“Sphinx Legacy” 編纂記 第54回

加藤英夫

今回は、A.M. Wilsonの素晴らしい発言と、そうではない発言をいくつか収録いたします。

出典:”Sphinx” 1925年5月 執筆者:A.M. Wilson

これは”Sphinx”の中で読んだA.M. Wilsonの最大の失言であり、暴言だと思います。思いついたことを何でも書いてしまう彼の欠点が現れた発言です。

I know nothing about chess, checkers, golf, billiards or poker, But I’ll bet dollars to doughnuts—the only nut that has no shell—that magic has in it a greater fascination and requires deeper and more intense study on the part of its devotees than does the followers of the five above mentioned games.

 

マジックというものが、ゴルフやチェスなどより魅力的なものであり、もっと奥深いものである、と述べているのです。それこそが彼がゴルフもチェスも知らないことの証明です。ゴルフを行うことの面白さ、チェスや将棋の奥深さなどはやってみなければわかるはずがありません。このようにマジックを盲信、盲愛することこそが、マジックが大衆に広く受け入れられないことの原因なのかもしれません。

マジックというものは、世の中に数多くある素晴らしいもののうちの、たったひとつのものでしかありません。人々が素晴らしいと思う色々なことを知ってこそ、マジックをより多くの人に素晴らしいと感じさせることができるのではないでしょうか。

出典:”Sphinx” 1925年5月 執筆者:A.M. Wilson

I do not like the word tricks as applied to magic. It savors too much of the fakir and grafter or as the circus people call it grifter. Cannot someone invent a word that will convey a more dignified yet comprehensive meaning to the things of our art? So far the word effect is the only one that seems to cover the ground from a professional view. Of course the dealer sells tricks in the form of apparatus, small or large, and it would be hard to give them other names, but in describing their use it seems to me that a more appropriate name could be given.

マシャン同士が何と呼ぼうと問題ではありません。問題は一般の人々に対して話すときの呼び方です。今日の日本では、’マジック’という呼び方が一般化していますから、とくに問題にはならないと思います。

なぜ日本で’マジック’と呼ぶのがおかしくなくて、英語ではトリックのことをマジックと呼ぶのが妥当ではないのでしょうか。それは’Magic’というのはもともと’魔法’のことだからです。彼らは「つぎにお見せする魔法は」などと言うことはできないのです。

Wilsonが代替えの単語がないかと問いかけてから、90年以上たっていますが、いまだに適切な言葉が見つかっていないように思えます。

出典:”Sphinx” 1925年6月 執筆者:A.M. Wilson

光のある所には陰が生まれます。人間においては素晴らしい才能があるゆえに、それが長所として働いたり、同時に短所を生み出すことがあります。そのことを、”Sphinx”編集者、A.M. Wilsonの発言において見てみましょう。このようなことを取り上げることは、私自身が生意気な態度をとっていることにもなりますが、”Sphinx”が数々の論争を生み出してきた原因として記録しておくことにいたしました。

I stand for the dignity of magic. If it is not as worthy of the respect of the public as is the drama, the opera or the lecture, then it is the fault of the magician and not of the art.

ここまではWilsonの崇高な見識が、長所として顕れた文章です。

Not so very many years ago I was laughed at and ridiculed as a theorist, a dreamer, an impractical ignorant amateur, but today my attitude toward magic is being recognized by all whose opinion is worth having. So far as I know no other magician— if I may be termed such—has received so many honors from magical societies both at home and abroad as I have. I say this without boasting but with a justifiable pride as a recognition of my continued and consistent contention for “Higher Magic.”

“世界のマジックソサエティの多くから、私ほど賞賛されたマジシャンは他にいない”と述べているのです。ときまさに2021年2月4日、東京オリンピック組織委員会・森喜朗会長の、女性蔑視問題が世界中で批判の嵐を起こしているときです。今回のような発言をする根本には、”自分は偉い”という思いがあるからに違いありません。Wilsonの発言にも、ときおりそのようなものを感じます。

そのような発言を繰り返してでも、Wilsonは多くのマジシャンの支持を得ました。それはやってきた業績がそのような発言を覆い隠すだけの、偉大なものであったからに違いありません。

出典:”Sphinx” 1925年6月 執筆者:A.M. Wilson

同じ号からA.M. Wilsonの自己賞賛の文章を取り上げましたが、その時点では以下の文章が書かれているのに気づいていませんでした。Wilsonに批判的なことを述べたあとに、このような文章を読まされて、やはりWilsonはただ者ではないと感じます。むしろ自己賞賛するぐらい明確な見識を持っていることが、指導者としては適任なのかもしれません。そんなことを考えさせられた文章です。

Adaptation is a word, the meaning of which should be studied by every practicing magician. I have seen some flat failures by excellent performers because of their lack of adaptation of both patter and effects to the character of their audiences. A stage show will not “get by” in a church or Sunday school entertainment, a vaudeville act will not pass in a lyceum or Chautauqua program, nor will a trunk full of apparatus be acceptable in a parlor performance.

Aside from the act itself the patter must be so flexible that it will be consonant with the character of the audience and this is a weak point I have found in many mighty good performers, their patter was learned by heart or copied from a book and committed to memory and repeated to every company, old or young, mixed or only men or at an afternoon tea. Adaptation and application are two great words to know.

Maskelyneの”OUR MAGIC”を読んだときもそうでしたが、100年もまえに書かれたものに衝撃を受けるということは、はたして今日のマジックはその時代のマジックより進歩しているのだろうかと思ってしまいます。ただトリックを数多く自分のものにしようとか、人を煙に巻くことだけを目的としてマジックをやることなどが、100年まえのマジシャンたちが人々を楽しませ、感嘆させようとしていたことと比べて、進歩したことになるのでしょうか。

そう考えるとWilsonの発した、”Stand for the dignity of magic”(マジックにおける威厳を保つ)や、”Consistent contention for Higher Magic”(より高尚なマジックを求める闘い)という言葉は、名言として響いてきます。

(つづく)