「奇術師のためのルールQ&A集」第82回

IP-Magic WG

Q:日本の出版社Jに著作権を譲渡して出版を任せることにしたところ、後日、米国の出版社Uから英語版の出版打診がありました。私が出版社Uと直接交渉して英語版の出版を進めてよいのでしょうか?

数年にわたって奇術雑誌に投稿してきたオリジナル奇術の解説記事について、日本の出版社Jから、これらの原稿をまとめて単行本を刊行したい旨の申し入れがあったので、これを受諾し、「すべての著作権を出版社Jに譲渡する」という契約書にサインし、対価として100万円を貰いました。

ところが、最近、米国の出版社Uから、この単行本についての英語版を出版したい旨の連絡がありました。そこで出版社Jに相談したところ、英語版については「出版社Uではなく、弊社の米国子会社を通じて出版を行わせて欲しい」との申し出でがありました。しかしながら、米国の出版社Uは、私の米国の友人から紹介された出版社でもあり、米国で奇術書籍を専門に発行している会社ということもあり、できれば英語版はこの出版社Uを介して出版してもらいたいと思います。

ただ、この単行本の日本語版については、「すべての著作権を出版社Jに譲渡する」という契約書を締結してしまっているので、既に著作権は出版社Jが保有するものになっています。このような場合、出版社Jの意向を無視して、私が出版社Uと直接交渉して、出版社Uから英語版の出版をしても問題ないのでしょうか?

A:出版社Jとの契約書の文言が、「すべての著作権を出版社Jに譲渡する」という内容であり、翻訳権についての言及がなければ、出版社Uと直接交渉して英語版の出版を進めても問題ありません。

今回のケースでは、「原著作権」と「二次的著作権」との関係が問題になるので、まず、この関係について簡単に説明をしておきましょう。一般に、創作者がある著作物を新たに創作した場合、この著作物は「原著作物」ということになり、創作者はこの著作物について「原著作権」を取得します。ここで「新たに創作した」というのは、全く何もない状態からすべての創作を行ったという場合だけでなく、他人のアイデアやヒントに基づいて創作したものであってもかまいません。アイデアやヒントは著作物ではないので、誰かのアイデアやヒントに基づいて創作を行ったとしても、創作過程がオリジナルのものであれば、「新たに創作した」著作物になります。

これに対して、ある著作物を「翻訳」、「編曲」、「変形」、「翻案」することで創作された著作物を「二次的著作物」と言い、そのベースとなった元の著作物が「原著作物」になります。ここで、「翻訳」というのは、文字どおり、元の著作物を別な言語に置き換えることです。「編曲」というのは、元の著作物である楽曲をアレンジして付加価値を付け加えることです。また、「変形」というのは、絵画を彫刻に変えたり、写真をイラストに変えたりして表現形式を変更することです。そして、「翻案」というのは、小説を演劇化したり、漫画を映画化したりすることです。

今回のケースは、奇術書の日本語版を英語版に変えるわけですから「翻訳」ということになります。日本語版は、あなた自身が執筆したものなので「原著作物」ということになり、英語版は、この「原著作物」に基づいて翻訳を行うことにより創作されたものなので「二次的著作物」ということになります。このように「原著作物」と「二次的著作物」が存在する場合、両者の権利関係は次のようになります。

まず、「原著作物」の著作権は、もともとはあなたが保有しており、原稿執筆時の著作権者はあなたになります。ところが、この日本語版(原著作物)の出版にあたり、あなたは著作権を出版社Jに100万円で譲渡してしまったので、現時点での「原著作物」の著作権者は、出版社Jということになります。

一般的には、出版社に出版を依頼する場合、その出版社に対して「出版権」というものを設定することが多いようですが、今回のケースでは、「著作権」を譲渡しております。「著作権」と「出版権」との法律上の大きな違いは、前者が物権、後者が債権であるという点です。「著作権」の場合は「譲渡」、「出版権」の場合は「設定」という言葉が使われているのは、物権と債権の違いによるものです。法律用語が出てきて若干難しい話になりますが、家の賃貸借の例を挙げて説明すると、家のオーナー(貸主)が保持している建物の所有権が物権、その家を借りている借主が保持している賃借権が債権、ということになります。

この例にならうと、「著作権」は貸主のもつ権利、「出版権」は借主のもつ権利ということになります。つまり、著作物の所有者は「著作権者」ですが、その著作物を利用して出版物を発行することができるのは「出版権者」ということになります。別言すれば、「出版権者」は「著作権者」から、著作物を出版することを許可された者であり、ちょうど、借主が貸主から家に住むことを許可された者であるのと同様です。

