「奇術師のためのルールQ&A集」第86回
IP-Magic WG
Q:奇術研究家A氏から実用新案を譲り受けたはずなのに、ライバルのB社から譲渡は無効だと言われてしまいました。そのようなことがあるのでしょうか?
3年前に亡くなった友人のA氏から、生前、「すべての知的財産権をおまえに譲り渡す」との確約を得て、そのような自筆証文も書いてもらいました。A氏は奇術研究家であり、奇術に関する記事を様々な奇術雑誌に投稿しております。また、オリジナルの手品用具について実用新案も取得しておりました。
私はマジックショップを経営しているので、譲り受けた知的財産権を活用するため、A氏の投稿記事をまとめて単行本として発行するとともに、A氏の実用新案に関する手品用具「魔法のランタン」を製作して自社製品として販売しております。
ところが、先日、ライバルのB社から、私が販売している「魔法のランタン」はB社の実用新案権に抵触する製品なので、販売を中止するように申し入れがありました。B社の説明によると、この実用新案権は、A氏の死後、遺族の息子さんから50万円で買い取ったものだということです。
そこで、私はA氏の自筆証文を提示して、A氏の知的財産権は、すべて私に譲渡されたはずだと反論したのですが、実用新案権については、この自筆証文は無効だ!と言われてしまいました。自筆証文には日付も明記されており、A氏の実印も押印されているのですが、このようなことがあるのでしょうか?
A:実用新案権の譲渡は、特許庁に登録をしていないと無効なので、権利はB社に帰属しているものと考えられます。
ご相談のケースの場合、おそらく、実用新案権はA氏からあなたに譲渡されるとともに、この実用新案権を相続したA氏の息子さんからもB社に譲渡され、二重に譲渡が行われたケースに該当すると思われます。すなわち、第1の譲渡ルートは、「A氏→あなた(A氏の生前の行為)」というものであり、第2の譲渡ルートは、「A氏→息子(相続)→B社(相続後の売却)」というものです。
たぶん、A氏の息子さんは、A氏のすべての知的財産権があなたに生前譲渡されていたことを知らず、A氏の死後、すべての知的財産権を相続したつもりで、自分では使い道のない実用新案権をB社に50万円で売却したものと推察されます。結局、「A氏→あなた」という第1の譲渡ルートは無償で行われ、「A氏→息子→B社」という第2の譲渡ルートは50万円という有償で行われたことになります。
このような二重譲渡が行われた場合、どちらの譲渡が有効になるのでしょうか? まず、無償譲渡より有償譲渡の方が優先される、ということはありません。したがって、B社は「50万円の金を払っているのだから、私の譲渡の方が優先される」と主張することはできません。一般的なケースの場合、譲渡の時期が早い方が優先されます。
たとえば、手品用具について、A氏が生前にあなたに譲渡する契約(「手品の道具はおまえにやるよ!」という言葉による約束だけでも、それが証明できれば有効な契約になります)をしていたとし、実際に手品用具の引き渡しが完了する前に死亡していた場合を考えてみましょう。
この場合、遺品整理をしていた息子は、手品用具を自分が相続したと思い込み、これをB社に売却したとしても、あなたへの生前譲渡の方が優先されます。これはA氏が「手品の道具はおまえにやるよ!」と言った時点で譲渡が成立し、手品用具の所有権はあなたに移転しているからです。つまり、手品用具の所有権はA氏の生前に既にあなたに移転しているので、息子さんは、手品用具については相続しなかったことになります。
ところが、実用新案権については少々事情が異なってきます。なぜなら、実用新案法上、「実用新案権の移転(相続その他の一般承継によるものを除く)は、登録しなければ、その効力を生じない」という規定があるからです。つまり、相続やその他の一般承継(会社の合併など)の場合を除いて、権利を移転させるためには、特許庁への登録が必要になります。
別言すれば、甲から乙に権利を譲渡する場合、甲が「権利を乙に譲渡する」という契約書(譲渡証書)を書いて署名捺印したとしても、それだけでは権利は乙名義にはならないのです。権利を甲から乙に移転するためには、特許庁に対して権利移転の登録申請を行い、特許庁において登録手続を行う必要があるのです。
