第21回「笑いの研究」
中村安夫
石田天海『奇術演技研究メモ』より
「今年は明治百年ということだが、奇術の方は日本はまだ百年になっていない。本当に奇術が研究され始めたのは戦後のことであると思う。だから、今年で二十三年というわけで、言ってみれば青年になったところだろう。」
「人間二十三歳なら、いっぱしの若者だ。サル年だからといっても、もう欧米のサルまねはこの辺できっぱりとやめていただきたい。自分の力で進むことを考えてほしい。」
「そこでその方向の一つだが、それは「笑い」にある。」
「漫才やお笑いコントが流行し発展してきた。テレビや寄席を見ていると、なんと漫才が面白く奇術が面白くないことだろうか。今後は笑いを絶対に加えなければいけない。そうしないと、芸界から見捨てられてしまうだろう。」
「不思議一方でなく、不思議を見せて笑わせるようにすることだ。新しいことでなくても結構、三本ビンのからかいとか、サカートリックもよいだろう。古きをたずねて、新しきを知るのだ。自分が初めて奇術に興味を持ったときのことを思い出してヒントをつかんでもよいし、歌とか、踊りとかを組み入れることもよいだろう。なにか広く楽しませることを入れるよう工夫するとよい。」
「器用な技だけを見せようとするのはいけない。私の知るアメリカ人は、素晴らしいテクニックの芸と腕を持っているが、技は少し見せるだけ、あとは笑わせて楽しませてくれる。奇術は他の芸にない「不思議」という力強い一本のしんを持っているのだから、努力すれば他の芸にない強い芸になるはずである。」
「笑いの研究は、奇術の動作を研究する以上にむつかしいことです。客を笑わせようとしても、客より先に自分が笑ってしまう人がいるが、とんでもないことだ。当人は大真面目でやっているが、それを見る人は面白く、腹をかかえて笑う、というような演技の進め方がよい。いまの若い人は知らないと思うが、無声映画時代のチャーリー・チャップリンのような行き方がよいのである。」
【コメント】
この文章がかかれた時期は、戦後23年ということなので、1968年(昭和43年)ということになります。ちょうど、この年に石田天海賞が創設されました。石田天海賞は「オリジナルを尊重し、オリジナルを創ることをすすめる」という目的でフロタ・マサトシ氏が発起人となって創設され、1997年の第30回まで続きました。受賞者は奇術界で著名な20人がその栄誉を受けています。翌年の石田天海パーティーには受賞者の作品集が配布されました。
幸運なことに私は大学を卒業した年から、石田天海パーティーに出席することができました。初めて出席したのは、第6回石田天海賞受賞者の沢浩さんの作品集が配布された時でした。この時の感動は今でもはっきりと覚えています。自分が子供の頃から大好きだったマジックを愛好する人たちが全国にたくさんいることを知り、パッと視界が広がった気がしました。
この43年後の2017年に、マジックネットワーク7(MN7)主催の第3回石田天海フォーラムに澤浩さんをゲストにお迎えできたことは主催者の一人として感無量でした。冒頭に掲載した、天海師のカウボーイハット姿の写真は珍しいですが、澤浩さんも同じ姿をしていたことは思わぬ発見でした。
(2021/10/3)