今回の契約では、出版社Jに対して「出版権」を設定するのではなく、「著作権」を譲渡しておりますので、上例の場合、賃貸契約を結ぶのではなく、家の売買契約を結んでしまったことになります。つまり、出版社Jから貰った100万円は、家賃ではなく、家の売却料に相当するわけです。あなたは、出版社Jとの契約を結ぶときに、「著作権」と「出版権」との違いを深く考慮せず、出版を依頼する際に必要な契約書であろうと考えて安易にサインをしてしまったのでしょうが、実際のところ、今回のケースでは、「著作権」の譲渡契約ではなく、「出版権」の設定契約で十分であったと思われます。

一般に「著作権」と呼ばれている権利は、実は、単一の権利ではなく、いくつかに小分けされた権利(支分権と呼ばれています)の集合体によって構成されています。具体的には、著作権は、複製権+上演権+公衆送信権+譲渡権+貸与権 +翻訳権… などの支分権の集合体なのです。したがって、著作権法上、著作権はそのすべてを譲渡することもできるし、その一部(特定の支分権)を譲渡することもできるようになっています。なお、上述した「出版権」というのは、支分権の1つである複製権(物権)を保持する者が設定できる債権です。

したがって、出版社Jに「出版権」を設定した場合でも、たとえば公衆送信権(インターネットを介したデータ送信などを行う権利)などの支分権はそのまま残ることになります。ところが、出版社Jに「著作権」の支分権のすべてを譲渡してしまうと、公衆送信権などの支分権すべてが出版社Jのものになってしまうため、あなたが勝手に、この奇術書の日本語版をWebで公開すると、出版社Jが保有する公衆送信権を侵害する違法行為になってしまいます。

今回のケースでは、出版社Jとの契約書の文言が、「すべての著作権を出版社Jに譲渡する」という内容であるとのことですので、この文言を文字通り解釈すると、すべての支分権が出版社Jに譲渡されたように読めます。もし、そのように解釈すると、支分権の1つである翻訳権も出版社Jに譲渡されたことになり、日本語版を翻訳して英語版を発行する権利は出版社Jが保有することになってしまいます。その場合、米国の出版社Uが英語版を出版したいのであれば、あなたではなく、翻訳権を保有する出版社Jの許可を得る必要があります。

ただ、幸いなことに、著作権法には、「著作権の譲渡契約書において、二次的著作物に関する支分権については、これらの支分権を特掲しなければ、これらの支分権は譲渡人に留保される。」という規定が設けられています。ここで、二次的著作物に関する支分権というのは、「翻訳権」、「編曲権」、「変形権」、「翻案権」を言います。具体的に言えば、契約書に「すべての著作権を出版社Jに譲渡する」という文言が記載されていたとしても、「翻訳権」、「編曲権」、「変形権」、「翻案権」に関する言及が一切なければ、これらの支分権については、譲渡人(つまりあなた)に留保されることになります。

もう一度、出版社Jと締結した契約書をよく見てください。「すべての著作権を出版社Jに譲渡する」という文言だけであれば問題はありません。これに対して、「すべての著作権(翻訳権を含む)を出版社Jに譲渡する」という文言だった場合は、「翻訳権」が特掲されているので、「翻訳権」も出版社Jに譲渡されてしまうことになります。「翻訳権」という文言の代わりに条文を使って「著作権法第27条および第28条に規定する権利」という表現になっている場合もあるので注意してください。たとえば、「すべての著作権(著作権法第27条および第28条に規定する権利を含む)を出版社Jに譲渡する」という文言だった場合は、「翻訳権」などの二次的著作物に関する支分権が特掲されていることになり、「翻訳権」なども出版社Jに譲渡されてしまうことになります。

要するに、契約書上に「翻訳権」とか、「二次的著作物に関する権利とか」、「著作権法第27条および第28条に規定する権利」といった文言が見当たらなければセーフということになります。この場合、上述したように、公衆送信権などの支分権は出版社Jのものになってしまうため、日本語版をWebで公開することはできませんが、「翻訳権」は残っているため、出版社Jに無断で、あるいは、出版社Jの意に反して、あなたが米国の出版社Uと直接交渉して英語版の出版を進めても問題ありません。

(回答者:志村浩 2022年7月9日)

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