第31回「天海によるバーノンのカッティング・ジ・エーセス」

石田隆信

天海氏による現象も原案のダイ・バーノンと同じです。デックの中へ4枚のAをバラバラに入れて、カットするたびにAを取り出しています。4枚目を取り出す時にAが現れず、そのカードの枚数目よりAが出現するクライマックスも同じです。バーノンの方法では「片腕の賭博師」の物語のセリフがありますが、それは1つの例としてのものであり、天海氏はその物語を使われていなかったようです。そして、天海の方法はバーノンの解説のままではなく、各所に天海流のアレンジがありました。

「スターズ・オブ・マジック」のシリーズ1が1945年9月頃に発行されますが、1946年10月頃発行のシリーズ2にバーノンの4作品が解説されます。トライアンフ、カッティング・ジ・エーセス、スペルバウンド、カンガルーコインの4作品で、各作品に2ドルの値がつけられていました。これらをまとめて購入すると6ドルになっています。1945年に発行されたボリュームのある「ターベルコース第4巻」が7ドル50セントですので、「スターズ・オブ・マジック」のシリーズの価格の高さが分かります。しかし、選び抜かれたトップクラスの作品ばかりで、それぞれに話題性があり、その後のマジック界に大きな影響を与えています。

天海氏は1941年の秋頃にハワイに渡り、12月8日に戦争が開戦されたために、ハワイから移動できない状況になります。米軍慰問のマジックを演じることを条件に、米軍に連行されることはなかったようです。このハワイ時代に天海メモをまとめ始め、ハワイのマジシャンやマニアとの交流が行われます。

1949年に、やっと、日本へ帰る許可が出て、1949年5月13日から11月初めまで日本に滞在されています。この時にTAMC(東京アマチュアマジシャンズクラブ)にてマジックを指導され、その中のカードマジックを柳沢氏がまとめられました。それが、10月16日発行の”Card Magic”の冊子で、会員に配布されています。その中に「カッティング・ジ・エーセス」の天海の方法が解説されていました。

バーノンの方法で私が特に気になっていたのが、ボトムカードをトップへ移すダブルカットの部分です。天海氏はそれをうまく改良されていたので感激させられました。本来の方法では、下半分をアンダーカットして上半分の上へ置き、移した半分の最下部のカードを左薬指で下方へ引き離し、下にある半分の上へ加えてアンダーカットしています。

この左薬指による引き離す操作が、思っている以上に大変です。スムーズに行えず、ゴソゴソした操作になりかねません。その後の日本の多くの本では、別の方法に変えられていました。表向きデックを右手で上からビドルポジションに持つて、最下部のカードの上へ右親指でブレークし、右中指で上半分を左へスイングカットする方法です。宮中桂煥著「図解カードマジック大事典」の73ページを参考にして下さい。この方法であれば楽に行えて悪くないのですが、十分に納得できるものではありません。

天海の方法では、左手に持った表向きデックの下へ、左人差し指を曲げて指の中央の背面を当てます。そのまま手前側へ指をずらすと、カードがインジョグ状態になります。デックの上半分を右手で取り上げ、その左サイドで下半分の右サイドに当て、裏向きにひっくり返し、その上へ右手の上半分を裏向けて重ねます。インジョグカードの下に右親指を当て、それより下をアンダーカットします。以上の操作により、デックが裏向きとなり、ボトムから2枚目に4枚目のAが来ることになります。本来の方法では、表向きでカットした後でデックを裏向けていましたが、天海の方法ではカットしながらデックも裏向けていたわけです。しかも、スムーズな操作となります。

天海の改良は上記の部分だけではありません。最初も少し改良されています。1949年の一時帰国時の天海氏は60才であり、その年齢のための改良と言えます。表向きに広げたカードの中へ、Aを差し込む位置のキーカードが何であったか忘れやすい年齢になっていたと考えられます。それを防ぐために、キーカードが見えたままの状態にしていました。キーカードを覚えるまでの操作も少し違っています。

天海の方法では、表向きデックの上へ5か6か7を持ってきて、最初に2枚を右手に取り、その上へカードを1枚ずつ重ねてカウントを始めます。カウントが終わったら、その右手パケットをテーブルへ置くのですが、上になって見えているのがキーカードです。その上へ6枚ほどのカードを取って、キーカードのインデックスが見えるように少し右へずらして重ねます。残ったデックを、そのパケットの右へ3分割して並べています。天海の場合には、先に4枚のAを取り出して1列に並べて、上記の操作や分割が行われていますが、本来の方法では最初のAを探しながらのカウントの操作となっていました。

もう一つの違いが、Aを取り出すためのスリップカットの方法です。うまくできないこともあるためか、天海の方法ではオーバーハンドシャフルするような持ち方で行われています。うまくできればバーノンの方法がよいのですが、天海の方法も面白いと思います。

ところで、「スターズ・オブ・マジック」に解説されたものは、バーノンの本来の方法ではありません。編集者のジョージ・スターク氏から、少し簡単にできないかとの要望を受け、ダブルカットを使った方法を見せると、それが採用されることになります。本来の方法では、シンプルにカットするだけで、3枚目のAをカットによりデックの中へ入れた後、デックを広げてAがバラバラな位置にあることを見せています。そして、Aを4枚ともデックの中へ入れた後、デックを4分割して並べ、バラバラな順番に重ね直しています。これにより、「スターズ・オブ・マジック」と同様なセット状態になります。この方法が1965年のGenii誌1月号に”Original Cutting The Aces”として掲載され、1987年の”The Vernon Chronicles Vol.1”に”The Unadulterated Cutting the Aces”として解説されています。

なお、「スターズ・オブ・マジック」で使われたダブルカットが爆発的な人気となります。しかし、バーノンとしては、本来の1回のカットの方がデック中央にエースが入ることを強調できるので、ダブルカットでは不本意な気持ちが強くなっていたようです。

カッティング・ジ・エーセスにより、バーノンの素晴らしさを感じますが、それをアレンジされた天海氏の方法も素晴らしいと思いました。その中でも、天海氏のボトムカードをトップへ移動させるダブルカットの改良が特別に印象深いものになりました。

(2021年11月9日)

参考文献

1946 Dai Vernon Stars of Magic Series 2 No.2 Cutting The Aces
1949 石田天海 Card Magic(TAMC限定版) 天海フォアエース
1958 高木重朗 ホーカス・ポーカス・シリーズ3 ダイ・バーノンの片腕の賭博師
1965 Dai Varnon Genii誌1月号 Original Cutting The Aces
1983 ダイ・バーノン カードマジック事典(高木重朗編集) Aの出現
1987 The Vernon Chronicles Vol.1 The Unadulterated Cutting the Aces
2015 宮中桂煥 図解カードマジック大事典 ダイ・バーノンの片腕の賭博師

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