第2回「奇術に国境なし」
中村安夫
石田天海『奇術演技研究メモ』より
「奇術はご承知のとおり、言語が通じなくとも、また風俗習慣が異なろうとも、老若男女を問わず理解されうる芸である。奇術にもこうした特性が無かったならば、私どもはとてもアメリカの生活はできなかったに違いない。まったく奇術なればこその感が深い。」
「奇術の歴史は世界文化の側面史でもあって、まさにマジックはその国の文化の程度を計るバロメーターであるとさえいえる。そのようなわけで残念ながら今日では奇術の隆盛は、発祥の地東洋に見るべきものがなく、欧米にそのお株を奪われた形になっている。
これはどうしても日本の奇術界が奮起して、堂々世界のトップレベルにのし上がらなければならないと痛感させられる次第である。それには幾つかの条件が必要になってくる。それらの条件がよく理解されないと、日本の奇術界が国境を越えることはできない。そこで私は山積しているメモの中から、思いつくままページの許す範囲で、奇術習得を志す方々に、ご参考になる要点を列記してみたいと思う。」
【コメント】
「奇術に国境なし」を実感したエピソードを紹介します。1987年10月、初めての海外出張でスイス・ジュネーブを訪れました。通信業界のオリンピックと言われた「Telecom 87」という国際展示会に技術説明員として派遣されました。ヨーロッパのさまざまな人たちとの共同作業で機材の設置、調整、プレゼンテーションのリハーサルを行いました。
最初の写真は、国際デジタル回線を通して、日本のオフィスと会場の機材との間で画像データの交信に初めて成功した時のものです。
写真2は、夜の懇親パーティーで、マジックを披露した時のものです。演目は3枚のカードが男性の手の中から女性の手の中に移動する「20枚カード」でした。
写真3と写真4は、1991年に第1回NeXT Worldに技術出展のため、サンフランシスコに出張した夜のパーティーでカードマジックとスポンジボールを演じているものです。その後、海外出張に行くといつもマジックを演じるのが恒例になりました。マジックをやっていて、本当によかったと思いました。
さて、天海師の後半の文章に「日本の奇術界が国境を越えるための条件」というくだりがあります。「奇術演技研究メモ」はまさにその要点が書かれたメモでした。これから、読み進めるのがますます楽しみになってきました。
(2014年11月23日)