第15回「天海のシルクの結びとけ」

石田隆信

シルクの中央の結び目がポロリと勝手にほどけてしまいます。このような結び目をほどく現象は昔からありますが、天海の方法はこれまでにない新しさがあります。方法は難しくないのですが、これをうまく演じるのは簡単ではないようです。

天海氏は1958年に帰国されますが、帰国後最初の出演が6月7日に開催された杉並公会堂です。多くの出演者の後で、期待された天海氏が登場して最初に演じられたのが、このシルクの結びとけとのことです。期待感で張りつめたムードの会場を、この演技でリラックスさせて、その後、天海のカードやその他の演技が続けられています。

この方法は1971年発行のフロタ・マサトシ著”The Thoughts of Tenkai”に「シルクの結びとけ」”Vanishing Silk Knot”として解説されています。残念ながら、この本以外では日本や海外で解説されたことがないようです。ただし、この本は日本語と英語を並べて解説され、海外にも送られています。ハリウッドのマジック・キャッスルの図書室には蔵書されていると思います。

昔からあるシルクの結びとけの方法は、左手にシルクをループ状にして持ち、その中へ右手を入れて一つの端をループから引き出すことにより、中央に嘘の結び目を作っています。結び目をほどくのは、両端を持って引っ張るか、左の端だけを持ってぶら下げて振ったり指で弾いてもほどけます。もう一つの面白いほどき方が、結び目の上部を右手でつまんで、少し下へ引き下げて持つ方法です。これは既にほどいた状態で、右手でほどけないようにつまんで持っているだけで、つまみを緩めるとポロリとほどけます。

天海の方法では、上記のポロリとほどける状態をダイレクトに作っています。ただし、左手でつまんだ状態にしています。左手のシルクのループに右手を入れて、しっかり結び目を作ったように見せていますが、その状態にするまでの天海のハンドリングが全く違っています。

開始時のシルクの両端の持ち方から違っており、左右の手でそれぞれの端に近い部分を上からつかんでいます。それぞれの小指側からシルクの端が出ている状態です。右手の手首を2回ほど捻りながら回転させ、シルクのよじれを作って棒状にして、右手のシルクの端を左手の親指と人差し指の間に移しています。つまり、シルクのループが左手にできるわけです。

このループの手前から右手を入れ、その時に左手首を手前へ返して、小指から出ているシルク端を外方へ向けます。右手は、その入れ替えた端をループから引き出しています。今の状態では全く結び目ができていません。しかし、右手でシルクを引き出しながらループを小さくして、結び目ができているように見せる必要があります。そのために、左手でしっかりと結び目部分を保持することが重要です。下端の右手を離して、シルクの上端に持ち変え、左手で結び目を下方へずらし、さらに、結び目を締めつつ左指先でつまんだ状態にしています。シルクから右手を離し、正面を向いた時に、左指の一部分をゆるめると結び目がポロリとほどけます。

天海の方法は難しくありませんが、本当にしっかり結んだ印象を与える必要があります。スムーズに結び目を作り、結び目を締める時の力の入った状態と、ほどける時の力が抜けた状態とのギャップが重要だと思います。

元になるフォールスノットの歴史は、それほど古くありません。名称はバニシングノットやその他の名前でも呼ばれています。私の調査で分かった最初の解説が、1926(27)年のターベルシステム、レッスン32の”The Dissolving Single Knot”です。ここには考案者名の記載がありません。ターベルの考案ではないと思い、それ以前の文献をかなり調べましたが見つかっていません。なお、ターベルシステムのこの方法が、そのまま1941年の「ターベルコース第1巻」に再録されることになります。また、1931年のシカゴから”Ireland Writes A Book”が発行され、その中の結び目の移動現象で同じ方法が解説されています。

日本で最初に解説された文献は分かりませんが、1951年の柴田直光著「奇術種あかし」には、既に解説されていました。しかし、少し違った方法になっています。本来の方法で解説されたのが、1956年の安部元章著「手品」です。その後は多くの本に掲載されるようになります。

