第18回「繰り返しとショウマン・シップ」
中村安夫
石田天海『奇術演技研究メモ』より
「このはなしは前にもちょっと述べたが、なるほどあれが芸界でいうところのショウマン・シップかと、強く心に感じたことの一つを紹介しよう。
1930年ごろ、私たちがアメリカの東海岸ボストン地方を巡業する国際バラエティショウの一行35名に加わって巡業していたとき経験したことである。
舞台に張られた一本の銀線上でのトンボ返りは、一行中の紅一点、愛くるしい十八歳のフランス娘が演ずる至芸である。」
「私の奇術はいつもこのトンボ返りの次に出演するようになっていたから、毎日舞台の横から、この美しい娘の至芸を三カ月間見ていた。が、最初の一回で成功したことはなく、必ず二回目に成功させてかっさいを受けていた。
私が感心したのは、この芸は非常にむつかしいことだという印象を最初の失敗で観客の頭にうえつけて注意の目を集めておき、二度目に成功させてうまいものだと感心させて手をたたかせる呼吸である。すべて初めから仕組まれた計画ではあるが、芸の腕が達者で、その上に売りつけ方の巧みなために強い印象を大勢のお客に与えている。」
【コメント】
天海師が有名なオリジナル「時計とタバコ」を完成させ、ロスアンゼルスの教会の集まりで初披露したのは1929年(昭和4年)です。その演技を見たある興行会社の人から、「これはまったくワンダフルだ。お世辞抜きですばらしい。これだけの芸を、こんな田舎の都市で公開するのは損な話だ。ロスアンゼルスでなくニューヨークに行って、そこからスタートしないと将来がない」と言われました。
この助言を受けて、天海師はおきぬ夫人とともにアメリカ横断三千マイルの旅を自動車を運転してニューヨークにたどり着きました。『奇術五十年』を初めて読んだとき、冒頭のアメリカ地図が目に留まりましたが、改めて天海師の行動力に驚かされます。
ニューヨークでは、Aクラス中でも一流の、ビリー・ジャクソンと契約し、ロチェスターをふり出しに四週間の巡業に向かい、行く先々で好評を受けます。しかし、天海師は最終地のクリーブランドの舞台で思わぬ失敗をおかします。その夜の舞台でアンコールがつづくのにすっかり気をよくして、帽子にカードを打ち込む奇術のタネ明かしをしますが、それを見物していたSAM(ソサイエティ・オブ・アメリカン・マジシャンズ)の会員が「天海はタネ明かしをしている」とエージェントに通報したのです。
これは、当時、人気が出始めた天海夫妻の一大事件であり、そのために二人はニューヨークに呼び戻され、契約を解除されてしまいました。
天海師は、『奇術五十年』の中で「アメリカでは、タネ明かしは絶対にご法度だということを、私どもはこのとき初めて知った。」と述懐しています。どんなマジシャンも必ず遭遇する「種明かし問題」に天海師は90年以上も前に体験していたことに驚きます。是非、教訓にしたいものです。
さて、今回の話に出てくる「アメリカの東海岸ボストン地方を巡業する国際バラエティショウの一行35名に加わって巡業していたとき経験したこと」というのは、天海夫妻が苦境を乗り越え、精力的に活動していた時期にあたります。
(2021/7/4)