マジックの練習について、私の考察 第9回

加藤英夫

目次

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マジックの練習に関する蘊蓄集

“The Dai Vernon Book of Magic” 1957年 Lewis Ganson

ダイ・バーノンとフォーセット・ロスの対話の中で、バーノンが語った言葉です。

バーノン: 「フォーセット、頭を使うことについて、もう1人のマジシャンの例をあげることにしよう。アメリカには素晴らしいクロースアップマジシャンの、マクドナルドがいます。彼はテーブルを舞台として、その上で素晴らしいマジックをやります。彼は右手がないという、とてつもないハンデを背負っていました。彼は左手だけでマジックをやったのです。ですから彼は他のマジシャンのやるのと同じようにやることはできません。このハンデを克服しなければなりません。

彼が人から見せられたり、本で読んだり、または彼自身が考案したマジックを気に入って、それをレパートリーに加えたいと思ったとしましょう。だからといって、彼はそれをすぐ練習し始めるのではなく、普通のマジシャンとは違う取り組み方をします。

彼は基本的に必要なことを学んだあと、数日間にわたって考え、そして瞑想します。彼は街を歩きながらも考えます。プレゼンテーション、ハンドリング、そして実際の手法について熟考します。

トリックについてのすべてに関して、納得のいく考えがまとまったあと、彼は必要な道具を手に取り、作業を始めます。彼が道具を手に取った段階では、すでに彼はどのようなことができるかわかっていました。彼には確固たる考えがありましたし、その考えは、そのマジックのすべてについて分析した結果得られたものです。

“The Dai Vernon Book of Magic” 1957年 Lewis Ganson

ダイが語るように、ビーナチュラルであるというマジシャンの使命は、練習を要することでありますが、それは同時に頭を使って練習することでもあります。練習というものはともするとつまらないと感じられますが、そのようなことがあってはなりません。練習による最初の進歩を感じられたとき、それはさらなる練習のモチベーションになります。進歩というものはどのようなものでも満足を得られるものですから、練習というものが魅力的なものになってきます。そしてさらに得られるものがあれば、それだけ満足も大きくなっていくのです。

それはスライハンドにおける技法の練習についてだけのことではありません。道具の扱い方においても重要なことです。私たちはマジック製品の広告をよく見ます。それが箱を使ったマジックであるとしましょう。多くのマジシャンがそれを買います。その内の何人かは、説明書通りの扱い方をします。そしてある人は少しやり方を変えます。そしておそらくただ1人の人が、すべてを分解して、違う形に組み立て直すでしょう。そして面白い話を添えて、同じ製品を買った人たちとはまったく違うやり方で演じるでしょう。同じ製品を買った人は、「それどこで買ったのですか」とだすねたりします。私も欲しいですよ」などと言うのです。

よくできなかったことをよくできるようにするのが練習であると思いがちですが、この文章を読んで、難しくないことでも練習する必要があるということに気づきました。箱の中が空であるのを見せるのは、難しいことではありませんが、やり方によっては、空であることがよく印象づけられるやり方と、そうでないやり方があります。どのようなやり方がよいか見つけることも、練習の中で行うべきことであるのです。

“東海マジシャン” 1969年8月10日 加藤英夫

1969年のバーノンの日本レクチャーツアーに、私が通訳として同行したときのことを、書いた文章の中からの抜粋です。

ジェニングスの部屋ヘノックして入ると、1人でいっしょうけんめい練習している姿は何回も見たし、レクチャーのまえなどは、レクチャーのまえに”2時間2人だけの時間をくれ”と言われたので、2時間たってから私が呼びにいくと、まだ2人は手品の練習をしていたのだった。この姿を見て私は恥ずかしさを感じてしまった。人に手品を見せるということは、決して安易なものではなかったのである。

練習というものが、たんに難しいことを楽にできるようになるためのものではなく、よりベターなやり方を追求するためのものであることを、この文章は示しています。この文章を読んで私は思い出します。ジークフリード&ロイが日本公演をやったとき、私は会場内のマジック売り場で販売員をやりました。ですから、開演前によくリハーサルをやっていたのを見させてもらいました。それは毎回のことでした。毎日いつも開演前ぎりぎりまでリハーサルをやっていたのです。それこそが高い入場料をとって見せる、一流プロマジシャンのあり方であると、痛感されました。