ところで、ポロリとほどける見せ方は天海氏が最初かもしれません。今のところ同様な見せ方で解説されていたのは、チャーリー・ミラーの「左利きのハンカチ」の最後の部分ぐらいです。「結べないハンカチ」の方法で右手で結ぼうとしても結べません。しかし、左手に持って上記のフォールスノットを作ると結び目ができます。それを右手に持つとほどけてしまう現象です。1960年代にその解説書だけの商品としてMagic,INC.から2ドルで販売されています。1967年の彼のレクチャーノートには、既にその商品のことが紹介されていますので、それ以前になります。日本ではその方法が、1978年の奇術研究84号で解説されています。

なお、「結べないハンカチ」とは、中央に結び目を作るために両端を絡ませて、両端を引っ張る途中で指を引っ掛けてほどいてしまう方法です。その歴史は古く、1859年のDick & Fitzgerald発行”The Secret Out”には”The Magical Knot”として既に解説されており、その後は引っ掛ける指や方法を少し変えて多くの本で解説されるようになります。

1999年にはRon Bauerが、自分のコメントを加えて「左利きのハンカチ」の冊子を発行されています。彼は1960年代中頃にチャーリー・ミラーから見せてもらい、その元になるのはアル・ベーカーの”The Knot That Just Won’t”であると聞かされています。これは1941年のアル・ベーカー著”Magical Ways and Means”に解説されているのですが、全く関係する部分がありません。最後でポロリと結び目が消えることぐらいですが、アル・ベーカーの方法では両端を持っている状態でほどける現象です。天海の方法であれば、片手の同様な持ち方でポロリとほどけているので天海との関係が大きいはずです。また、天海の方法の方がアル・ベーカーの影響を受けています。チャーリー・ミラーと天海との交流は結構あったようで、「天海メモ」にも何度か名前が登場しています。彼が天海の方法を見た時に、天海からアル・ベーカーの方法を元にしたと聞いていたのかもしれません。

アル・ベーカーの方法では、シルクを結んでいるように見せて、両側をU字型に引っ掛けているだけで結ばれていません。両端を左右に引っ張る時に、この状態を崩さずに結び目が出来ているように見せつつ、バランスよく結び目状態を保ち、最後にポロリとほどけるようにしています。翌年の1942年にはキース・クラークが”Silk Supreme”の冊子を発行され、アル・ベーカーの現象を前半のハンドリングを変えて発表されます。左手の背部にシルクのループを作った状態から行う方法で、こちらの方が日本では知られているようです。1965年8月の奇術界報288号で「シルクの結びとけ」として解説されています。作者名はありません。

アル・ベーカーの方法では、他の結び目の作り方にはない特別な操作があり、それが天海の方法に影響を与えたと考えられます。両端を交差させて、さらに、一端を下方へ曲げて絡ませると、絡まった状態で両端が上と下方向へ向きます。この絡まった中央部分を片手に持って手首を返して上と下を入れ替えています。これを堂々と行なって結んでいるように見せるわけです。天海の方法では、目立たないように行い、しかも、絡まない方向に入れ替えていました。

天海氏は1941年8月か9月にハワイへ渡り、12月には戦争が開始されたために、1949年5月までの8年近くをハワイで過ごすことになります。その間は中国名のウェン・ハイを名乗って中国服で米軍慰問をすることになります。米軍に連行されない代わりに、そのように要請されたわけです。ハワイではマジッククラブに貢献されただけでなく、時間があるので、「天海メモ」の制作に取りかかっています。天海メモの一定部分にターベルコースのイラストが多いのですが、それはターベルコース第1巻が1941年発行で、第2巻が42年、第3巻が43年、第4巻が45年と続いたからのようです。よい研究文献であるだけでなく、マジックのイラストの勉強に役立ったと思います。

1941年のターベルコース第1巻にこのフォールスノットが6つのイラストで解説され、同じ年のアル・ベーカーの本では別タイプのフォールスノットが8つのイラストで解説されていたのが興味深い点です。いずれも分かりやすいイラストで描かれ、天海氏に大きな影響を与えたと考えられます。「天海の結びとけ」はハワイ時代に研究が始まったのではないかと思いますが、完成されたのが何年であるのかが分かっていません。

(追記)掲載直前になって分かったことがあり、本文を訂正するよりも追記として報告することにしました。フォールスノットからポロリとほどけるようにしたのはアル・ベーカーが最初であることが分かりました。しかし、そこではポロリとほどける状態を現象として見せていませんので、現象として見せたのは天海氏が最初かもしれません。また、本文では原案者が分からないとしたフォールスノットもアル・ベーカーの可能性が出てきました。

