第17回「繰り返しによって生きる芸」
中村安夫
石田天海『奇術演技研究メモ』より
「一つの現象を見せるとき、同じ動作を二度見せて、二度目に目的を達するように演技を進めて行くことがある。
なぜ、最初の一回でやらないのか。例をあげて言えば「四つ玉」の使い方に見ることがある。ボールを手に一つ持っている時にそのボールを上に上げると空中に消える演技である。
演技としては、ボールを上に上げる。両手で受ける。再度ボールを空中に投げる時は最初の時よりも力を入れて高く投げ上げる。落ちて来る。両手でまた受ける。
三度目には一層力を入れて強く空高げげるから、客席でこれを見る人の目はつい、つり込まれて上を見る。が、ボールは落ちて来ない。ハテナ・・・と思った瞬間意外にも奇術師の投げた左手の裏からヒョイとあらわれて笑いが起こる。
この動きを字にして書くと長いようだが、ボールを上に投げ始めてから手の裏からボールをヒョイと出すまでの時間は五、六秒である。ここで笑わせようとして、動きのない変な思い入れなどをしてだらさないことが肝要である。
なお、客席から見ると屋根裏の板ばりが見えるような天井の低い寄席のような舞台では、ボールを上に上げるより客席に向けて投げる方がよい。動くものに心が誘導され、目が動くのは動物の本能であると、心理学では言っている。
われわれがベースボールを見る時、ピッチャーが投げたボールの行先を追って何万人かの目が一斉に動くことと、奇術師が投げたボールを追って上を見ることは同一の心理状態である。これを奇術の誘導策に最初に取り入れた人はえらい。」
【コメント】
この回で天海師が述べた内容は、「デモンストレーション」と呼ばれる奇術理論の一つです。私は千葉大学マジックサークル在籍中に先輩の上村恵洋氏が1969年(昭和44年)にまとめた「Stage Magic」というタイトルのステージ理論書で初めて学びました。
本書によると、「デモンストレーション」の原典は、加藤英夫氏と赤沼敏夫氏の共同編集による「まじっくすくーる」(1965年、天洋発行)です。
そこで、「まじっくすくーる」を改めて調べると、13号(1965.5.15)、17号(1965.9.15)、18号(1965.10.15)の3回に渡って、詳しく解説されていました。この中で、デモンストレーションの重要性について書かれた文章が印象に残りましたので、引用します。
さて、今までの奇術的指導者達は、ミスディレクションを技法以外のもので最も重要なものとして解説してきた。もちろん、ミスディレクションは、奇術の技術の一分野として非常に重要である。がしかし、全ては、“すぎたるはおよばざるがごとし”で、あまりにも指導者達が強調しすぎた故に、多くの奇術家のミスディレクションは、多くの場合、マイナスの働きをしてきた。例えば、左手でネタどりをするのに、右手をなるべく遠くへのばして、何かを出現させる場合、例えば、右手にサムパームしたタバコを出現しつつ、左手で次にだすためのタバコを秘かにスティールしてくるとする。左手のスティールをカバーするために、右手を遠くへのばしてタバコの出現をさせなさい、という説明のとおり行った奇術家がいたとして、あまりにも右手ののばし方、タバコの出し方がわざとらしく、いかにもミスディレクションの為にやったような代物でも、いわゆる“右手で何かやっている時には、左手があやしい”などという、奇術家格言を存在させる原因にもなってしまうと思う。即ち、あまりにもわざとらしいミスディレクションをかけたことによって、逆にネタどりを気づかせてしまうことになるのである。
そこでデモンストレーションの重要性が登場するのです。(出典:「まじっくすくーる」18号、1965年、天洋)
当時、加藤英夫氏はまだ20代前半の頃ですが、この「まじっくすくーる」は1964年2月12日の1号から1970年9月30日の77号まで約6年半に渡って発行されました。総ページ数は1227にもなります。その後、加藤氏は、「ターベルコース・イン・マジック(全8巻)」日本語版(1975年~1995年)、「Card Magic Library(全10巻)」(2008年~2012年)、「ダイ・バーノンの研究(全3巻)」(2019年~2020年)と50年以上に渡って大作を執筆されてきました。
そして、現在も、新刊”Sphinx Legacy”の発行に向けて、執筆活動を継続されています。本サイトで“Sphinx Legacy” 編纂記の連載も公開していますので、是非お読みください。
(2021/6/20)