“Genii” 1975年1月 ダイ・バーノン

これは、バーノンとロン・ウィルソンの対話の中の一文です。

ダイ・バーノン:マジシャンが観客の存在を意識しないで演じることについて、ひとつの例をあげてみましょう。ずっと以前のことですが、私はニューヨークで私の生徒の1 人、ジミー・ドリリングを指導したことがあります。彼はパーフェクショニストでした。彼はマジックをミスなく演じることを学びました。その彼がリンキングリングを学びたいと言いました。私の演技ではバックミュージックとして’ チャイニーズララバイ’ を使っていました。ジミーもその曲のレコードを入手して、まったく完璧に演じられるまで練習しました。そしてある日、タカッホーの私の家にやって来て、演技を見てくれと言うのです。

彼は曲に合わせて全体の手順をやりました。ミスはひとつもなく完璧でした。演技が終わったとき、「先生、どうでしょうか」と尋ねたので、私は言いました。「ジミー、観客に対してそのような見せ方は望ましくないです」と。彼は意味がわかりませんでした。

彼はリングをつないだり外したりするのを完璧にやるのですが、いちども私の方を見ませんでした。「あなたはやることに集中していて、いちども私を見ませんでした。それはまるで、人と握手するときに、その人の方を見ないでやるようなものです。あなたが見せようとしている人たちとアイコンタクトを取らなければいけません」。リングがつながったとき、マジシャンはリングを見るのではなく、つながったリングを観客に見せるのです。

ジミーは私が言ったことを理解して、そのあと何回も練習して、その点をうまくできるようになって帰っていきました。

マジックを練習するということは、やることをスムーズにできるように練習するだけでなく、観客に対してどのように振る舞うか、ということも練習しなければいけないということです。

“Genii” 1993年9月 ジョン・カーニィ

これはバーノンの弟子の一人であるジョン・カーニィが、’私の中にいる先生’と題したエッセーの中で述べていることです。

プロフェッサーと私のセッションの進め方が、しっかりした形式で進められたと想像する人もいるかもしれませんが、実際はそれと正反対で、まったく形式のようなものはありませんでした。しかもその都度進め方が違いました。航空機上ではカードマジックをやり、夕方にコーヒーショップでコインマジックをやり、マジックキャッスルのプロフェッサー専用コーチに座り、ブランデーを飲みながらもやりました。

そのような不規則なセッションではありましたが、つねに決まったいくつかの方針がありました。それはマジックにおける最重要ファクターである、動作や仕草、そしてハンドリングにおける”Be Natural” であり、シンプリシティであり、頭を使うことです。さらには、細部に対する考慮、自己を正直に判断することであり、しっかり練習することなどです。

“自己を正直に判断すること”、と書かれています。これはやっていることがスムーズにうまくやれているかどうかだけでなく、それを観客側から見たら望ましいかどうかまで考えるべきだと述べているのです。

“GeMiNi Column” 1997年4月1日 ロジャー・クラウス

チャーリー・ミラーは、よくつぎのようなことを言いました。「難しいことを2000回も練習すると、けっきょくできるようになるということは、とても素晴らしいことです」。伝説的なゴルファーのベン・ホーガンが、あるときゲリー・プレーヤーに尋ねました。「キミはどのぐらい練習するのですか」と。ゲリーは「しょっちゅうやっています」と答えました。するとホーガンは言いました。「それならその倍はやりなさい」と。

“Magic Cafe”ビル・パーマー

私はマジシャンであるだけでなく、ミュージシャンですが、私が音階や和音の勉強をちゃんとやるまえは、私がやっていることがはっきり把握できていませんでした。あなたはその基礎練習の部分を飛ばして、他のマジシャンの真似をすることはできるでしょう。しかしながら、それではやっていることをはっきり把握することはできないのです。

この言葉には、私がここまで指摘しなかった、基礎練習ということが指摘されています。いままでは、いま演じようとしているマジックの練習という観点で書いてきましたが、どのようなマジックでも共通したやり方、振る舞い方というものがあり、それらを練習することが基礎練習なのです。歩き方、道具の取り上げ方、笑い方などなど、基礎練習すべきこともたくさんあります。

“Genii” 2008年8月 ロベルト・ジョビー

ひとつのトリックを学んで練習することが、そのトリックだけについてではなく、マジックにおける基本的なストラテジーを習得することにもなり、マジック以外のことについても役に立つことでもあります。技法、トリック、プレゼンテーション、演劇的コンセプトなどをひとつひとつ学ぶことは、’人間としての成長’ でもあるのです。人生においてこのこと以上に重要なことはあまりないとさえ言えるものであり、マジックが教育手段としても素晴らしいものであることを示しています。それはプロをめざすマジシャン、趣味として続けているマジシャンのどちらにも通じることです。

素晴らしい文章ですね。マジックを練習して克服することが、人間しての成長につながるというのは、まさに練習する意欲をかき立ててくれる言葉です。

(つづく)

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