石田天海・おきぬ帰国関連資料 第12回(最終回)
河合 勝
12.天海先生、おきぬさん、お帰りなさい
①石田天海夫妻、横浜入港
ウィルソン号のタラップを降りた天海(中央)、出迎えの松旭斎天花(左・二代目天花)と松旭斎正恵(右)、昭和33年(1958)4月21日、横浜港 ※図は『奇術研究』10号より転載。
②『奇術研究』の表紙を飾る
雑誌『奇術研究』10号、柳沢義胤編、昭和33年6月1日、力書房(東京) ※天海師帰国記念特集
③石田天海夫妻帰朝歓迎記念公演 魔術の祭典
プログラム『魔術の祭典』、昭和33年(1958)9月21日、天洋奇術研究所主催、読売ホール(東京)、4頁 ※右図上から石田天海、松旭斎天洋、三世帰天斎正一。天海は「特選集」と題して、いくつかのマジックを演じたと思われるが、演目や演技内容は不明である。
④自伝『奇術五十年』を著す
石田天海著『奇術五十年』、昭和36年(1961)10月、朝日新聞社、1冊(193頁)
◆連載を終えて
私は愛知県蒲郡市の生まれで、子どもの頃、近くの天桂院(てんけいいん)へ行ってセミを捕まえたり、蝶を追いかけたり、椎の実を拾ったりした。
天海夫妻が東京から郷里の名古屋に引っ越された昭和40年の夏、蒲郡市在住の奇術愛好家・鈴木高志さんから「天海さんが天桂院に来られる」という連絡を受けた。
当日2人で訪問し、寺の座敷で天海さんからいろいろなお話を伺ったが、私は緊張のあまり、ほとんど話をすることができなかった。それでも、天海さんに会えたことはとても嬉しかった。
そのときは、天海さんがどうして天桂院に来られたのかを考えることもしなかったが、後に、天海さんの妻・いわ(おきぬ)の姉・たきが嫁いだ先であることや天海さんの妹・ふみの子ども・政子も一緒に暮らしていたことなどを知った。今、政子も天海夫妻も天桂院に眠る。
左より鈴木高志、天海、河合勝(筆者)、昭和40年(1965)、天桂院(蒲郡市) ※図は『アルバム 石田天海・おきぬ』より転載。
(2021/8/26)
⇒ バックナンバー
1.柳沢義胤が昭和22年頃、ホノルル在住の石田天海宛てに差し出した郵便はがき
2.山崎広子が昭和22年頃、ホノルル在住の天海宛てに差し出した郵便はがき
3.緒方知三郎が昭和22年頃、ホノルル在住の石田天海宛てに差し出した郵便はがき
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