“Sphinx Legacy” 編纂記 第79回

加藤英夫

出典:”Sphinx”, 1911年7月号 執筆者:A.M. Wilson

Parisのマジック道具製作者の娘であるMiss De Vereが、最近引退したと報告されました。彼女はNew YorkのFolies Bergereにマジックとイリュージョンで出演し続けてきました。彼女が使った背景や道具のほとんどは、故Leon Herrmannから譲り受けたものでした。Miss De Vereはたいへん美しい女性でしたし、彼女がNew Yorkにやって来たときは、当地のマジック界に活況を与えたものです。しかしそれもいまは落ち着いてしまいました。彼女は英国での仕事でも成功いたしました。

文章中に’most attractive young lady’とありましたので、念のためどのようなマジシャンか調べて見ることにしました。そうするとこの女性マジシャンが、女優でもあったことがわかったのです。マジック現象を取り入れた無声映画の巨匠、Meliesの映画にも出演しているのです。

“Wikipedia”を調べたら、彼女が撮影されているメリエスの動画が見つかりました。たわいのないものですが、映画の歴史の中では貴重なものだと思われます。以下にアクセスしてご覧ください。

そして彼女を調べていてさらに面白い発見は、女性として初めて東洋人の姿でマジックを演じたというマジシャンを見つけたことです。それは彼女の母、’Okita’という芸名の、Julia Ferrettです。”Girlslovesmagic.com”のサイトには、つぎのように紹介されています。

Julia Ferrett (1852-1916年)は、東洋風マジックを演じた初めての西洋人マジシャンだと知られています。彼女は’Okita’という芸名を使いましたが、それはTheo Bambergが’Okito’という芸名を使うずっと以前のことです。私は彼女がショーでどのようなことをやったか詳細を見つけることはできませんでしたが、フランスの映画文献でつぎの一文を見つけました。

Meliesの映画の中で、Parisのマジック道具再作者De Viere夫人が、Robert-Houdin劇場で’Okita’という芸名で日本の衣装を着て演じていました。

1900年に公演された彼女の’Recreations Japonaises’と題したポスターの中で、左にいる子供は彼女の4歳の娘、Clementineであると言われています。

上記の説明では、”日本の衣装を着て”と書かれていますが、このポスターを見ると、日本というよりむしろ中国の趣を感じます。最近よく、中国ドラマを見ているのでそう感じます。

そしてポスターの中の左に立っている子供が、Okitaの4歳の娘、Clementineだと書かれていますが、念のためその名前で検索してみると、彼女も大人になってマジシャンになり、Okitaや姉妹のMiss De Vere以上に名が知られるマジシャンとなったことがわかりました。彼女、芸名’Ionia’は、”Sphinx”年3月号の表紙に掲載されていたのです。

その写真と名前を見たときは、存在の重要性を感じなかったのでスルーしましたが、彼女の経歴を調べて、生まれた国、育った国、父がマジックショップを経営していた国、それらを経てアメリカにやってきたということは、アメリカのマジック界がたんにアメリカで生まれた人々、アメリカで育ったマジシャンたちだけでなく、世界との交流によっても発展してきたことの象徴的存在であるというようなことを、彼女の存在から感じました。

(つづく)