島田晴夫の神髄 第4回

加藤英夫

島田師の後ろ姿から学んだこと

私が島田師のアシスタントをやらせていただくことになったとき、もちろん道具の受け渡しはうまくできるように練習いたしましたが、それ以外のことについては、ほとんど島田師から指示がありませんでした。古谷敏郎氏から聞いたことですが、ディアナさんやキーリーさんも、島田師からほとんど指示がなかったそうです。

指示はされていなくても、島田師の背後から、音楽に合わせてリズミカルに演じている姿を見ていると、自分もショーの一部になった感じがして、それなりに上手く表情が作れましたし、うまく振る舞えたと思います。この記事の前回で、ベアハンド鳩出しの練習風景を見ていただきましたが、私が島田師の演技に呼応してやっていたことがおわかりになったと思いますが、あれも島田師の指示はいっさいなしでやったことでした。

さて、島田師の演技を背後から見ていると、観客側から見て気づきにくいことが、はっきりと気づくことがあります。観客側から見ると、もちろん島田師の手の操作に焦点が集まり、同時に島田師の顔の表情も見えます。そして体全体の動きも見えます。すなわち、手、顔、足、その他すべての動きが同時に見えるのです。しかしながら、背後からは手の動きはよく見えず、顔の表情はほとんど見えません。背後から見ていると、体全体の動きがひとつのものとして見えるのです。

ですから、”ここで島田師は前に3歩いた”、”ここで島田師は体の向きを変えた”、”ここで両手を胸の前にかまえた”、そして”ここでほんの少し間を取った”、などということがはっきりと感じられるのです。そのような体の動かし方の流れのことは、バレエやパントマイムの世界では、コレオグラフィと呼ばれていますが、日本語にすると’振り付け’に該当しますが、島田師の体の使い方を背後から見ていると、島田師のマジックは、”マジシャンとしてのコレオグラフィの土台の上に構築されていた”、と感じるのです。このことは、観客側から見ていても感じにくいことなのではないでしょうか。観客の視線は現象に集中するのですから。

コレオグラフィのひとつの要素として、体の動きを止めるということがあります。’間を取る’ということです。このことについて、マジックカフェにおける島田師のマジックについての論議において、”島田師はプリグナントポーズをうまく使っていた”と指摘したマジシャンがいました。プリグナントとは妊娠のことです。したがって、プリグナントポーズとは、何かが生まれる、何かが起こる、ということの予兆を感じさせるための間を取る、ということです。

私はその指摘を読んで、島田師は現象が起きたあとにも間を取っていた、ということに気づきました。鳩が出現したらすぐアシスタントに渡すのではなく、現れたところで、1秒以下かもしれませんが、ほんの少し動きを止めるのです。そのことを私は、プリグナントポーズに対して、フィニッシングポーズ(決めのポーズ)などと呼ぶのが適切ではないかと思います。

観客側から見ていると、それらのポーズはほんの一瞬のことですから、間を取ったことさえ気づかないかもしれせんが、背後から見ると、そのことがはっきりと感じられました。そのことも含めて、島田師の体の使い方は、まるであらかじめ振り付けられていたかのように、リズミカルな動きであり、そしてメリハリのあるものでありました。それを意図してやっていたのか、それとも本能的にやっていたのか、天国の島田師に尋ねたいところですが、おそらく本能的にやられていたのではないでしょうか。

音楽は何のためにあったのか

島田師は、特別に編曲された音楽の譜面を用意していて、バンドマスターとの打ち合わせで、譜面を渡して、この譜面通りに演奏してくれと頼み、あまり細かい指示はしませんでした。所々、盛り上げのドラムロールぐらいは指示したようでした。すなわち、島田師はリズミカルに演技するために、音楽を使っていたのです。これは古谷氏から聞いた話ですが、ディアナさんやキーリーさんは、島田師は演技中に、人に聞こえないぐらいの音量で、伴奏に合わせて歌っていたとのことです。私はそのことは気づきませんでしたが。

燕尾服のまま車から飛び出した島田師

ここで、島田師のマジックとは関係ない、エピソード的な話をさせていただきます。なぜ島田師は、燕尾服を着たまま車を運転したのでしょうか。そして起こったことは、、、。

ある日、その日は五反田と渋谷の掛け持ちのあった日でした。五反田のあるホテルで行われたある会社の会議のアトラクションとして、島田さんが出演することになったのですが、その会議が1時間以上も長引いたのです。つぎの渋谷の観光荘の出演まで15分ぐらいしかないところで、ようやくスタート。観光荘の方には電話して、出番を遅らせてもらい、五反田での演技が終わるやいなや、燕尾服のまま自動車に乗り、制限速度を軽くオーバーして渋谷に向かいました。

ところがです。観光荘に着く50メートルぐらい手前で、ババーン、十字路で横から来た車と激突、体に異常はなかったものの、車はボコン。島田師は燕尾服を着たまま車外へと飛び出しました。近所の人達が出てきて、変な風に思ったに違いありません。相手の人と話しをしてる時間があればこそ、とりあえずその人に観光荘に来てもらい、仕事だけはどうにかやり遂げることができました。しかしそのときの舞台上の島田さんは落ち着いたもので、やはり舞台に生活がかかるとすごいもんだと思ったりしました。事故の相手の方は、島田師のマジックに感銘を受けて、そのあとの示談も音便に済ませることができました。これぞまさに、”芸は身を助ける”なのでした。

島田師とともにケン・リトルウッドを見た話

不運なエビソードをお話ししたあとは、なつかしいエピソードもお話ししておきます。1965年の6月、私と島田さんは、一緒に五反田のカサブランカというキャバレイに出演していた、ケン・リトルウッドのマジックを見に行きました。リトルウッドの演技は、島田師よりもかなりダイナミックな動きであり、日本人アシスタントのトシさんの動きも、リトルウッドの演技に合わせたダイナミックなものでした。リトルウッドが音楽に合わせてリズミカルに演じていたこと、そしてアシスタントとの呼吸の合わせ方などは、島田師の参考になったのではないかと思っています。

演技が終わった後、私と島田さんは顔を見合わせて、島田さんが「素晴らしかったね」と言ったのをおぼえています。

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