“Sphinx Legacy” 編纂記 第80回

加藤英夫

出典:”Sphinx”,1912年5月号 執筆者:A.M. Wilson

マジックをアクトとしてまとめる要素として、プレゼンテーションとショーマンシップは異なる効用をもたらすものです。プレゼンテーションは良好であるが、ショーマンシップはそうではないマジシャンは、エンタテイナーとして輝く存在にはなれないでしょう。

もっと広い範囲、すなわち有名な劇場などでも名を上げるには、ショーマンシップを発散させることが成功に不可欠です。これはエンタテイナーを売るエージェントのビジネスの観点からも、もっと具体的に言えば、チケットを売る上において絶対的な必要条件であるのです。

あなたのマジックアクトを見つめ直してください。あなたのマジックが素晴らしいのはテクニックが優れているからですか。それとも他のマジシャンと違っているからですか。その違いはあなたを売り込むマネージャーがはっきりと、平均的なマジシャンとの違いを強調できるような違いでしょうか。つねにあなた自身であり、他のマジシャンのシャドーであってはなりません。

Wilsonは、’Presentation’よりも’Showmanship’の方が、ショービジネスの世界で生き抜いていくには重要だと述べています。この機会に、両者の意味を明確に区別しておきましょう。’Presentation’とは、マジックの現象をどのような運びでどのように見せるか、という構成の仕方のことです。ですからそれは、AさんとBさんが同じ’Presentation’を採用するということはあり得ます。

しかしながら’Showmanship’とは、起こされた現象を演技者がどのような表情やセリフなどによって、人間味を添えて観客に伝えるかという、まさに製造された製品を顧客に届けるときの販売員、営業マンの観客に対する態度に相当する部分の技術のことです。同じマジックを同じPresentationでやれたとしても、Showmanshipは誰もが同じやり方で行うというものではありません。

ただ上手なマジシャンと言われたいだけなら、Presentationがしっかりしていればいいが、業界で成功するには、観客への不思議さの届け方、面白さの届け方、感動の届け方、すなわちショーマンシップに優れていなければならないと、Wilsonは主張しているのです。

以上のような私の説明で、’Presentation’と’Showmanship’の違いが把握できたでしょうか。あえて両者を日本語に当てはめるなら、’見せ方’と’楽しませ方’と言えばよいでしょうか。あまり学術的な用語ではないですね。やはり英語のままがよいようです。いずれにしても、マジックで不思議さだけを表現すればよいというのではないことだけは、しっかりと心に止めていただきたいと思います。
ここから先は、まったくWilsonの指摘の範囲を逸脱して、私の独断と偏見が暴発したような文章になることをお許しください。ここまでの’Presentation’と’Showmanship’の説明の仕方と、まったく異次元の説明の仕方をします。

私は、マジックというものは、不思議な現象を見せるだけ、しかもその不思議さを誇らんばかりの態度で演じた場合、かなり多くの人が不快感を感じる可能性があると考えています。それはマジックの見せ方にかかっている部分もありますが、不可解なことを見せる、マジックというものが本来から持っている宿命のようなものであると考えています。

私の知り合いに、マジックを見せると悔しがる人がいます。「わからないから悔しい」とさえ言うことがあります。たいていの人は、そのようなことを言うこと自体が悔しいので言いません。親しい間柄だから言うのでしょう。マジックを見るかなりの人が、多かれ少なかれ、「やり方がわからなくて悔しい」に類する気持ちになっている可能性があります。

‘Showmanship’とは、不思議現象を見せたときに、そのような悔しさを感じさせず、それが面白いことだと感じさせるための催眠術のようなものではないかと、私は考えるのです。

極端な例が、YouTube動画でよく見られる、顔を映さないで、手先だけを映して見せる見せ方です。まったく’Showmanshipのかけらもありません。「不思議でしょう。やり方がわかりますか」とだけ、画面の向こうから言われているような気がします。

マジックというのは、頭に語りかけるだけのものではなく、心に語りかけるものでもあるべきです。とそのように書いたときに、はたと’Presentation’と’Showmanship’のひとつの区分け方を思いつきました。頭に語りかけて不思議さを生み出すのが’Presentaion’、心に語りかけて楽しさ(美しさ、etc)を生み出すのが’Showmanship’ではないだろうかと。

(つづく)