第12回「奇術の内容と表現」

中村安夫

石田天海『奇術演技研究メモ』より

「最近ある人が私に、ミリオンカードの動作は、誰がどうして考えたのかと尋ねた。私は「ミリオンカード」という名称は私が日本にこの奇術を伝えた時に名づけたが、むろん私の創作ではなく、またカーデニーの創作でもない」と答えた。」
「その昔、ある人がちょっとした気まぐれから一枚のカードを手の裏にパームすることを発見したが、その人は、それを奇術としてルテンする道を工夫せずに、単なるフローリッシュで終えた。しかしその幼稚な動作が芽生えになって、今日の素晴らしいカードプロダクション奇術が多くの協力によって生まれた。」
「日本人の頭のよいことと、手先の器用なことは、今や世界的に有名になっている。創作とか発見は、けっしてやさしくはないが、一つのことを自分の手と頭で完成した時の喜びは、それまでの苦労を補ってあまりある。私の拙い筆では十分に言いあらわす言葉を知らないが、自分が育てた奇術だという満足感と幸福感を味わうものであることだけは言えるだろう。」
「非常に優れた奇術の内容を有する材料でも、その表現の技巧がまずければ、その価値は失われてしまう。その反対にハンカチーフ一枚だけを持って舞台に出ても、巧みな技術と表現によって人の心を打つ素晴らしい芸を見せる人がいる。」
「奇術はタネにあらず、やりかたにある。」

【コメント】

フロタ・マサトシ著「ミリオンカード物語」(1992年)には、ミリオンカードの系譜が書かれています。
この本によると、日本で初めてミリオンカードが上演されたのは、昭和6年(1931年)12月、新橋演舞場で石田天海でした。しかし、その前身となるカーディニに関する記述はありませんでした。

Toy Box 13号(2013年)より

そこで、石田天海著「奇術五十年」を読み返すと、1927~29年頃にカーディニのカードとシガレットのスライハンド奇術を見て感銘を受けたとの記述がありました。残念ながら、カーディニ自身がいつ頃からカードマニピューションを演じたのかは一切書かれていません。
石田隆信氏は、Toy Box 7号(2004年)において、1915年から20年の間に3人(カーディニ、フロッグマン、アーサーバックリー)がスプリットファン・プロダクションを行っていたことを報告しました。その後、石田氏は Toy Box 13号(2013年)において、新たな事実として1911年にオーストラリアでスプリットファンを演じていたドイツ人のBi-Ber-Tiの存在を明らかにしました。なお、石田氏はスプリットファンが最初に解説されたのは1933年発行の「エキスパート・マニピュレーティブ・マジック」ではないかと述べています。

(2021年5月16日)

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