「奇術師のためのルールQ&A集」第7回

IP-Magic WG

Q:カップアンドボールのカップに組み込む新しい仕掛けを考えました。

マジックショップのM社の担当者に見せたところ、M社で是非販売したいとの意向でしたので、契約書にサインして製品化をお願いしました。特許も申請しておいた方がよいと言われました。特許の費用はすべてM社で負担するとのことだったので、特許の申請もM社に一任し、必要書類にもサインしました。M社からは製品化料として10万円を貰いました。

やがて特許が取れたという連絡があり、特許証が送られてきました。特許証の発明者の欄には、ちゃんと私の名前が大きく記載されていたので安心しました。ただ、M社から販売されたカップアンドボールは、金属製のカップで見栄えはよいのですが、1組の値段が2万円とたいへん高価です。そこで、別なP社に話をもってゆき、プラスチック製にすることにより、1組の値段が3000円程度のより安価な製品を販売する計画を立てました。

ところが、M社から特許権侵害を理由に、この販売計画を中止するよう求められてしまいました。この特許は、私が発明者なので、私が承諾すれば、P社から3000円の製品を販売してもかまわないと思うのですが、何か問題があるのでしょうか? もし、P社からの販売に問題があるのなら、私が自分で紙コップを加工して更に安価な紙製の商品を販売してもよいと思っています。

A:M社が特許侵害を理由にP社の販売計画の中止を求めた、とのことですが、今回のケースでは、おそらく特許の権利者はM社名義になっているものと推察されます。

送られてきた特許証をよく見てください。発明者の欄にはあなたの名前が書かれているわけですが、特許権者という欄にはM社と書かれているはずです。あなたの名前の方がM社の名前よりも大きく書かれていると思いますが、これは発明者の名誉をより尊重した運用です。

ただ、発明者にはこの名誉的な地位が与えられているだけであり、特許権を実質的に支配する権限は特許権者に与えられます。簡単に言えば、特許権を行使するという実用面に着目すれば、発明者は単なるお飾りであり、何の権限も有していないのです。したがって、今回のケースでは、この特許の使用をP社に許可するか否か、を決める権限を有しているのは特許権者であるM社であり、あなたには何の権限もないのです。仮に、M社が特許の使用を許可して、P社がプラスチック製の安価な商品の販売をすることを認めたとしても、P社が支払うロイヤリティを受け取る権利はM社にあり、法的には、あなたはP社から何の報酬を得ることもできないのです。

P社からプラスチック製カップアンドボールの販売ができない場合、あなた自身が紙コップを使って作成した紙の製品を販売するつもりとのことですが、このようなあなた自身による販売にも問題があります。カップに組み込む新しい仕掛けはあなた自身が発明したものなので、この仕掛けを用いたカップアンドボールを、あなた自身が製造販売するのであれば何ら問題はない、とお考えかもしれません。しかしながら、上述したとおり、発明者には、名誉的な地位が与えられているだけであり、実質的な権利は何もないのです。つまり、この特許の実質的な権限に関する限り、あなたは、そこらへんの通行人と何ら変わりはありません。特許製品については、たとえその発明者であっても、特許権者の許可を得なければ製造販売を行うことはできないのです。したがって、あなたが紙コップを使った安価な特許製品をM社に無断で製造販売する行為は、あなたの発明品であったとしても違法になります。

なぜこんなことになってしまったのか。その原因は、特許出願時にあなたがサインした書類にありそうです。「M社の負担で特許出願を行うことに同意する」とか「特許出願の手続はM社に一任する」という文面であればサインしても問題はありません。そもそも特許制度では「特許を受ける権利は発明者に帰属する」ことになっているので、もともと特許権者となる基本的な権利はあなたが持っていたことになります。ところが、特許出願を行うことにより、その権利があなたからM社に移ってしまったのです。もちろん、何もしないで権利が移るわけありません。おそらく、あなたは譲渡証書という書類にサインをしてしまったのではないかと思います。この譲渡証書には、通常「カップを用いた奇術用具に関する特許を受ける権利をM社に譲渡する」というような文面が記載されています。この文面にサインをすることにより、特許権者となる基本的な権利があなたからM社に移転したことになります。

