石田天海・おきぬ帰国関連資料 第5回

昭和33年(1958)3月14日、プレジデント・クリーブランド号でアメリカ本土より出航【河合勝コレクション】

河合 勝

5.天海夫妻「日本難民救済基金募集 慈善音楽大会」に特別出演

【河合勝コレクション】

ポスター『日本難民救済基金募集 慈善音楽大会』、倶楽部二世主催、1948年12月25~26日、ボールドウィン・ハイスクール講堂(ハワイ州・ワイルク)、71.1×56.2㎝

グレート天海と3人のコメディアン

戦後のアメリカ (1945~1958)

(前略)こうしてはいられないと、終戦の日以来、自忘自失に陥っていた気持ちを取り直して立ち上がった。こんどは再び「天海」の名に戻って、米軍側のすすめに従い外地から引き揚げてくる米軍を慰問すべく、ハワイ七島をめぐりに巡るうち、二年の歳月がまた流れていった。
(石田天海著『奇術五十年』より)

私は「天海の芸を観ていると心がほぐれてくる」と、いつも感じていたが、それは天海の人柄によるものだと思っていた。しかし、天海が天勝一座にいた頃、天清(島村清三郎)と組んで「滑稽手品種明し」を演じていたことを知ったとき、天海の魅力の原点は、若い頃のコメディーマジックの体験が関係しているのではないかと思うようになった。
このポスターには、そんな気持ちを起こさせるおどけた表情の天海がいる。

(2021/7/8)

⇒ バックナンバー
1.柳沢義胤が昭和22年頃、ホノルル在住の石田天海宛てに差し出した郵便はがき

2.山崎広子が昭和22年頃、ホノルル在住の天海宛てに差し出した郵便はがき

3.緒方知三郎が昭和22年頃、ホノルル在住の石田天海宛てに差し出した郵便はがき

4.天海夫妻「第五回 音楽と演芸の夕」に特別出演

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です