「奇術師のためのルールQ&A集」第85回
IP-Magic WG
Q:4人共同で奇術の入門書を執筆しましたが、この入門書の英訳版を発行する際には、4人全員の合意が必要になるのでしょうか?
アマチュアマジシャン4人が奇術の入門書を執筆しました。この入門書は全3章から構成されております。第1章には「奇術の歴史」が書かれており、第2章には「奇術の技法」が解説されており、第3章にはいくつかの「奇術作品」が紹介されています。第1章の文はAが執筆を、第2章の文はBが執筆を、第3章の文はCが執筆を、それぞれ担当しました。ただ、第2章と第3章については、文章とともに図が掲載されており、この図はDが担当しました。結局、この入門書全体は、A,B,C,Dの4人が共同で執筆したことになります。
この入門書が出版されてから3年後に、その英訳版を出版する話が出てきました。この場合、A,B,C,Dの4人全員が合意しないと、英訳版の出版はできないのでしょうか? 実は、第1章の「奇術の歴史」を担当したAは昨年亡くなっており、英訳版の了解をとることは不可能です。
A:この入門書全体の英訳版を出版するためには、基本的には、4人全員の合意が必要であり、亡くなったAについては、相続人である遺族の了解をとる必要があります。
まず、複数の人が関与して作成された著作物についての一般的な取り扱いを説明しておきましょう。一般論として、複数の者の関与により作成された著作物には、共同著作物と結合著作物があります。共同著作物というのは、「2人以上の者が共同して創作した著作物であって、その各人の寄与を分割して個別的に利用することができないもの」と定義されています。これに対して、「各人の寄与を分割して個別的に利用することができるもの」は結合著作物と呼ばれます。
たとえば、甲乙両名が話合いをしながら内容を決めたような著作物の場合、どの部分が甲の寄与部分であり、どの部分が乙の寄与部分であるかを分割することは困難です。このような著作物は共同著作物に該当します。これに対して、第1章を甲が執筆し、第2章を乙が執筆したような著作物の場合、甲の寄与部分は第1章であり、乙の寄与部分は第2章であることが明白であり、各章は個別的に利用することができます。このような著作物は結合著作物に該当します。
結合著作物の場合は、各人の寄与部分を分割することができるので、著作権も各寄与部分ごとに行使することができます。たとえば、前述した、第1章を甲が執筆し、第2章を乙が執筆した著作物の場合、第1章の著作者は甲、第2章の著作者は乙と分けて考えられるので、第1章の部分について転載したり英訳したりする際には、甲の了解のみが得られれば足り、乙の了解は必要ありません。同様に、第2章の部分について転載したり英訳したりする際には、乙の了解のみが得られれば足り、甲の了解は必要ありません。もちろん、第1章と第2章を含んだ結合著作物全体を転載したり英訳したりする際には、甲乙両名の了解が必要になります。
このように、結合著作物の場合は、各人の寄与部分ごとに別個の著作権が発生していると考えればよいので、取り扱いは簡単です。これに対して、共有著作物の場合は、各人の寄与部分を分割して個別的に利用することができないので、取り扱いは少々やっかいです。著作権法上、共有著作物について転載したり英訳したりする際、つまり、著作権の権利行使を行う際には、原則として、共有者全員の合意が必要とされております。たとえば、5人が共同して創作した共有著作物の場合、5人の中のたった1人が合意しなかった場合、原則としては、その著作権を行使することができないので、転載や英訳はできないことになります。
もっとも、このような運用を厳格に行うと著作物の円滑な利用が妨げられてしまうため、合意を拒むには正当な理由が必要とされています。判例では、執筆時から何年も経過しているために、著作物の内容が既に陳腐化しており、そのような陳腐化した内容のまま翻訳版を出版することは躊躇せざるを得ない、という主張が認められ、翻訳版の出版に合意することを拒絶したことに正当な理由があると認定された例があるようです。換言すれば、このような特別な事情がない限り、正当な理由とは認められないので、たった一人だけが合意を拒絶するようなことは、実務上は困難なようです。
さて、このような一般論を踏まえて、ご質問の具体的な事例を考えてみましょう。ご質問の奇術入門書の場合、第1章、第2章、第3章は、それぞれ分割することができ、個別的に利用することができます。そして、第1章の創作にはAが寄与し、第2章の創作にはB(文)とD(図)が寄与し、第3章の創作にはC(文)とD(図)が寄与しています。このように、各章について寄与した著作者を分けて把握することができ、それぞれの章を個別的に利用することができるので、奇術入門書全体は結合著作物と言えます。つまり、「第1章+第2章+第3章=奇術入門書」となっており、この奇術入門書は、それぞれが個別の著作物である第1章、第2章、第3章を結合することにより構成されています。
このように、この奇術入門書全体としては、第1章、第2章、第3章を結合した結合著作物なので、各章ごとに転載や翻訳を行う場合は、その章についての著作者の合意が得られれば足ります。たとえば、第1章のみを転載したり翻訳したりする際には、Aの合意が得られれば足ります。
それでは、第2章のみを転載したり翻訳したりする場合はどうでしょうか? 第2章の著作者はBとDであり、Bは文を担当し、Dは図を担当しております。もちろん、物理的には、第2章の「文の部分」と「図の部分」とを分離することは可能です。しかし「奇術の技法」を説明する第2章という意味合いを考えると、文と図を個別的に利用することはできないでしょう。たとえば、文の中に「図1のようにカードを保持します。」という表現があった場合に、図1が存在しなければ、文としても不完全なものと言わざるを得ません。もちろん、図だけでも不完全です。実際、文章の部分だけを取り出して利用しても、図の部分だけを取り出して利用しても、まともな奇術解説書にはならないでしょう。
このように、この奇術入門書の文と図は分割して個別的に利用することができないものに該当するので、第2章自体はBとDの共有著作物と言うことができます。同様に、第3章自体はCとDの共有著作物と言うことができます。よって、第2章を転載したり翻訳したりする際には、BとDの両方の合意が必要になり、第3章を転載したり翻訳したりする際には、CとDの両方の合意が必要になります。
この奇術入門書全体についての英語版を出版するには、第1章、第2章、第3章のそれぞれについての合意が必要になるので、結局、A,B,C,D全員の合意が必要となるわけです。前述したとおり、原則としては、一人でも合意に反対すると転載や翻訳はできなくなるわけですが、合意に反対する際には正当な理由が必要とされております。
ところで、今回のケースでは、第1章の「奇術の歴史」を担当したAは既に死亡しており、英訳版の了解をとることは不可能とのことなので、取り扱いが少々やっかいです。著作権は、土地・建物・預金などと同様に相続の対象となるので、第1章の著作権者であるAが死亡すると、その著作権はAの相続人に相続されます。たとえば、Aの相続人がa1,a2,a3の3人であったとして、それぞれが1/3ずつ相続したとすると、第1章の現在の著作権者はa1,a2,a3の3人ということになります。
そうなると、この奇術入門書全体についての英語版を出版するには、a1,a2,a3,B,C,Dという6人のメンバー全員の合意が必要となります。もちろん、合意に反対する際には正当な理由が必要とされているので、a1,a2,a3が反対する可能性は低いですが、6人の合意をとる作業はかなりやっかいでしょう。このように共同執筆者が存在する出版物の場合、重版や翻訳版の出版時に執筆者全員の合意をとる必要があるので、やっかいな作業を強いられるケースもある点は留意しておいた方がよいでしょう。
(回答者:志村浩 2022年7月30日)
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