特許出願を行う前に、特許庁に提出する出願書類をチェックしましたか? この出願書類には、発明者の欄にあなたの名前が記載され、出願人の欄にM社の名前が記載されていたはずです。自分の名前が発明者として記載されていたので、安心してしまったのではないですか? M社に出願手続を一任したので、出願人の欄は実際に手続を行うM社になっているんだ、と勝手に思い込んでいたら大間違いです。特許が成立した場合、特許権者になるのは、発明者の欄に記載されていたあなたではなく、出願人の欄に記載されていたM社なのです。つまり、この出願は、特許を受ける権利があなたからM社に譲渡されたという前提で行われており、それを裏付ける証拠が上述した譲渡証書ということになります。特許の事はよくわからないので、M社から送られてきた書類をよく読まないでサインした、というのが実情かと思いますが、書類に署名した以上、この譲渡契約が錯誤によるものだとする主張が認められる可能性は極めて低いでしょう。M社から製品化料として10万円を貰ったとのことですが、「製品化料」という名目がかなり曖昧です。もし、この10万円の領収書に、「但し、特許を受ける権利の対価として」のような記載があったとしたら、権利をM社に10万円で売却した証拠として採用されてしまうでしょう。

一般に、個人が発明して、会社名義で特許出願を行う、というケースは非常に多いです。この場合、発明者個人から会社に「特許を受ける権利」を譲渡した上で出願が行われたことになります。現在、電球に代わってLED照明が普及していますが、このLED照明の発明者とその勤務先である企業との間に、「特許を受ける権利」が譲渡されたかどうかについて数百億円規模の訴訟が提起され、何年もかかる泥沼の法廷闘争になりました。ご質問のケースの場合、もし権利の帰属についてM社と争うのであれば、多くの費用と時間を無駄にすることになるでしょう。したがって、現実的な対策としては、やはりM社と話し合いを重ね、ロイヤリティの支払いによりP社のプラスチック製品やあなたの紙製品のカップアンドボールの製造販売を許可してもらうのが良策といえるでしょう。

このようなトラブルを防ぐためには、今後、あなたの発明について特許出願を行う際に、出願人(将来、特許権者になる者)が誰の名義になっているのか、譲渡証書にサインしてしまっていないか、を確認することが大切です。出願書類の発明者の欄および出願人の欄がいずれもあなたの名義になっていれば、特許が成立した場合、あなたは発明者であり特許権者になりますから、この特許についてのすべての権限をもつことになります。

ただ、そのような虫のよい話では、M社が出願費用を負担したり、出願手続を行うことに難色を示すかもしれません。その場合は、たとえば「特許出願の手続は費用を含めてM社の負担において行うが、特許が成立した際には、M社に対して無償の通常実施権を設定する」というような契約を取り交わしておくのも一案です。「無償の通常実施権」というのは、「無料で特許を使うことができる権利」です。このような契約を締結しておけば、特許を受ける権利はM社に譲渡されないので、特許が成立した場合、あなたは特許権者として、P社による製造販売を許可できますし、あなた自身が製造販売を行うこともできます。

一方、M社は、出願手続や出願費用の負担を行う必要がありますが、自社製品をロイヤリティフリーで販売することができます。M社は特許権者ではないので、ライバル会社が特許製品を製造販売することを禁止することはできませんが、通常実施権を得ることができるので、自社で特許製品を販売することは自由にできることになります。

もちろん、あなたが「発明者としての名誉さえ守られるのであれば、実質的な権利はM社に渡してしまってもかまわない」と考えるのであれば、今回のケースのように、譲渡証書にサインをして、発明者をあなた名義、出願人をM社名義とした出願を行っても差し支えありません。この場合、ご説明したとおり、P社にプラスチック製の特許製品を製造販売させたり、あなた自身が紙製の特許製品を販売したりするには、M社の許可が必要になります。

しかし、少なくとも、M社が出願手続やその費用負担を引き受けてくれるので、何ら苦労をせずに自分の発明が特許になるわけですから、名誉的なメリットだけでよい、ということであれば、それでよいと思います。

なお、もしあなたが譲渡証書にサインした覚えがない、ということであれば、M社による特許出願が勇み足であった可能性があります。現在の特許庁の運用では、特にトラブルがなければ、譲渡証書を提出する必要はないことになっています。したがって、M社が譲渡証書なしに、勝手に自社を出願人として特許出願したのかもしれません。あなたが、権利をM社に譲渡した自覚がなく、証拠となる譲渡証書も存在しない、ということであれば、M社の特許出願は、正当な権原のない者による違法な出願(冒認出願と呼ばれます)ということになります。この場合、あなたがM社を相手取って特許無効審判請求を行えば、M社の特許を無効にすることができます。また、特許権移転請求訴訟を行えば、M社名義の特許を自分名義の特許に書き換えることも可能です。

(回答者:志村浩 2020年11月10日)

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  • 注2:掲載されている質問事例の多くは回答者が作成したフィクションであり、実際の事例とは無関係です。
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