“Sphinx Legacy” 編纂記 第100回
加藤英夫
出典:”Sphinx”, 1935年月10号 執筆者:John Mulholland
今月号のこの表紙について、Mulhollandはつぎのように説明しています。
今月号の表紙は、”The Juggler”と題された英国の古い版画です。じつは’Juggler’というのは、古い英語では’マジシャン’のことなのです。この版画は、Cornhill街のYe Black HorseのJohn Bowlesに捧げられたものです。多くの画家がこの版画の複製を作成しましたが、それらは左右が反対になっていて、マジシャンが左にいます。表紙のものも原版作成の50年から70年のちに作成された複製です。18世紀中ごろのものです。
Mulhollandは、古い英語において’Juggler’はマジシャンを意味すると書いていて、この木彫のオリジナルが1700年代の半ばに製作されたと書いていますから、そのころはそうであったのでしょう。私はマジシャンのことが’Juggler’と呼ばれていたことを知りませんでしたから、この情報は貴重でした。何冊かの英和時点で調べてみたら、現代の英和であっても、’ジャグラー’と’マジシャン’が併記されて出てきました。
そこで”Sphinx”の最初の5年分ぐらいで’Juggler’で検索すると、あきらかにマジシャンのことを’Juggler’として記しているものは1902年9月号に、つぎの一例だけありました。
The hit of the performance was Chas. T. Aldrich, the juggler; whose imitation of Ching Ling Foo was excellent.
Aldrichが衣装早替わりマジシャンであることはよく知っていました。この文章ではChing Ling Fooのマジックを真似したと書かれていますから、これがマジシャンのことをジャグラーと呼んだ実例のひとつかと思いました。しかしAldrichはジャグリングもやっていたことがわかりました。ですからこの文章では、曲芸師の意味で’Juggler’が使われていたのかもしれません。
‘Magic’のことが’Juggler’と呼ばれていた時期があったことに関連して、世界大百科事典内につぎの言及がありました。
… 中世のヨーロッパでは宗教的祝祭に娯楽性が強まり、封建領主に所属する芸人たちが地方を巡回して芸を披露するという特異な形態が確立した。手品や軽業を見せるジョングルール jongleur (フランス語で〈放浪楽人〉の意で,英語ではジャグラー juggler)、詩歌をうたい曲芸を演じるミンストレル、抒情歌をうたい歩いたトルバドゥール、また宮廷道化 jester が活動した。さらに彼らは、閉鎖的な中世社会に各地の情報を流通させる役割も担った。…
私はかねてからなぜマジシャンなのにジャグラー操一を原点としたマジシャンの一派があったのか奇妙に感じてきましたが、今回の調査によって、”さもありなん”と納得しました。ジャグラー操一を調べたときに、edohakuarchives.jpに他のサイトよりきれいなポスターデータがありましたので、収録しておきます。
マジックとは関係ありませんが、’Juggler’を調べていたときに、珍しいJuggling動画を見つけましたので、紹介しておきます。