「奇術師のためのルールQ&A集」第69回
IP-Magic WG
Q:人体交換の道具として宝箱を使います。この宝箱の正面の装飾に菊の御紋章を使用したいと思っていますが、何か問題があるでしょうか?
人体交換のイリュージョン用の大道具として、人が入れるほどの大きな宝箱を用います。その正面には、飾りとして菊の御紋章を配置したいと思っています。ただ、菊の御紋章は天皇家の紋章だと思いますので、これを利用するには、宮内庁などから許可を得る必要があるのでしょうか?
また、この宝箱を私のトレードマークとして使いたいのですが、この宝箱のデザインについて、意匠登録や商標登録を行うことはできるのでしょうか?
A:宝箱の装飾として菊花紋章を用いることを禁止する法律はありませんが、意匠登録や商標登録はできません。
天皇家の紋章としての菊花紋章の使用制限令は、明治時代から太政官布告として出されていたようです。また、明治時代に制定された旧刑法では、皇族に危害を加えただけで死刑に処すると規定されているので、皇族に対する罪はかなり重かったようです。この旧刑法には、「不敬罪」という罪があり、天皇や皇太子に対して「不敬の所為」ある者は5年以下の重禁錮刑に処する、とされています。「不敬の所為」というものが、どの程度の行為を指すのかは明記されておりませんが、大正15年に「十六葉八重表菊の紋章は天皇家の紋章とする」旨の規則が正式に定められ、菊花紋章を勝手に用いた場合は、寺社を除いて「不敬罪」によって処罰される可能性があったようです。
上記太政官布告や旧刑法は、戦後に廃止されたので、現在は、天皇陛下に危害を加えたとしても、一般人に危害を加えた場合と同様に、それだけで死刑になることはないようです。また、新刑法には「不敬罪」なるものは規定されていませんので、天皇陛下に不敬な態度をとったとしても、特に罰せられることもないようです。したがって、現在は、天皇家の紋章である菊花紋章を勝手に用いた場合でも、それだけで罪に問われることはありません。
実際、菊花紋章については、饅頭などの和菓子・金杯などのデザインに利用されており、叙勲祝の記念品などに用いられているようです。現在、宮内庁では、菊花紋章の使用にあたり、許可を与えるような運用はなされていません。したがって、基本的には、あなたが大道具の宝箱の装飾に菊花紋章を用いる場合、宮内庁などから許可を得る必要はありません。要するに、現行法では、菊花紋章の使用を禁止する直接的な法律は存在しないので、基本的には、誰でも自由に菊花紋章を使用することができることになります。
同様に、水戸黄門の印籠で有名な「葵の御紋」なども、誰でも自由に使用することができます。日本では、それぞれの家に先祖代々から伝わる「紋章」がありますが、自分の家の紋章に限らず、他人の家の紋章を使用することも、基本的には自由です。ですから、あなたの大道具の装飾に「葵の御紋」を付加することもできます。
ただし、その紋章に商標権や著作権がある場合は別です。菊花紋章については後述するように商標権は存在しません。また、著作権も、仮に過去に発生していたとしても、とっくに権利期間は過ぎております。葵の御紋についても同様です。しかしながら、他家の紋章であっても、最近作成されたものや、商標登録がなされたものについては、著作権や商標権が発生しているため、これを勝手に利用するのはNGです。
また、菊花紋章や葵の御紋など、著作権や商標権が存在しない紋章の場合でも、使用の態様によっては、他の法律に抵触する可能性はあります。たとえば、軽犯罪法には「資格がないのにかかわらず、法令により定められた制服若しくは勲章、記章その他の標章若しくはこれらに似せて作った物を用いた者は、拘留又は科料に処する。」という規定があります。菊花紋章自体は、法令により定められた勲章や記章ではありませんが、法令で菊花紋章を用いた記章が用いられているケースがあります。
たとえば、知的財産権の専門家である弁理士の記章(バッジ)は、菊花紋章の中央に桐の花をあしらったものになっています。したがって、資格のない者が、この記章に類似したものを用いると、上記軽犯罪法に違反することになります。今回のケースの場合は、菊花紋章のみを大道具の装飾に用いるのであれば、軽犯罪法違反にはならないと思われますが、菊花紋章を若干加工して用いる場合は、勲章や何らかの公的資格を示す記章に類似しないように留意する必要があります。
(弁理士記章)
また、菊花紋章付きの大道具を使用することにより、あなたが皇室と何らかの関係があるマジシャンであると観客に誤認させ、その誤認の結果、公演の依頼などを受けたとすると、詐欺罪に問われる可能性もあります。あなたが大道具に菊花紋章を用いたい理由はよくわかりませんが、このような誤認が生じないように十分注意する必要があるでしょう。
次に、この菊花紋章付きの宝箱のデザインについて、意匠登録や商標登録を行うことについて説明します。まず、意匠登録については、「菊花紋章のデザインを登録してはならない」という明文の規定はありません。ただ、意匠法には、「公序良俗を害するおそれがある意匠は登録を受けることができない。」との規定があるので、もし、菊花紋章をあしらった大道具について意匠登録出願を行った場合、おそらく、この公序良俗違反として、登録が許可されない可能性が高いと思われます。
一方、商標法には、「菊花紋章もしくはこれに類似する商標については、商標登録を受けることができない。」という明文の規定が設けられています。したがって、菊花紋章をそれ単独で商標出願した場合は、商標登録を受けることができません。また、菊花紋章を含むロゴ(たとえば、菊花紋章をあしらった宝箱の画像)で商標出願した場合は、菊花紋章に類似する商標出願とみなされるか、あるいは、意匠法と同様に公序良俗違反とみなされ、登録が許可されない可能性が高いと思われます。
商標法では、菊花紋章だけでなく、日本や外国の国旗、紋章、勲章、褒章、赤十字章などと同一、またはこれに類似した商標も登録を受けられない商標として規定されています。また、同様の規定が知的財産権に関する条約(工業所有権の保護に関するパリ条約)でも規定されているため、菊花紋章や日の丸の国旗などを、外国(この条約の締約国)において商標出願しても、商標登録を受けることができないことになります。
(回答者:志村浩 2022年4月9日)
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