第18回「天海のフライングクイーン」


石田隆信

天海氏のクロースアップ・カードマジックの代表作といえばフライングクイーンです。1953年に海外で発表された”Card Flight”が有名になりました。これはロバート・パリッシュ著”Six Tricks by Tenkai”の中で解説され、1974年の”The Magic of Tenkai”にも再録されています。しかし、天海氏は次々と改良を繰り返し、1958年の帰国時には大きく違ったものになっていました。その頃の方法が日本の本にも解説され、その後の日本の研究者に影響を与えています。さらに、その後も天海氏は改良を加え、かなり違ったものに変化していました。

海外では1953年(1974年)の”Card Flight”の方法だけが知られているのですが、日本では逆にこの方法がほとんど知られていません。現象は基本的に同じですが、一部分の違いがあります。テーブルへ置いたはずのクイーンが、手元のパケットの1枚と入れ替わり、これが繰り返されて全てが数のカードとなります。”Card Flight”では、最後に胸ポケットよりクイーンを取り出しています。

”Card Flight”では、クイーン1枚と数のカード4枚(実際は5枚)を使い、バックルカウントで4枚の数のカードと1枚のクイーンとして示しています。その後、グライドを使ったファンフォールスカウントで、右手に3枚の数のカードと1枚のクイーンを表向きで取り、左手に残った数のカード1枚を表向きでテーブルへ置いています。つまり、この1枚は飛行させていません。1枚目のクイーンを裏向きにして、そのテーブルのカードの下へ置くと、手元のパケットの1枚と入れ替わります。なお、上記のイラストは、この時に使われたファンフォールスカウントです。

ファンフォールスカウントは、この後、手元の残りのカード3枚が、数のカードであることを示すためにも使われています。結局、この技法は2回だけの使用です。さらに、この後で、この3枚を左手に裏向きで持ち、左手だけで3枚を表向きにひっくり返しつつ広げると右端がクイーンに変わります。これは天海氏考案による技法で、クイーンの下には数のカード1枚が重なって隠れています。この技法は、ハワイ時代に考案されたことが天海メモで報告されていました。その後は、ダブルリフトを使って2枚の数のカードを示した後、もう一度同様な操作をすると1枚がクイーンに変わります。最後には全てが数のカードとなったことを示し、胸ポケットよりクイーンを取り出して終わっています。

ところで、ポケットから最後に取り出すクイーンは、もちろん、余分に用意した2枚目のクイーンです。しかし、この解説のすぐ後で、余分なクイーンを使わない方法も解説されていました。左手に4枚の数のカードを前後に少しずらして表裏も混ざった状態にしながら1枚ずつ示します。そして、この前方端にテーブルに置かれていたクイーンと思われている裏向きカードを加えて、右手で左手パケットを取り上げてひっくり返しています。それらをテーブルへ投げ出す時に、左手にパームしたクイーンと1枚の数のカードを右内ポケットに入れ、クイーンだけ取り出して示しています。テーブルの全てのカードを表向けると、数のカード4枚しかないことが分かります。ここでのパームは天海パームではなく、親指の股と中指で保持するステージのマニピュレーションでよく使われるパームが応用されていました。

このような現象が最初に発表されていたのは天海のCard Flightではありません。1948年のFrederick Braueの「ホーミングカード」の方が先になります。Hugard & Braue共著 “Show Stoppers With Cards” の中で解説されています。この冊子では、ファンフォールスカウントが単独で技法として解説され、「ホーミングカード」では、この技法を7回も繰り返し使用されていました。おじさんから見せてもらったマジックとして、捨てたはずの赤い9が手元の黒いカードと入れ替わることが繰り返される現象です。最後に残った1枚の黒カードを赤い9にカラーチェンジして終わっています。単調で演技力が要求される作品です。

