石田天海・おきぬ帰国関連資料 第1回

昭和33年(1958)3月14日、プレジデント・クリーブランド号でアメリカ本土より出航【河合勝コレクション】

河合 勝

はじめに

大正13年(1924)1月、松旭斎天勝一座の一員としてアメリカ巡業に参加した石田天海とおきぬ(当時は信子)は1925年1月頃、奇術研究のためアメリカに残る決意を固め、一座と別れた。
昭和6年(1931)、天勝一座の要請を受けて、アメリカから一時帰国した天海夫妻は長期にわたる興行にも参加し、スライハンドの妙技を披露した。帰国要請は、昭和10年と15年にもあったが、その主な目的は、海外の最新のマジック情報を得るためだった。
天海とおきぬは、戦後の昭和24年(1959)5月に4回目の一時帰国をしたが、その目的はなんだったのか。今回は、『奇術五十年』にも載らないその頃の資料を公開することによって、天海研究の未知の隙間を少しでも埋めることができたらと思う。

1.柳沢義胤が昭和22年頃、ホノルル在住の石田天海宛てに差し出した郵便はがき

【河合勝コレクション】

拝復。おなつかしきお便り拝受。御健勝で万歳。是非御かえりをおまち申上げます。私も正月新宿の帝都座のレビューの一幕へスモールマジックで出演しました。恭さんもまちかねておられます。私も微力乍ら御指導に預かって、働かせて戴きます。日本最初の奇術雑誌を年四回の予定で、売出すべく目下準備中です。天海さまおかへりのころは発行の運びとなりませう。米軍中の方でニューヨーク國際魔術兄弟団のヂャック・トラップ氏を三月二日に招いてクラブの例会を毛利侯邸で開くことになってゐます。例会の度にお噂してゐます。ではまた。

左より柳沢よしたね、天海 ※写真は昭和34~35年に撮影 『アルバム 石田天海・おきぬ』より転載

雑誌『奇術の世界』創刊号、力書房発行、昭和22年6月1日 ※発行は創刊号のみ。

(2021/6/10)