第2回「天海 VS カーディニのビリヤードボール対決」

石田隆信

石田天海著「奇術50年」には、1933年の天海とカーディニの奇術合戦のことが報告されています。カーディニが「天海は自分の芸を盗んだのだから、劇場に出すな」と訴えたのに対して、天海はとんでもないと抗議したからです。結局は技を競って決着をつけることになります。別々の劇場で互いの技を競い、ビルボード誌の記者とマジック団体(SAM)の代表者が審査しています。その結果、ボールは天海がうまく、シガレットは互角の判定となります。この審査結果から、カーディニはボールの演技をやめ、天海はシガレットを外すことで合意します。そもそも、アメリカへは天海が1924年に入国し、カーディニの入国が1926年で2年も後でした。天海は天勝一座の一員として、1924年のニューヨークのAクラスの劇場でボールを演じられており、ボールの米国での上演は天海が先であったわけです。そのことで優位になっただけでなく、技術的にも上だとの判定がなされています。その天海のボールと対戦相手のカーディニのボール演技がどのようなものであったのか気になっていました。

ところで、なぜカーディニは芸を盗んだと言い、天海はそれに抗議したのでしょうか。カーディニはアメリカ入国後に英国なまりのセリフをやめて、サイレントのスライハンドマジックで成功し、ボードビル劇場(寄席的な劇場)でトップクラスの出演料のマジシャンとなります。そのようなことから、同様な演技で模倣するマジシャンが増えていたようです。天海も1928年頃のロサンゼルスでの研究時代に、ロスのAクラス劇場に出演したカーディニの演技に感銘し、何度も繰り返し見て大きな影響を受けています。舞台に道具がなくても、腕さえあれば最高級のステージが可能なことを学び、スライハンド一点張りの猛げいこを開始したと「奇術五十年」には書かれています。まずは、カーディニのカードと点火シガレットを習得することから始められたと思います。しかし、アメリカは模倣ではAクラス劇場に出演できない国ですので、さらなる猛げいこで完成させたのが「時計とタバコ」です。タバコの煙から懐中時計を出現させ、9分間でタバコ36本、懐中時計48個を取り出し、最後には大きな時計を二つ出現させています。その後、手を加えてかなり変わったそうですが、「時計とタバコ」と独創的な天海のインターロック・カードプロダクションと四つ玉が代表的演目となります。そうであるのに、盗んだと言われて抗議していたわけです。

1931年に天海は一時帰国され、カーディニ的なカードと点火シガレットのプロダクションを演じ、それぞれがミリオンカードやミリオンシガレットと呼ばれて日本のマジシャンの間で伝説的な演技になります。これはお土産マジックとして、アメリカの最先端のマジックを知ってもらうために演じられたようで、アメリカの劇場では演じていません。帰国時の演技は1936年発行の阿部徳蔵著「奇術随筆」で詳細に報告されています。「奇術五十年」にも記載されていますが部分的です。ミリオンカードで始まり、ミリオンシガレットで終わっています。その間にいろいろ演じられていますが、「時計とタバコ」は少しだけ演じて、別のマジックの後、高速で数十個の懐中時計の取り出しとなっていました。ここでは既にかなりアレンジされて、後半では懐中時計だけで点火シガレットの取り出しがありません。なお、この時は巨大時計の出現がなく、ミリオンシガレットに続けて終わっています。

奇術合戦のことをアメリカの文献ではどのように書かれていたのかが気になりました。SAMとの関係があるスフィンクス誌で奇術合戦のことを調べましたが、全く記載がありません。また、2007年発行の570ページもあるカーディニの本でも調べましたが同様でした。コンテストであれば勝者の記録が掲載されますが、お二人の訴えの勝敗は記事にされていなかった可能性が考えられます。なお、ビルボード誌は調査できていません。そこで、対決により合意したボールや点火シガレットを外すことが実際に行われていたのかを調べることにしました。1937年発行のMax Holden著”Programmes of Famous Magicians”で、当時の有名マジシャンの演目が紹介されています。天海は1934年のニューヨークでの演目が紹介されているのですが、懐中時計のプロダクションの前に点火シガレットの取り出しも書かれていました。しかし、これは簡単な記載でしたので、それに続く懐中時計だけの取り出しのオープニング部分で、タバコの煙から時計を出現させるためであったのかもしれません。本来の「時計とタバコ」の演技ではなく、多数の懐中時計だけの取り出しでした。そして、最後が奇術合戦で高い評価を得たボールの演技になっていました。

