島田晴夫の神髄 第5回

加藤英夫

島田晴夫の存在が世界に広まった経緯

それは、1971年ロサンゼルスで開催された、’イッツマジック・ショー’でのことでした。それは島田師が初めてアメリカでマジックを演じたショーでした。このとき演じた和傘アクトが、マジックキャッスルのオーナー、ビル・ラーセン氏やチャニング・ポロックの目に止まり、ポロックがマネージャーをやらせてくれたと言ったことや、その後、マジックキャッスルへの出演につなががりました。

ラーセン氏は、即座に島田師にマジックキャッスルに出演することを誘いました。しかしながら、マジックキャッスルで仕事をするのにも、アメリカのワーキングビザが必要でした。しかしアメリカに入国したばかりの島田師は、すぐにマジシャンとしてのビザは取れませんでした。そこでラーセン氏は一計を図りました。マジックキャッスルのすぐ近くにあるヤマシロレストランのコックとして、島田師が雇われたことにして、ワーキングビザを取得することに成功したのです。

このラーセン氏との出会いも、島田師のキャリアで長い間、様々な貴重な機会を得るのに役立ちました。なぜなら、マジックキャッスルに頻繁に出演することは、ラスベガスや世界のショービジネス関係者たちが、島田師のマジックを見ることにつながったからです。

島田師のマジックキャッスルでの演技は、マジックキャッスルの会員でもあった、ジョニー・カーソンの目に止まり、彼の’トゥナイト’ショー’に出演することにつながりました。これがきっかけとなり、あとは連鎖反応のごとく、’ディック・キャヴェット・ショー’、’マーヴ・グリフィン・ショー’という、アメリカのメジャーなテレビ番組に立て続けに出演することになったのです。これによって島田晴夫というマジシャンの存在が世界に広がりました。

ここで、島田師がどのような場所で仕事をしてきたか、写真を添えて見ていただくことにいたします。

島田晴夫が出演した劇場

メキシコ Teatro Blanquita

テアトロ・ブランキータは、メキシコの歴史ある劇場で、長年にわたりコメディ、レビュー・ショー、音楽、舞台劇など多様なエンターテイメントを提供してきた象徴的な場所です。その名前はメキシコの有名な女優・歌手 Blanquitaに由来し、メキシコを代表するエンターテイメントの中心地の一つとなりました。

パリ Olympia

オランピア劇場は、フランスのパリ9区にある老舗ミュージックホール。もともとはローラーコースターがあった場所に、1893年に2000人収容の劇場として開業。一時は映画館となり、その後アメリカ軍に一時占領された時期を経て、1954年に改装の上再開業しました。

ロンドン Palladium

1910年オープン以来、幾度となく「ロイヤル・バラエティ・パフォーマンス」(英王室メンバーが主賓の演芸会)会場となった有名な劇場。また、人気ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』『オズの魔法使い』など、数多くの名作がここで上演され、1963年10月13日のビートルズのパフォーマンスもこここで行われました。

ラスベガス Liviera Hotel

ここで島田師は、5年間も’スプラッシュ’というショーで、メインスターとして出演してきたのです。

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