マジックの練習について、私の考察 第10回

加藤英夫

目次

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マジックの練習に関する蘊蓄集

“ダイ・バーノンの研究” 第3巻 2020年3月15日 加藤英夫

ピンチグリップと通常のグリップによるエルムズレイカウントを、鏡の前で練習していたときに、ふと気づいたことがあります。これは手元を見ながら練習していたのではけして気づかないことです。

それは鏡から1m離れてやるのと、3m離れてやるのでは、両者のやり方の見かけに決定的な違いがあると言うことです。近くでやるなら、ピンチグリップでぐるっとまわして続けてカウントするのは、そのやり方のニュアンスが感じられるのですが、3m離れてやると、どんな動作かよくわからなくなるのです。前方に押し出して取っていった方が、右手から左手に取るという動作として明瞭に表現できます。

ですから大勢の観客がいる状況においては、ピンチグリップでのカウントは適していません。ぐるっとまわす動作をはっきりと見せ、それから右手前をつかんでカウントに続けた方が、魔法をかけ、その結果を見せる、という演技のやり方として適しているのです。

演じる距離によって使用する技法を決める、という考え方は、いままでの指導書に書かれていたのを記憶していませんが、これからはその点についての研究も必要になってくると思います。それは技法についてだけでなく、あらゆる動作について配慮すべきことでもあります。観客への視線の向け方、話し方などでさえ、ステージマジックとクロースアップマジックでは異なるのです。

“Genii” 1970年1月 ダイ・バーノン

マジックキャッスルの優秀な会員の1人、ジャッジ・ピアス・ヤングは、マジックをうまく演じることを学ぼうという熱意を持っています。その彼が、なぜ私がこのコラムで、基本技法について書かないのかと尋ねました。

いったい基本技法というのは何のことでしょうか。確かに古い本では、パーム、パス、フォース、チェンジなどを習得すれば、ほとんどのカードマジックができると書いています。しかし現代では、それら以外にも様々な優れた技法が存在します。ですから、何が基本技法であるかは決められません。

世界中に存在するあらゆる技法を学べなどと、私は言いません。そんなことは必要ないことです。ベストなことは、まずやりたいことを決めることです。そしてそのトリックに必要な技法を学ぶのです。その方が、どのような技法を学ぼうかと迷うことよりはるかによいことなのです。

バーノンはカードマジックの基本技法を学ぶ上で、まずいちばん最初に考えなければいけない重要ポイントを指摘しています。それは一言で言えば、”あまり使わない技法は練習するな”ということです。

“Genii” 1974年11月 ダイ・バーノン

効率よくマジックにおいて上達するコツについてですが、理論を学ぶことと練習することの適度なバランスで行うことです。理論を考えることだけに偏ったり、練習することだけに偏ったりすると、よい結果は得られません。頭を使うことによって、練習する時間を省けることもあります。たいていの人は、「私は頭を使っています」と言いますが、そのような人が額を壁にかけるときに、つぎのようなことをやっていないでしょうか。

釘を打って額を掛けたら、もう少し上とか下の方がよいとわかって、釘を抜き、別の位置に打ち直し、もういちど額を掛ける。このような手間は、釘を打つまえに額の寸法を測り、壁のどの位置に置いたらよいかを考えてから釘を打つことによって省けます。物事を行うまえに立ち止まって、少し頭を使ってから行動に移るようにするのです。このようなことは練習のどの部分についても言えることです。頭を使ってください。考えてください。どのようにやるべきか考えてから行動するのです。

コインとかカードの技法が難しいと感じたとき、分析するのです。「デックをきつく持ちすぎていないだろうか、コインをしっかり持ちすぎていないだろうか」などと。そんなことでも頭を使っていることになるのです。そのように考えながら練習することが、理論と練習の適度なバランスを保つということにもなり、上達にかかる時間が節約できるのです。

もちろん、理論と練習のどちらかに偏ってのめり込むことはよくありません。人によっては、ひとつのことをやみくもに練習し続けます。そのような練習を何年も続けるうちに、次第によい方法を見つけ、うまくできるようになるかもしれません。しかしそのようなことを、頭を使うことによって、数週間で達成してしまう人もいます。マジックを練習するときは、ひとつのことを手に馴染ませることだけに集中せず、頭を使いながら練習してください。

“Genii” 1985年8月 ダイ・バーノン

マジックキャッスルの女性メンバーの1人、キャシー・ダイアモンドは、たいていの男性メンバーよりもカードをきれいに扱います。その理由は、彼女がレークタホのディーラーコースを受けたからです。そのコースはマジックとは何の関係もありません。ブラックジャックにおけるカードの扱い方を習得するコースです。

この文章を読んで、もしかしたらこのような振る舞い方とか道具の扱い方の基礎練習は、トリックの練習といっしょに行わず、別にそれらだけを体にしみ込ませるように練習した方がよいのかもしれない、と思いつきました。マイク・スキナーはそのようにやっていました。毎朝起きたら、30分間はそのような練習をやっていたのです。