このマジックの知名度を高めたのがフレッド・カップスです。1964年2月のエド・サリヴァンショーのTVに出演され、このマジックを演じられました。白黒画像の時代ですが、その映像だけでなく、その後、カラー放送の時代にも別の番組で演じられています。その両者の映像をYou Tubeで見ることが出来ます。毎回、黒いキングが邪魔をして、マジックが出来なくなると言った演出です。5枚の赤いカードを使ったマジックを行うと言って、5枚をカウントしてみせますが、何故か黒いキングが1枚混ざっています。このことをカップスは気づかないふりをして、観客の反応でおかしいと感付く演技をしています。つまり、演技力が重要な要素となります。これを繰り返して、最後の1枚のカードも黒いキングにカラーチェンジして、赤いカードを使ったマジックが出来なくなるので、このカードを投げ捨てて終わっています。

天海の方法とBraueやカップスの方法との違いは、天海はクロースアップとして演じ、数のカードに変化してテーブルへ置いたカードも、最後には全てが数のカードになっていることを示しています。その後、絵のカードをポケットから取り出すこともあります。天海のひっくり返して広げる技法がほとんどの作品で使われ、ファンフォールスカウントの使用は初期の作品だけで、しかも2回だけの使用です。それに対してBraueやカップスは、パーラーマジックとして演じ、変化したカードは処分して使わず、最後の1枚はカラーチェンジで変化させています。ファンフォールスカウントは7回も使っていました。

ところで、この「ホーミングカード」や「ファンフォールスカウント」がBraueの考案であるのかとなると疑問に感じる点があります。これらが掲載された”Show Stoppers With Cards” の冊子の別の作品には、はっきりとした考案者名が記載されているのですが、この二つの場合には(Braue)と書かれていました。はっきりしていないためにそのような奇妙な記載にされていたと考えられます。なお、グライドによるフォールスカウントの元になるのは、1933年にTommy Tuckerが発表した方法です。Eastman 著”Expert Manipulative Magic”の本に解説されています。こちらでは、左手の上のカードを右手のカードの上に重ねながらカウントしています。それに対してフォンフォールスカウントでは、左手の下のカードを右手カードの下へ取り、しかも、ファンに広げている違いがあります。そして、その本にはTuckerによる「シックスカード・リピート」が、この技法を使って初めて解説され、その後の代表的なカードマジックとなります。

さらに、現象に関しては、加藤英夫氏から重要な報告がありました。「ホーミングカード」の元になる現象が、T.Page Wright & William Larsenによる”The Error Aces”とのことです。1936年のGenii誌9月号(創刊号)に掲載された作品です。4枚のエースの1枚をポケットに入れるのですが、それが残りの3枚の1枚に変化して戻っています。そのエースを毎回ポケットに入れても手元のエースの1枚が変化します。最後に残った1枚を見ると、やはりそのエースになっている現象です。ダブルリフトとチェンジを使ったシンプルな方法です。ポケットへエースを入れた後、残りのパケットにはそのエースがないことを示す操作はありません。毎回、ポケットを使っている点が特徴的です。これは2015年の加藤英夫氏のDVD「天海のカードマジック遺産」の中で紹介されていました。このDVDには、この関連の初期の作品のほとんどが紹介されていますので、是非、参考にされることをお勧めします。

1958年に天海氏は帰国されますが、その頃にはかなり方法が変わっていました。3冊の本にその頃の4つの方法が報告されていますが、少しずつ違いがあります。1971年のフロタマサトシ著 “The Thoughts of Tenkai” と、1996年のフロタマサトシ著「天海 I.G.P.Magic シリーズ Vol.1」と、2015年の第1回石田天海フォーラム記念誌「天海タッチ」での氣賀康夫氏による解説です。1996年の本には、帰国後の早い時期と1960年1月記載の少し違った2つの方法が解説されていました。なお、”The Thoughts of Tenkai” の解説の冒頭には、”Six Tricks by Tenkai” の発行が太平洋戦争中となっており、間違った記載になっていました。この本は1953年の発行で、戦時中に発行されていたのは天海のカードマニピュレーションの本です。1949年の天海氏の一時帰国時に、この作品を東京アマチュアマジシャンズクラブで講習したと報告されていますが、もし演じられたとしますと、後で報告します天海メモ9巻記載の別の方法と考えられます。

