“Sphinx Legacy” 編纂記 第38回

加藤英夫

今回も広告されているマジックについて、私の推測を書かせていただきます。

出典:”Sphinx”, 1916年3月号 広告

Martinkaの広告です。MHさんがSNSで有名になるきっかけになったとも言える、あのカードの貫通現象が、方法や原理に違いがあるかどうかは不明ですが、類似する現象が100年以上まえに存在していました。

この類いのマジックにもっとも使われている原理は、一方のカードが半分ずつに切れていて、見えない部分で半分同士がつながれているという、”Discoverie of Witchcraft”(1584年)にも解説されている原理です。この現象説明を読むと、その原理が使われていると思われますが、”終わったあとに2枚のカードの裏表を見せられる”と書かれていることが、やり方を断定しにくくしています。

カードの両面を見せないでよいのであれば、以下の動画のようなことができます。これでもいちおうマジックとして成立していると思います。

どうしたら2枚の裏表を見せることができるでしょうか。それを解析するのが、貫通をやるまえに書かれている文章と、貫通後に書かれている文章の違いです。

貫通のまえには、“A playing card is shown from both sides”と書かれていて、
貫通のあとには、“Both cards are shown again from both sides”と書かれています。

すなわち、やるまえは一方のカードの裏表しか見せず、他方は裏表見せていないのです。両手に1枚ずつ持って手を返して裏表見せられるなら、貫通をやるまえに見せるはずです。それをしないということは、そのような見せ方ができないということではないでしょうか。

貫通を終わったあとに、”2枚同時に裏表を見せる”とは書かれていません。いったん2枚を重ね、それから1枚ずつ取って裏表を見せるのではないかと、私は推理します。そのやり方を採用するとすると、貫通するときに2枚重ねたカードを通過させることになりますが、他方のカードは2枚分の隙間がある必要はありません。切断箇所がぴったりくっついていても、2枚のカードを通すことは可能だからです。

私の推測が当たっているとしたら、この広告の図には嘘があります。手前からはこのように見えないはずです。

貫通させたあとに1枚ずつ裏表見せるという、私の推測がもしも当たっているとしたら、このような’end clean’に見せようとするやり方が、かえって’end dirty’な結果になっている顕著な例です。ギャフデックを使用して演じたあと、デックスイッチしてノーマルデックを調べさせるようなものです。スイッチさせる動作が怪しく見えれば、元も子もないのです。そのような場合には、むしろ改めを省く方がよいのです。

私の動画を例とするなら、この演技を見て、たいていの人がカードの裏が怪しいと思うでしょう。怪しいと思ったことが不思議さを低下させているでしょうか。むしろ怪しさが残っていても、それはミステリアスな雰囲気を醸し出す働きをする場合もあるのです。

‘end clean’で終わることは、たしかにトリックを見破る糸口を与えない働きはするかもしれません。しかしながらそれは、ミステリアスな雰囲気を漂わせて終わる、という終わり方とは異質なものです。不思議な雰囲気を漂わせて終わるのか、相手を打ちのめして終わるのか、そのような違いが、’end clean’の終わり方によって左右されるのではないかと私は考えます。

私は、”この広告の図はに嘘があります”と書きましたが、どのようなことでしょうか。もちろんこれは、私の推測が当たっていることを前提にしています。マジシャン側から見ると、仕掛けが見えているはずなのです。この図のように手前から見えるとしたら、仕掛けが観客側にあるということになります。現象の正直な表現を描くとしたら、観客の方から両方のカードの裏面が見えている図となるのではないかと思います。

もっともMHさんの方法では、観客側から見ても、マジシャン側から見ても成立するやり方です。それが彼の発想のすごいところです。 

(つづく)