マジックの練習について、私の考察 第3回
加藤英夫
目次
- ステップ1.そのマジックの不思議さや面白さを知る(第1回)
- ステップ2.マジックをスムーズにやれるようになるための練習(第1回)
- ステップ3.マジックを不思議にやれるようになるための練習(第2回)
- ステップ4.マジックを感じよく演じるようになるための練習(第3回)
- ステップ5.マジックを美しく、もしくはかっこよくやれるようになるための練習
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- ・・・・レネ・ラバンのインタビューより(第4回)
- ・・・・”ダイ・バーノンの研究”第3巻より(第5回)
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ステップ4.マジックを感じよく演じるようになるための練習
これは不思議さを高めることにも関係してくることですが、演技するときの姿勢、表情、観客に視線を向けるやり方、しゃべり方などは、感じよく演ずる必須事項ですが、マジックの始め方と終わり方については、ほとんど語られていません。じつはマジックそのものがいかにうまく演じられようが、始め方と終わり方がなっていなければ、どんな練習も水の泡となってしまいます。
始め方の根本は、マジックを始めるまえに観客とコンタクトを取る、ということです。しゃべらない演技なら、観客に視線を向けて挨拶的な所作をする必要があるでしょう。それなしにいきなりマジックを始めてはいけません。これはプロや上級マジシャンだけでなく、初級者、中級者にも理解してもらいたいことです。
マジック大会などで、観客がマジックを見る態勢でいる場合は、それほど難しくありませんが、自ら進んでマジックを見てもらうような状況では、このことがいちばん重要であり、けっこう難しいことなのです。ダイ・バーノンは、”頼まれないのにマジックを見せてはいけない”とさえ言っています。
マジックの始め方、演技するときの姿勢、表情、観客に視線を向けるやり方、しゃべり方などについては、個々に多くのことを説明することができますが、それらは後日の補筆にまかせることにいたします。
マジックを感じよく見せることの根本は、「マジックを見せてあげる」ではなく、「マジックを見てもらう」ということにあります。私は石田天海師から直接つぎのように聞いています。「どうだすごいだろう、という見せ方をしてはいかん」と忠告しています。
マジックを練習することが、手でやることや、体の動きでやることに慣れるだけのものだと考えて、ただ同じことを繰り返しやっているだけでは本当の練習ではありません。いまやっているやり方が正しいかどうかも考えて練習する必要があるのです。ダイ・バーノンが言っています。「マジックを練習するときは、頭を使いなさい」と。それがマジックの練習でいちばん重要なことです。その習慣を身につければ、いま練習していることに慣れるだけでなく、マジシャンとしてのレベルも上がっていくのです。
[具体例]
マジックを感じよく演じるための具体例はいくらでも見つけられます。テレビのマジック番組でもいいですし、YouTube動画は悪い例の宝庫です。それらを見て、あなたの心で感じがよいマジシャンかそうでないか、そういう観点でマジックを見てください。他の多くのマジシャンを観察することによって、この点の感性を磨くことができます。
マジックを練習することの弊害
「練習することによってマジックが下手になることがある」ということが、いったいどんなことか想像つきますか。すぐに思いつくのは、間違ったやり方を練習してしまった場合です。ラリー・ジェニングスは私に、「マジシャンは最良のツールを使うべきだ」と教えてくれました。ジェニングスが私に語ったときは、技法のことをツールと述べていましたが、技法のみならず、使う道具や素材についても言えますし、セリフや体のこなし方もツールと考えれば、練習するまえに使うツールを選定することも、練習過程の一部として熟慮する必要があることになります。
正しいツールを正しいやり方で扱い、演技する練習を行ったとしても、練習することによって弊害が起こり得ます。それは’慣れ’の弊害です。練習を重ねて、やることに慣れると、体が自然に動作を行えるようになり、次第に頭を使わないでも演技できるようになります。頭を使わない、そして心を使わないで演技することに慣れることほど、マジック上達の弊害になるものはありません。