4つの解説で共通していたことが、ファン・フォールスカウントが使われなくなったことです。また、現象の最後では、クイーンが完全に消えて終わっていました。胸ポケットからクイーンを取り出すことがなくなっています。その反対に共通して使われていたのが、天海考案のひっくり返しながら広げる方法と、天海の片手でのプッシュオフです。プッシュオフは数枚を広げながら、トップの2枚を重ねた状態にしています。さらに、3つの解説では、天海パームが使われるようになりました。クイーンを完全に消すために天海パームを使ってラッピングしていました。それぞれの技法や各操作の考え方を詳細に説明されていたのが、2015年の氣賀康夫氏の解説です。是非、第1回石田天海フォーラム記念誌「天海タッチ」の冊子を読まれることをお勧めします。

なお、この4つの方法の中で特別なダブルリフトの使い方で解説していたのが”The Thoughts of Tenkai” の本です。パケットのトップの2枚を、右手で右外コーナーや右サイドを持って手前へ縦に起こして表を示し、前方に倒しながら裏向きに戻していました。戻す時にトップカードだけずらして、パケットから突出させた状態にしています。これを3回使用するほどの重要性を持たせた作品になっていました。これは1961年に発行されたルイス・ギャンソン著のバーノンの本” Furtuer Inner Secrets of Card Magic”に解説された方法です。この本の影響を受けられていたのではないかと思いました。そうであれば、この方法は1961年以降になると考えられます。

大阪の中之島図書館には、天海メモ16巻がコピーされ所蔵されています。借り出しは出来ませんが、館内での閲覧が可能です。昔のB4のコピー用紙で、1巻だけでもかなりの厚みと重さがあります。残念ながら現在は書庫の耐震工事のために別の場所に保管され、閲覧のための取り寄せには日数がかかります。以前の調査では、3巻、9巻、13巻にフライングクイーンに関連した数作品が解説されていました。

3巻では、シカゴでバーノンに改案を見せられ、天海もさらに改案を考えたと書かれています。これは、1954年春にシカゴでバーノンと初めて会われた時のことだと思います。ここでは既にグライドは使われていませんでした。なお、バーノン自身の改案は、いずれの本からも見つけることが出来ていません。そして、1957年では「7~8回改作を繰り返しているが、さらに改作の必要が生じた」と書かれていました。この頃では、テーブルのカードを見やすくするために簡易な細長いスタンドや底の浅い箱が使われています。また、ワックスを使ったりダブルフェイスを使ったりして、様々な試みがされていたようです。1963年のTVでは、数のカード6枚と1枚のキングが使われ、7枚全てがキングになる現象を演じたことを報告されていました。

9巻には1949年の天海創作と書かれた作品がありました。毎回、絵カードを上着のポケットへ入れて、残りのパケットは数のカードだけであることを示しています。その後、絵カードがパケットへ戻り、ポケットからカードを取り出してテーブルへ置いています。これを繰り返し、最後の1枚の数のカードを示した後、絵のカードにチェンジして終わっています。この作品では、カードを示すためにグライドを使ったファンフォールスカウントが使われ、そして、天海のターンオーバーが最初の入れ替わり時だけ使われています。なお、毎回、ポケットを使っていたのはこの作品だけでした。

13巻では、Braueの「ホーミングカード」とほぼ同じ内容の解説を見つけました。作者名も特別なタイトルもなく、天海創作とも書かれていません。何年にメモされたものであるのかも分かりません。また、”Six Tricks by Tenkai” の方法とほぼ同じ解説が天海創作として記載されていました。ただし、天海氏は左利きですが、左利きとしての解説とイラストになっていました。

