石田天海・おきぬ帰国関連資料 第3回

昭和33年(1958)3月14日、プレジデント・クリーブランド号でアメリカ本土より出航【河合勝コレクション】

河合 勝

3.緒方知三郎が昭和22年頃、ホノルル在住の石田天海宛てに差し出した郵便はがき

【河合勝コレクション】

拝啓 久々の御便り、□しく拝見いたしました。御見舞の御手紙を出していただいた由、御厚情に感謝いたします。又何よりの品々を御送り下され、まことに有難く厚く御礼申しあげます。
孫が久しぶりであまいものをいただき、飛びあがってよろこびました。只々涙がこぼれます。重重御礼申上ます。
奇術書を焼いてしまつたことは、如何にも残念です。何でもよろしいから御たてかへ下され、御求め下さるやう御願ひします。御帰り、まつてゐます。お元気で。三月二日 緒方知三郎

御便より並びに何よりの品々御送り頂きまして□□しく、厚く御礼を申上ます。御両人様元気の由、心より御喜び申上ます。私共もぎりぎり命拾をして、こゝまで生のびました。一日も早くお帰りのほど、おいのりしております。お奥様へよろしくおつたへください。幸子

先日は、なによりの品々をお送り頂き、誠にありがたくぞんじました。子供達大喜びにて、頂戴いたしました。厚く御礼申上ます。御拝眉出来る日の一日も早くことをお待ちいたして居ります。秀雄

緒方知三郎と天海 ※昭和33年(1958)4月に撮影。写真は『奇術研究』10号より転載

緒方知三郎博士は、『婦人之友』(昭和29年<1954>7月号)の「奇術趣味礼讃」のなかで、「私は奇術に関する和漢洋の文献資料を多年に亘って蒐集することに努め、そして近次大戦の始まる前までには、大凡世界各国の主要文献は自分の手許に集めることが出来た(中略)。然し戦災で洋書の方を全部焼失して了ったのは(和漢の文献は別の場所に疎開しておいたので助かったが)かえすがえすも残念なことである」と述べている。

和漢古奇術書と医学書は緒方氏の配慮により東大地下倉庫へ移してあったため、戦災にも事なきを得た。緒方氏の没後、約370冊の和漢古奇術書は国の買い上げとなり、現在緒方奇術文庫として国立劇場に所蔵されている。

(2021/6/24)

⇒ バックナンバー
1.柳沢義胤が昭和22年頃、ホノルル在住の石田天海宛てに差し出した郵便はがき

2.山崎広子が昭和22年頃、ホノルル在住の天海宛てに差し出した郵便はがき