第25回「天海の小さくなるトランプ」

石田隆信

天海氏の方法は独特で、特に小さくなった最後のカードの消え方が見事です。前回に報告しました1966年の中部日本放送の「天海のおしゃべりマジック」で、「小さくなるトランプ」も演じられていました。このことは、1966年5月発行の”The New Magic”でフロタ・マサトシ氏が報告されています。「絶品と言っても良い出来で、見所は何と言っても最後の小さくなったカードが消えてしまうところです。」と述べられていました。

この方法は、1996年のフロタ・マサトシ著”天海IGP. Magicシリーズ Vol. No.1”に「天海とハスコのジミニシングカード」として解説されています。なお、1961年3月28日講習と書かれていました。このタネのカードの原案はボブ・ハスコのもので、天海はこれをとても気に入り、独特のハンドリングで演じられていたと報告されています。ハスコも天海も左利きで、タネカードも使いやすかったそうですが、解説では右利き用として書き直されていました。各段階の大きさのカードの裏に、それぞれの半分の大きさの数枚のカード(8~10枚)が細長い止め金で取り付けられています。セットを完了した状態を見ると、4つの止め金が違った位置に違った方向に口を開いて取り付けられています。小さくなるたびに、毎回、90度ずつ回転させているからです。

天海の方法では、数枚のファンに広げたカードから1枚だけ左手に取って表を示し、前方を右手のファンでカバーすると半分の大きさになります。ファンでカバーすると言っても、日本でもよく知られているファンの裏でタネカードを取って、小さいカードに変化させる方法ではありません。左手だけの操作でカードを半分の大きさにしています。右手のファンは単にカバーしているだけです。カードを変化させた後、ファンの裏を示して、何も変わりないことを見せて、帽子の中へ入れています。左手の小さくなったカードを、両手に持ってファンに広げますが、この時に左端の止め金があるカードからスムーズに他のカードを右へ外すことができます。このタネカードを含めた2~3枚を帽子へ入れて処分しています。残ったファンの右端のタネカードを左手に取り、前回と同様の操作を繰り返します。さらに、その後も2回繰り返すことになります。

左手のカードを左手だけで半分の大きさにするのは、右サイドに親指を当て、左サイドを他の指を当てて持った状態で開始されます。上半分を下へ折り、手首を手前へ返して、半分になったカードを縦の状態で示しています。つまり、90度回転させた状態で、下エンドを左親指、上エンドを小指以外の3指で持つことになります。

天海の方法の面白さは、最後のカードの消失にあります。指に隠し持つことになるのですが、両手の裏表が空であるように見せることができます。右指先にあるカードを左指に取るようにしながら、右手掌を客に向けて、指も少し開いた状態にします。左指は取ったカードを指ですりつぶすようにして消して左手を開き、指も少し開いて、両手から完全に消えたことを見せることになります。両手の裏も見せます。この操作は、コインでよく使われるラムゼイ・サトルティーと同様なものですが、指を少し開くことができる利点があります。

タネカードの原案者と書かれたボブ・ハスコとは、Bob Haskellのことであることが分かりました。1933年の禁酒法解禁時から西海岸のナイトクラブのマジシャンとして活躍しています。今回の彼のタネカードは発売されていたようですが、あまり知られていません。ネット上で写真やイラストがあるのを見つけましたが、3段階で小さくなっているだけで、最後の完全消失がないような印象を受けました。

日本では、戦前から演じられていた方法が、ポケットから魔法の粉を取り出して、カードに振りかけるようにして小さくしていました。街頭の奇術師の佐藤喜久治氏はこの奇術の名人で、高木重朗氏が昭和12年の小学1年生の頃に見ています。その数年後には親しい関係になり、その方法を教わったそうです。1971年の奇術界報363号には、それを少しやさしい方法に変えて、日本奇術連盟の商品を使って解説されていました。そこには、最後のカードの消失も天海氏とは別の方法で、両手をカラに見せる消失方法が解説されていました。2020年発行の「近代日本奇術文化史」では、421ページに天洋氏が1906年に「ミジンカード」の名前で演じられたことが報告されています。天一一座の興行で当時は天松の名前で演じられました。1935年の「天洋奇術材料カタログ」にも掲載され販売されていたことが分かっています。1943年(昭和18年)の坂本種芳著「奇術の世界」では、結構詳しく解説されていました。

海外では、1868年のロベール・ウーダンの本に普通のデックを使って、次第に小さくなり消してしまう方法が解説されています。その後は、半分の大きさのカードやもっと小さいカードにかえて、リアルに小さくすることも解説されています。12枚ほどのカードの1カ所をリベットや糸で止めて、バラバラにならないだけでなく、ファンに広げることができるようにしていました。現在の5枚ほどの少ない枚数で演じる方法は、1902年のLang Neil著”The Modern Conjurer”に解説されています。チャールズ・バートラムの”The Diminishing Cards”のタイトルになっていました。この本は写真を結構使って分かりやすく解説されており、日本にも大きな影響を与えていたと考えられます。この本の内容が写真とともに部分的に翻訳されていますが、このマジックが翻訳されていたかは確認できていません。

バートラムの方法では、5枚の小さいサイズのカードの一方のエンド中央を糸でつなぎ、ファンが出来る状態で束ねていました。さらに、もっと小さい5枚も同様につないで、これら2つを左ズボンのポケットへ入れています。テーブル上の普通サイズのデックから1枚ずつ5枚を取る時に、左手はポケットへ入れてタネをパームし、このタネカードの上へ普通サイズカードを置くことになります。タネカードが2つしかないので、2回しか大きさが変えられないと思ってしまいますが、普通サイズと次のサイズのカードでは、半分の長さにしてファンに広げることも行なっていました。1つのサイズのカードで、2種類の大きさに見せることができ、結局は4段階の大きさの変化を見せて、その後は見えない状態にして消しています。

不要になった右手にパームした普通サイズのカードの処理は、テーブルのデックの上へ5枚を戻して、トップの1枚だけ取り上げています。そのカードで小さくなったカードとの比較に使います。次のサイズのタネカードの処理は、左手の小さくなったカードを客に向けて示す時に、右手にパームしたタネカードを秘密のポケットへ入れています。最後のタネカードも演技終了後に秘密のポケットへ入れて処理していました。なお、最初と最後にはウォンドも使われています。

バートラムの方法のテーブルもデックもウォンドも秘密のポケットも使わず、普通のポケットと魔法の粉の演出を加えると昔の日本の方法になりそうです。商品価値を高めるためと、もう少し楽に行えるように、タネカードの仕掛けに工夫を加えて販売されるようになったと考えられます。天海の方法がほとんど知られていないHaskellのタネを使い、アレンジした見せ方で演じられていたことに面白さを感じました。特に最後のカードの消失は、不思議さをパワーアップさせたい天海氏の思いが伝わってきます。

(2021年9月28日)

参考文献

1868 Robert-Houdin Les Secrets de la Prestidigitation et de la magie
1902 Lang Neil The Modern Conjurer The Diminishing Cards
1943 坂本種芳 奇術の世界 小さくなるトランプ
1966 風呂田政利 The New Magic Vol.5 No.5 天海のおしゃべりマジック
1971 高木重朗 奇術界報 363 小さくなるカード
1996 風呂田政利 天海IGP. Magicシリーズ 天海とハスコのジミニシングカード
2020 河合勝 長野栄俊 森下洋平 近代日本奇術文化史 ミジンカード

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