「奇術師のためのルールQ&A集」第23回

IP-Magic WG

Q:日本の伝統芸能である水芸や胡蝶の舞は、何らかの法律で保護されるのでしょうか?

江戸時代から受け継がれてきたこれらの伝統芸能は、その正統な伝承者であるプロマジシャンによってのみ演技が許されるべきものだと思います。大学のマジックサークルの発表会などで、学生さんが生半可な気持ちで水芸や胡蝶の舞を演じると、伝統芸能としての品格が落ちるような気がします。正統な伝承者であるプロが特許などを取得しておき、許可を得なければ上演できないようにすることは可能ですか?

A:伝統芸能を保護する法律としては、昭和25年に施行された文化財保護法があります。

この文化財保護法では、形がある有形文化財の他に、形のない無形文化財も保護対象になっています。有形文化財としては、由緒ある建築物などが多数登録されています。伝統芸能は形のないものですから、無形文化財として保護されます。文化財保護法の保護対象となる無形文化財は「演劇、音楽、工芸技術、その他の無形の文化的所産で、我が国にとつて歴史上又は芸術上価値の高いもの」と定義されており、具体的には、古典落語、雅楽、講談などの伝統芸能が無形文化財として登録されています。

奇術に関しては、平成9年に和妻が無形文化財として登録されました。文化庁が公開している文化遺産データベースには、「和妻の特色は、代表的演目である『紙蝶の曲』や『水芸』にみられるように、手先の技術と簡単な仕掛けを用い、囃子・口上にあわせて芝居がかりに演出する点にあり、トリックのアイデアを主とする西洋奇術とはその趣を異にするもので、日本の伝統的演芸として芸能史上重要な位置を占める。」との説明がなされています。

このように、水芸や胡蝶の舞は、和妻として文化財保護法による保護を受けています。ただ、この文化財保護法による保護は特許法や著作権法による保護とは性質が異なっています。特許法や著作権法は、発明者や創作者の権利を保護するための制度であるため、これらの法律に基づいて、他人が勝手に真似することを禁止できます。これに対して、文化財保護法は、貴重な文化財が失われてしまわないように保存することを目的としたものであるため、誰かが真似をすることを禁止する法律にはなっていないのです。

たとえば、重要無形文化財として登録された無形文化財については「文化庁長官は、記録の作成、伝承者の養成、保存のため適当な措置を執ることができる」とされており、必要なら保存に必要な補助金を給付することができることになっています。ご質問にある「保護」とは、「正統な伝承者の許可を得なければ上演できないようにする」という趣旨と拝察致しますが、そのような趣旨での「保護」は、文化財保護法の意図するところではありません。

「正当な権利者の許可がなければ他人が真似できないようにする」という趣旨での「保護」を与える法律は特許法や著作権法です。しかしながら、伝統芸能である水芸や胡蝶の舞については、現代において、特許法や著作権法による保護は受けられません。これらの和妻は、創作時期が極めて古いため、とっくに保護期間が経過してしまっているからです。

文化遺産データベースには「和妻は、近世に芸能としての確立をみるが、その起源は奈良時代に大陸から伝来した散楽の演目にまでさかのぼる。」との説明がありますが、仮に、水芸や胡蝶の舞の演目が江戸時代に確立したとしても、既に、創作から100年以上も経過しております。現代の法律に規定された存続期間は、特許の場合は出願から20年、著作権の場合は著作者の死後から70年ですから、仮に江戸時代に特許法や著作権法が成立していたとしても、創作から100年以上も経過している水芸や胡蝶の舞の権利はとっくに切れていることになります。

また、特許権や著作権には、必ず権利者が存在します。この権利者になれるのは、創作者自身、または、創作者から権利を譲り受けた譲受人に限られます。水芸や胡蝶の舞の真の創作者はとっくに死亡していますから、もし、現行法において、水芸や胡蝶の舞に特許権や著作権を認めるためには、その権利者と主張する者が、創作者から権利を譲り受けた正当な譲受人であることを立証する必要があります。そもそも江戸時代にまで遡って真の創作者を特定すること自体、至難の技かと思います。

特に、特許出願の場合、出願書類に発明者の名前を明記する必要があります。水芸や胡蝶の舞の道具について、真の発明者の名前がわからないからといって、代わりに自分の名前を発明者欄に記載して特許出願を行うことは、冒認という違法行為になります。もっとも、特許法上は、出願前に公然知られていた発明は、特許を受けることができない、という大原則があるので、奇術界で広く知られている水芸や胡蝶の舞について、これから特許出願を行っても特許は取得できません。

結局、現行法では、「正統な伝承者の許可を得なければ上演できないようにする」ことはできません。これは、和妻だけに限らず、その他の伝統芸能についても同様です。学生さんが、和妻、古典落語、雅楽、講談を演じることは全く自由です。たしかに、正統な伝承者であるプロが演じるこれら伝統芸能の演技に比べれば、学生さんの演技は稚拙なものになるかもしれません。しかし、もはやこれらの伝統芸能はプロだけが独占すべきものではなく、国民全体の文化的財産にまで昇華してしまっているものと考えざるを得ないでしょう。

なお、これまでの説明で「水芸や胡蝶の舞は、特許法や著作権法による保護を受けることができない」と述べたのは、あくまでも、伝統芸能として古くから伝承されてきた古典形式の道具や演技についてのことです。別言すれば、水芸や胡蝶の舞について、新たなアイデアや新たな表現を盛り込むことができれば、この新たな部分については特許法や著作権法による保護を受けることができます。

たとえば、水芸に用いる扇子について新たな水の噴出機構を考案したり、胡蝶の舞について糸の張り方を新しい方法に変えたりした場合、この新しい部分については特許による保護を受けることができます。また、水芸や胡蝶の舞について、新たな舞台美術を施したり、新たな振り付けを考案したりすれば、この新しい部分については著作権による保護を受けることができます。

(回答者:志村浩 2021年5月15日)

  • 注1:このQ&Aの回答は著者の個人的な見解を示すものであり、この回答に従った行為により損害が生じても、賠償の責は一切負いません。
  • 注2:掲載されている質問事例の多くは回答者が作成したフィクションであり、実際の事例とは無関係です。
  • 注3:回答は、執筆時の現行法に基づくものであり、将来、法律の改正があった場合には、回答内容が適切ではなくなる可能性があります。

ご意見、ご質問は、こちらからお寄せください。
その際、メール件名に【ip-magic】を記載願います。