慣れて頭も心も使わないで演技すると、動作が機械的になり、抑揚のない、あたかもロボットがやっているようなものになってしまい、メリハリのないものになりがちです。
シャドウプラクティス
シャドウボクシングというのがあります。相手なしで、相手がいることを想像して練習することです。私はアマチュアボウラーですが、シャドウボウリングという練習を家でやっています。ボールを持たず、投球フォームを繰り返すことです。ボールを持って実際にレーンで練習するよりも、ボールを持たないで練習した方が、投球フォームを身につけるには適しているのです。それはなぜでしょう。
ボールというのは重たい物です。(6.5k前後)。ですからそれを持って投げようとすると、ボールの重さで体の動きが影響されて、やろうとしていた足の運び方とか、手首の使い方などがやりにくいのです。ですから、ボールを持たないで、足の運び方とか手首の使い方を練習し、身につくように繰り返すのです。もちろんそれに慣れたあと、ボールを持ってそれをやろうとすると、練習通りにはできないものですが、少しはまえよりも投げ方が変わっています。
マジックでもシャドウプラクティスが役に立つケースがあります。たとえば長い手順ものを練習する場合、道具を持たないでやった方が、ひとつひとつのことに気を使わずにやれる分、効率よく手順の流れを体得することができます。また道具の扱いに気を使わない分、体の動かし方、目の使い方、表情など、やることをうまく感じよくアピールすることに気を使うことができます。しゃべるマジックなら、シャドウプラクティスのときに同時に練習するのもよいでしょう。
サイレントトーク
動作にメリハリをつけるひとつの方法として、心の中でしゃべりながら動作を行うという練習方法があります。用語として定着しているものではありませんが、私はそのような練習のやり方を’サイレントトーク’と呼んでいます。
動作を行うときに、口を動かさず、声にも出さないで、心の中で行う動作についてしゃべりながら、その動作を行うやり方です。たとえば何かを消失させたとき、心の中で「ほら消えてしまいました」と言います。そして出現させるとき、心の中で「ここにありました」と言うのです。
‘6枚ハンカチ’でシルクを数え取るとき、心の中で「1枚、2枚、3枚」と言って取ります。魔法をかけるとき、たんに手で格好をつけるだけでなく、心の中で「消えろ!」とか、「変われ!」とか言ってやるのです。そのようにすることによって、動作に心がこもるのです。
鏡は良い師ではない
“鏡は良い師である”とよく言われてきました。ビデオがなかった時代はそうだったかもしれませんが、ビデオ機器が普及した今日では、鏡を見て練習することは、技法の練習とか、一部分を練習するのには使えても、演技全体をチェックするのには適していません。なぜなら、演技しながらつねに鏡を見ていなければならないからです。
そして鏡を見て練習するのと、ビデオを使って練習するのは決定的な違いがあります。それは鏡を見て練習するときは、いまやっていることに気を使うのと同時に、それがどのように観客に見えるかを同時に考えなければならないことです。ビデオを使って行えば、演じるときは演じることに集中し、確認するときは確認することに集中することができます。やっているときに変だと感じないことも、観客として見ると変に見えることがあります。
ビデオを練習することに、もうひとつ大きなメリットがあります。とくにしゃべって演技する場合、演技中に思いついたセリフを言うことがありますが、ビデオで撮影していれば、アドリブで言ったことも記録されますから、忘れることがありません。
練習の目的
何事をやるにも目的というものがなくてはなりません。マジックの練習は、ただうまくマジックができるようになる、という目的だけであってはなりません。習得したマジックをうまく活用することが目的です。’うまく’というのは、人によって違うかもしれません。プロなら目的は明白です。収入や名声を得ることが目的であると思います。アマチュアなら、楽しくすごすことが多くのマジシャンの目的であると思います。ただ人にマジックを見せるのも楽しいでしょうが、見せた相手の人々に楽しんでもらえなければ、真の喜びは得られません。それを目的に練習していただきたいものです。
(つづく)