カーディニの演目では何年かの記載がありませんが奇術合戦後だと考えています。カーディニの本来の演目の四つ玉が掲載されていなかったからです。1964年発行のTony Taylor著”101 Great Magic Acts”も演目が紹介された本ですが、1929年のカーディニの演目が紹介されており、数行をかけて四つ玉の演技の内容が書かれていました。ところが、他方のHoldenの本ではなくなっていたわけです。しかし、なぜかボールのカラーチェンジとマニピュレーション(フラリッシュ的操作?)を演じたことは書かれていました。これは、お互いの演目から四つ玉を外すことや、「時計とタバコ」の点火シガレットプロダクション部分を外すことに合意されたわけで、手順上の必要性で最低度の使用は認めていたのかもしれません。正確なことは分かりません。このように演目が重ならない配慮が必要となったのは、その時代の影響が大きかったと考えられます。1929年10月末の大恐慌で不景気になっただけでなく、無声映画から現代的な映画館の時代へ移行し、ボードビル劇場が減少傾向になっていました。演じる場所が減り、劇場側は強気で、同じような演目のマジシャンが続かないように制限していたようです。「奇術五十年」でも1933年の奇術合戦前のセントルイスで、前日までカーディニがシガレットとボールを演じており、演目が重なる理由で出演を断られた話が記載されていました。カーディニも同様な経験をされていたのだと思います。カーディニは同様なサイレントのスライハンドでカード、ボール、点火シガレットの演者をかなり嫌っていたようです。特に点火シガレットプロダクションに関しては厳しい抗議をしていたことがカーディニの本で詳しく報告されていました。

そして、最も気になるのが、お二人のボールの演技です。カーディニに関しては2007年のカーディニの本や、2009年にUGM社発行のレベントのビリヤードボールDVDで知ることができます。本物のビリヤードボールに近い大きいサイズのボールを使用しているだけでなく、前半の演技ではカラーチェンジも行いながら橙、緑、青、黄色のボールを次々に取り出し、左手から投げ上げて右指の間でキャッチするフラリッシュ的操作も加えられています。前半ではシェルを使わず、その最後にボールが本物であることを証明するためか、ボールを床に落として舞台の袖まで転がしていたのが意外でした。後半では、赤のボール1個を取り出し、各種のフラリッシュ操作の後、2個目の赤ボールを出現させて、両手間でのボールの移動現象が繰り返されます。もちろん後半ではシェルが使われています。3個目の赤ボールを出現させ、それが白になり、さらに4個目の赤が出現し白に変えています。こちらでも4個のボールを左手から右指の間へ投げてキャッチするフラリッシュも行われていました。演技中はタバコを口に加えたままで、前半も後半も最初の1個の取り出しはタバコの煙からでした。そして、目にはめていたチェーン付きの片眼鏡が、目から外れてぶら下がるコミカルさを加えていました。後半の4個も床へ落として袖まで転がしています。シェルはうまく処理していました。なお、カーディニの演技は1957年のテレビ出演の映像が有名ですが、ボールはタバコの煙からの出現と1個でのフラリッシュだけでした。その理由としてのレベントの考えは、当時のテレビが白黒映像で、カラーチェンジ現象が伝わらないと考えられたためではないかとのことでした。

それに対して天海のボールは、1984年発行の金沢天耕著「これが天海の四つ玉だ」に解説されています。小さめのボールで白色しか使っていません。カラーチェンジの現象がないだけでなく、フラリッシュ的操作もありません。これだけでの比較では、明らかにカーディニの方が優勢です。それでも、天海の方が勝利しています。天海のボールの扱いや現象が、これまでのアメリカになかったもののようです。しかも、天海の滑らかな操作に魅了されたものと思います。マニアにとっても、シェルの位置が分からない扱いがあります。本では天海が演じていた方法を元に解説されていますが、そのままではなくアレンジされた部分もあるそうです。その中から、特に印象的な部分だけ紹介させていただきます。

まず、ボールを出現させた後で消失させ、きわどい両手のあらためにより両手をカラに見せています。もちろんその後で再現させています。シェルをかぶせたボールを秘かにロードしますが、しばらくは1個を扱っているように見せ、いつの間にか2個、3個と増やしています。シェルをかぶせたボールは、外れないように簡易な方法でロックされています。ロックを秘かに外して3個まで増やしているので、ボールを補給する機会がなかったはずと思えて不思議です。また、シェルを含めた3個の状態での操作は、シェルを巧みに動かしてシェルの存在を感じさせていません。これを著者の金沢天耕氏は「生きている半球」と呼んでいました。面白い見せ方が、横へ伸ばした左手の腕の部分で右手の2個が1個になると同時に、伸ばしていた左手からボールが出現し右指へ加えます。また、左手をボールを捕まえ右指へ、そして、4個目も同様に繰り返します。この動きを金沢氏は、連発銃から弾が発射される感じを受けたそうです。別法として1個から一気に4個になる方法も解説されています。その後、2個まで減少させ、片手だけで2個から3個、4個へと増やして終わっています。いずれにしても、天海にとっての四つ玉は最も得意としていた演目で、世界的にもトップであったと言えるのではないでしょうか。

(2021年4月20日)

参考文献・DVD

1936 阿部徳蔵 奇術随筆 1931年の天海一時帰国時の演技
1937 Max Holden Programmes of Famous Magicians
1961 石田天海 奇術五十年
1964 Tony Taylor 101 Great Magic Acts
1984 金沢天耕 これが天海の四つ玉だ
2007 John Fisher Cardini The Suave Deceiver
2009 Levent Ultimate Guide to The Billiard Balls UGM発行DVD
2013 石田隆信 Toy Box Vol.13 カードとボールのマニピュレーションの誕生期続編

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です