手品用具の譲渡の場合、このような登録を行わなくてもよいのに、実用新案権の譲渡の場合、登録が必須になるのは、実用新案権が実体のない無体財産権と呼ばれる権利だからです。実用新案権は、あるアイデアを独占的に実施することができる権利であり、その実体は物品のように目に見えるものではないのです。このため、その権利の内容と権利者を明確にしておく必要があり、権利の移転(譲渡)には登録が義務づけられています。「登録しなければ、その効力を生じない」となっているので、特許庁での移転登録が行われない限り、権利の移転は無効ということになります。
今回のケースの場合、A氏は「すべての知的財産権をあなたに譲り渡す」との自筆証文を書くことにより、すべての権利があなたに譲渡されたと思い込んでいたのでしょう。もちろん、知的財産権には、A氏の著作権も実用新案権も含まれます。したがって、A氏とあなたとの間の契約としては、この自筆証文で十分なのですが、上述したとおり、実用新案権の移転(譲渡)に関しては、「登録しなければ、その効力を生じない」という規定があるため、このような自筆証文を書いたとしても、対世的にはまだ移転の効力は生じていないことになります。
本来であれば、A氏はこのような自筆証文を書いた後、特許庁に対して権利移転の登録申請を行うべきでしたが、おそらく、詳しい知識のないA氏は、自筆証文だけで十分だろうと考えて、特許庁への申請を怠ってしまったのでしょう。その結果、A氏の死亡時には、実用新案権の移転は効力を生じておらず、依然としてA氏が権利者になっていたわけです。結局、A氏名義の実用新案権は息子さんに相続されたことになります。
実用新案法上、登録しないと効力が生じない移転形態は、「相続その他の一般承継によるものを除く」となっているので、「A氏→息子」という移転ルートは、登録しなくても効力が生じております。したがって、A氏が死亡した後は、息子さんが実用新案権を保有していたことになり、更に、「息子→B社(50万円での売却)」という移転ルートにより、現在は、B社が権利を保有することになったものと思われます。おそらく、「息子→B社」という移転(譲渡)については、既に特許庁に対して権利移転の登録申請が行われ、登録済みになっているのでしょう。
このような事情により、今回のケースの場合は、残念ながら、「A氏→あなた」という第1の譲渡ルートは無効であり、「A氏→息子→B社」という第2の譲渡ルートが有効ということになります。したがって、A氏の実用新案に関する手品用具「魔法のランタン」をあなたが製造販売するためには、B社からの許可が必要になります。
なお、「権利の移転は登録しなければ、その効力を生じない」という規定は、実用新案権だけでなく、特許権、意匠権、商標権にも存在するので、これらの権利についても譲渡を有効にするためには、特許庁に対して権利移転の登録申請を行う必要があります。なお、著作権についての移転(譲渡)については登録は必要ありません。これは、著作権の発生には無方式主義が採用されており、そもそも著作物の創作時において、何ら登録をすることなく著作権が発生することになっているからです。
したがって、今回のケースの場合、実用新案権はB社に移転することになってしまいましたが、著作権については、A氏が「すべての知的財産権をあなたに譲り渡す」との自筆証文を書いた時点で、あなたの名義に移転することになります。A氏は、奇術に関する記事を様々な奇術雑誌に投稿しているとのことですが、これらの投稿記事を転載したり、出版したりする権利はあなたに帰属します。ただ、「すべての知的財産権をあなたに譲り渡す」という内容では、翻訳版などの二次的著作物に関する著作権についてはA氏に留保されることになるので、翻訳権などの二次的著作物に関する権利については、現在は息子さんが保有することになります(詳細は、本Q&A集第82回を参照してください)。
(回答者:志村浩 2022年8月20日)
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