Duncan

これはカードマジックの解説の前書として書かれたものです。

This brilliant effect of the late Dr.Hofzinser, of Vienna, and so well described in “The Art of Magic”, is one of my favorites. I n order to overcome the not serious objections to his method and to relieve myself of thinking it might be easier by prepared cards, I have thought of several slights which, because they are good, I hope, are original with me and that others will like them.

There are two ways to do magic, one by art, the other by trickery. There are two ways to get rich, one by robbery, the other by playing the stock exchange. At any rate fakes should never be permissible in real magic art unless as a final resort. (Grain of salt goes with this).

マジックのやり方にはテクニックでやるものと、仕掛けを使ってやるもの、2通りのやり方がある、とずいぶん単純な分け方をしたあと、仕掛けを使ってやることを、金を得るのに泥棒して得ることにたとえるほど、この執筆者は仕掛けを使うことを警めています。

この考え方にはまったく賛同できません。マジックの良さは、テクニックでやるか仕掛けでやるかで決まるものではなく、観客が見たときの効果によって決まるものです。そしてその効果が素晴らしいものの多くは、テクニックや仕掛けやプレゼンテーションの総合されたもので生み出されたものです。

いつの世にでもピュアリストが存在していたのだな、と思わされた一文でした。

(つづく)