“Genii” 1988年8月 ダイ・バーノン

あるマジックが手や指先のテクニックが必要な場合、そのテクニックをそれまでに無目的で練習して体得したものであるような場合、そのままそれがそのマジックに通用すると思って採用するのは危険です。一般の人々の反応をよくチェックして使うことです。

すでにある技法を十分練習してきて、何の抵抗もなくできるようになっている場合、慣れているがために、そのトリックに対してどのように適用するか、もしくはその技法が演じるトリックや観客に対して適切なのかなどということを考えずに、それを慣れたまま使うということの危険性を指摘しています。

“OUR MAGIC” 1911年 Nevil Maskelyne

プレゼンテーションをリハーサルするには、たったひとつの方法しか存在しないということです。それは、まず先に色々な部分のディテールを詰めていき、それからそれぞれのディテールが次第に調和するようにアジャストしていくことによって、全体をまとめるという進め方です。

リハーサルと書かれていますが、それを練習という言葉に置き換えても通用します。この文章の中で見逃してならないのは、部分と部分をつなげるとき、全体が調和するようにつなげるようにする、ということです。ひとつひとつがうまくできるようになり、部分と部分がスムーズにつなげられても、それだけでは足りないということです。つなげた全体がうまく形になっているかどうか、それが重要だということです。

“OUR MAGIC” 1911年 Nevil Maskelyne

第1のポイントは、長過ぎるリハーサルというものは退屈さを生み出し、行っていることへの熱心さを低下させるものです。その結果、すべての関係者は自分の任務を遂行することにおいて、形式的になりがちになります。

第2のポイントは、過度のリハーサルは、責任者たちの判断力を鈍らせるということです。彼らはディテールの相対的な重要性を判断できなくなり、真に重要なことをうまく把握できなくなってきます。

マスケリンが長すぎるリハーサルの危険性を指摘したものですが、練習に置き換えても共通する点があります。やることに慣れてくると、頭や神経を使わないでもできるようになってくるので、それだけ集中力が低下するということです。

“天海奇術講座” 2015年2月20日 加藤英夫

つぎに’美しさ’についてです。天海先生はきれいでないハンカチを使うマジシャンのことを批判していました。ジョーニー・ハートの笑顔の美しさ、スタイルのかっこ良さを話していました。チャニング・ポロックの立ち姿と動きはエレガントだと言っていました。

これらの美しさの中で、真似のできるものとできないものがあります。汚いハンカチを使わない、ということは誰にもできることです。笑顔の美しさは真似ることはできません。顔の造作は真似できないからです。でもなるべく笑顔でいることは真似できます。しかしながら、人によっては無理に笑顔を保とうとすると、かえって感じが悪くなる場合があります。感じよく笑顔を保つ練習をあなたはしたことがありますか。

その練習をするとき、自分で表情を作るのはなかなか難しいです。ひとつの方法は、自分が理想とする表情のマジシャンの笑顔をイメージすることです。私の場合のモデルは、フレッド・キャップスです。彼は笑顔というほど笑っている感じはしませんが、明るい表情を保って演技をしています。そうです。笑顔を振りまくことよりもまず、明るい表情を保つ練習をするとよいと思います。

東京ディズニーランドのキャストの通る廊下には、所々に大きな鏡が設置されていて、ときどき笑顔をチェックするように指導されました。( 私はTDL のマジックショップで3 年間デモンストレーターとして働きました)。

私自身が書いたこの文章を読み返して気づいたことがあります。いままで考えたり書いてきたりしてきたことは、マジックを演ずることを前提とした場合の練習のやり方についてでしたが、マジックを演ずることを練習するということではなく、普段の自分のありようを練習するという、練習の仕方もあるのではないかということです。

ディズニーランドでは、いつも鏡を見て笑顔を保つ訓練をさせられましたが、顔の表情にかぎらず、歩き方、立ち方、その他あらゆる動作を無造作にやるのではなく、意識的にやってみるのです。そのようなことは、ダンサーや役者ならやっていることでしょう。ということは、同じエンタテイナーであるマジシャンがやらなくてよい、というものではないと思います。

最後に

私はテンヨーに勤務しながらプロマジシャンを目指していましたが、しばらくしてテンヨー創始者、山田昭氏に言われました。「プロになるには’華’がなければいけない。キミはプロになるよりも研究家になった方がいい」と。すなわち私には’華’がなかったということです。それまでの私の生活の中では、かっこうよく振る舞うという意識など持っていませんでした。天功師や島田師には、間違いなく普段の振る舞いの中に’華’がありました。

‘華’というものは生まれ持ったものと思われがちですが、私は生まれ持ったものなどというものはいっさい信じません。子供が親の育て方でいくらでも変わってしまうのは、自分が娘を育て、娘が孫を育てた姿を思い起こすと、それがよくわかります。

だからこそ、マジックの練習というものは、明日出演するまえの練習などというものではなく、普段から練習しておくことが大切なのです。一言で言えば、練習というものは、”できるようになる”ためにするのではなく、”身につける”ためにするものであると思います。

以上で、マジックの練習に関する考察を締めくくります。

(完)