これらのことは、1941年のアル・ベーカー著”Magical Ways and Means”の中の”Spirits at Work”の作品の中で報告されていました。そこではアル・ベーカーが数年前にこのフォールスノットを紹介して広く知られるようになったと書かれ、しかし、間違ってコピーされたと報告されていました。特にほどく方法が、両端を引っ張るのではなく、右手で結び目を少し下へ押し下げてほどけた状態にして、結ばれたままであるように指でつまんで持つことを説明しています。これを帽子の中へ入れて、後で取り出すとほどけている現象となります。

なお、このフォールスノットの紹介を1941年の本では数年前と書かれていた点が気になりました。1941年の数年前といえば1930年代であり、既に1926年のターベルシステムでは解説されていますので、もう少し、このことに関しての調査が必要と思いました。また、1999年のRon Bauerの「左利きのハンカチ」で、チャーリー・ミラーが元にしたと言われたのは、1941年の本の”Spirits at Work”の作品の方のことであり、Bauerが書かれていた”The Knot That Just Won’t”の作品ではないと思いました。結局、天海氏は1941年のアル・ベーカーの本の二つの作品から影響を受けていた可能性が考えられました。

(2021年7月20日)

参考文献

1926(27) Tarbell System Lesson 32 The Dissolving Single Knot
1931 Ireland Ireland Writes A Book The Vanishing Knot
1941 Al Baker Magical Ways and Means The Knot That Just Won’t
1941 Al Baker Magical Ways and Means Spirits at Work
1941 Tarbell Course in Magic Vol.1 The Dissolving Single Knot
1971 フロタ・マサトシ The Thoughts of Tenkai 天海のシルクの結びとけ
1978 チャーリー・ミラー 奇術研究 84 左利き用のシルク
1999 Ron Bauer Charlie Miller’s Left Handed Hank

第15回「天海のシルクの結びとけ」” に対して2件のコメントがあります。

  1. 中村安夫 より:

    「天海のシルクの結びとけ」は、私の大好きな作品です。
    14年前の2007年に横浜マジカルグループ第44回発表会でダンシングハンカチを演じた時にオープニングに組みこみました。

    私のホームページに当時の記録が残っていますので、一部紹介します。
    —————————————
    「天海のシルクの結び解け」について

     この現象を初めて観たのは、20年以上前の杉並奇術連盟発表会でのフロタ・マサトシ氏の演技だった。この作品の解説は、石田天海賞委員会が1971年に発行した「THE THOUGHT OF TENKAI」(フロタ・マサトシ著)に収録されている。石田天海師の晩年に天海師のそばで直接指導を受けたフロタ氏のお気に入り作品である。この本の中で、フロタ氏は次のように書いている。

     「これから述べるシルクの結び解けは、奇術師が奇術をやったのではなく<シルクがひとりでにとけたように見せる演技によって>より生かされていると思います。しかし、演技を抜きにして、その扱い方だけを考えてみても、天海が奇術家独特の、くせのある結び方をやるのではなく、如何に普通の結び方と同じように見せるか、そして、それが解けてしまうか、に細心の工夫を凝らしているかが分り、そこにも貴重な価値があると思います。」

     この記述は非常に魅惑的だが、さらに驚くのがフロタ氏自身による次の体験談である。

    「私がこの結びとけを先生から教わって半年ぐらいたった頃、ある奇術クラブでこの演技を演って見せたことがあります。その時に、「その演技はどうもあなたの個性に合っていないようだ。やめた方が良いのではないか」と忠告されたことがあります。天海の演技を見、天海に教わってさえ、このように難しいものです。それから2年くらいは、私はどこに行っても同じような忠告をされました。(後略)」

     このように難しい演技なのは分っていたが、私には今回の手順の導入部には最適なものだと思えた。それから発表会までの約2週間、毎日寝る前にシルクを手に持って練習した。

    出典:スティングのマジック玉手箱:エッセイ『私のお気に入りマジック』
    http://ymg2012.web.fc2.com/open/essay/nakamura/favorite.htm

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