“Sphinx Legacy” 編纂記 第62回

加藤英夫

出典:”Sphinx”,1945年12月号 執筆者:George Kaplan

SAMの主催したマジックショーにおいて、司会者がつぎのようにつぎの出演者を紹介しました。「皆さん、つぎに登場するのはDr.Chanです」。もちろん観客のほとんどの人が、それがDai Vernonがマスクをかぶって演ずるマジシャンだと知っていますし、見たことのある人がほとんどです。ですから客席からは「Vernonだ、VernonがDr.Chanをやるぞ」という声が上がりました。

Dr.Chanが登場したとき、私もそれがVernonだと思っていましたが、演技が始まると私はすぐ気づき、隣の妻にささやきました。「あれはVernonのコスチュームだけど、手はHorowitzのだよ」と。アクトが進むに連れて、私の確信は高まっていきました。体全体を覆うコスチュームを着て、マスクをかぶっているのですから、見るべき所は手しかありません。ですからかえってそれがHorowitzの手だと感じたのでしょう。

彼のアクトが終わって拍手の中でマスクを取ったとき、観客は驚きました。それはVernonではなく、Horowitzだったからです。彼はVernonのDr.Chanのアクトを完全にマスターしていましたが、それにはひとつの秘密の出来事があったのです。

このあと、どうしてHorowitzがVernonのDr.Chanのアクトを完全に真似られるようになったか、その経緯が説明されていますが、たいへん長い文章ですので、それを読んだ上で、私が要約して説明いたします。

Houdiniの弟であるHardeenは、ブロードウェイで公演されたミュージカル’Hellzapoppin’というミュージカルに出演していました。彼のエージェントがMajestic Theaterのショーに、マジシャンを紹介してくれとHardeenに頼みました。HardeenはVernonを紹介し、VernonはDr.Chanのアクトで数日間の契約を結びました。ところが出演初日の数日まえになって、契約初日の同じ日、同じ時間帯にもうひとつVernonに別の出演依頼がきて、その方が重要だったので断りたくなかったのです。そこでVernonはHorowitzに秘密の代役を頼むことにしたのです。彼らはみっちりと練習をやり、HorowitzはVernonそっくりに演じられるようになりました。

契約初日の月曜日とつぎの火曜日は、代役でうまくいきました。ショースタッフとのかねあいもありましたので、そのあとの数日をVernonがやるというわけにはいきません。ところが水曜日になって急遽HardeenがDr.Chanのアクトを見に来ると言いました。

楽屋にHardeenが来るに違いないので、その日はVernonもHardeenより先に楽屋に行っていて、衣装だけ着てHardeenを迎えました。Hardeenが客席の方に向かうと、すぐVernonは衣装を脱ぎ、隠れていたHorowitzが急いで衣装を着て、出演に間に合わせました。

Dr.Chanの出番が終わると、Horowitzは急いで衣装を脱いでVernonに着せました。そこへHardeenがやってきて、アクトを賞賛いたしました。VernonとHorowitzは思わず顔を見合わせました。でもHardeenはHorowitzの存在に気づいて、「あなたは他のマジシャンを楽屋に入れるですか」と怪訝な顔で言いましたが、2人は返事のしようがありませんでした。

“Sphinx”には出来事があったのが何年だったか明記されていませんが、Hardeenが出演した、’Hellzapoppin’というミュージカルが行われていたのは、1938年9月2日~1941年12月17日までで、1404回公演されたという、当時では最多回数を記録した、大ヒットミュージカルだったようです。

(つづく)