海外において、1948年にBraueが発表した後、最初の改案者は1952年のビル・サイモンです。1950年頃のエド・マルローとの会話の中で、グライドのカウントを使わない方法が検討されました。マルローも1952年には改案を考案して記録していますが、その発表はかなり後になってからです。また、マルローはその改案以外に、1960年に「カムバックカード」のタイトルで作品を発表し、63年にも別の改案を報告しています。グライドを使うファン・フォールスカウントをそのまま取り入れているのが、1957年発表のブラザー・ジョン・ハーマンです。泥棒のストーリーが加えられ、クライマックスでは銀行としてのサイフより泥棒のカードが取り出されます。予想外の結末で頭の良さを感じたのが、フィル・ゴールドステインの “Lassie” です。Ton・おのさか和訳「パケット・トリック」の本では「恋人」として解説されています。クライマックスでは、使用された4枚全てがブランクカードになる驚きの結末となります。また、DVDではビル・マローンの”Malone Meets Marlo” Vol.1 の「ホーミングカード」を見た時に、最初のスイッチと最後の1枚のカラーチェンジに感心させられました。

アスカニオは現在のスペインのマジック界に大きな影響を与えた人物です。彼はフレッド・カップスの1953年の演技を見て圧倒され、師と仰ぎ、影のように付きまとい多くのことを吸収しました。しかし、カップスの方法を演じたり手を加えることもなく、石田天海氏の”Card Flight”を改良して、1970年のFISMの演技に取り入れてカード部門で優勝されています。そして、このテーマは一生改良し続ける作品として、70年度版だけでなく、81年度版、85年度版、95年度版(最終版)も発表していることが分かりました。その4作品については、”More Studies of Card Magic”の冒頭で、”The Restless Lady”のタイトルで41ページかけて解説されていました。

日本においては、厚川昌男氏、気賀康夫氏、松浦天海氏、松田道弘氏が改案を発表されています。それぞれの共通点は、グライドを使ったファン・フォールスカウントや天海ターンオーバースプレッドも使われていないことです。出来るだけシンプルで楽に行えるように改案されています。しかし、演技力は十分に発揮する必要がありそうです。

(2021年8月10日)

参考文献

1933 Tommy Tucker The Six Card Repeat Eastman著 Expert Manipulative Magic
1936 T.Page Wright & William Larsen The Error Aces Genii 9月
1948 (Braue) Fan False Count Show Stoppers with Cards
1948 (Braue) The Homing Card Show Stoppers with Cards
1952 Bill Simon Four Deuces And The Ace of Spades Effective Card Magic
1953 石田天海 Card Flight Robert Parrish著 Six Tricks by Tenkai
1958 John Hamman The Elusive Burglar The Card Magic of Bro. John Hamman
1960 Ed Marlo Come Back Card Genii 9月号 Vol.25 No.1
1963 Ed Marlo Homing Card New Tops 11月号 1956年5月考案
1964 松田秀次郎 世界の110番 奇術研究35号 ハーマンの方法を元に
1965 Ed Marlo Come Back Card 力書房より Double Face Versionの商品
1967 Ed Marlo カムバックカード 奇術界報312号に日本語訳にて
1970 松浦康長 天海のフライングクイーン まじっくすくーる 70号
1970 伊藤正博 石田天海のフライングカード マスターズカードテーブル
1971 石田天海 フライングクイーン The Thoughts of Tenkai
1974 石田天海 Card Flight The Magic of Tenkai
1975 Phil Goldstein Lassie Genii 1月号
1994 松田道弘 フライングクイーンの改案 松田道弘のクロースアップ・カードマジック
1994 松田道弘 フライングクイーン ミラクル・トランプ・マジック
1996 石田天海 天海のフライングカード 天海 I.G.P. Magicシリーズ Vol.1 2作品
2001 泡坂妻夫 天海のフライングクイーン カードの島
2005 氣賀康夫 飛行カード ステップアップ・カードマジック
2006 松田道弘 フライングクイーンの新工夫 松田道弘のオリジナル・カードマジック
2008 Ascanio The Restless Lady The Magic of Ascanio More Card 4作品
2009 Bill Malone The Homing Card DVD “Malone Meets Marlo” Vol.1
2012 石田隆信 フライングクイーンの謎と変化 第54回フレンチドロップコラム
2015 氣賀康夫 天海の飛行するクイン 第1回石田天海フォーラム記念誌 天海タッチ
2015 加藤英夫 DVD「天海のカードマジック遺産」 第1章フライングクイーン

参考映像

1964 Fred Kaps “Card Magic” on The Ed Sullivan Show
1978 Fred Kaps – Homing Card

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